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CASE8 リクルーター:07

「何時だと思ってんだよ!」


 敷きっぱなしの布団の上で漫画を読んでいた篤利は、突然の声に驚いて顔を上げた。漫画の世界にすっかり入り込んでいて、時間なんか見ていなかった。

 深夜の冷たい空気をまとわりつかせ、総志朗がアパートに戻ってきた。コートに張り付いたひんやりとした空気が外の寒さを物語る。


「何時って、ええと、二時」

「そうだよ! 二時だぞ?! ガキは家で寝てる時間だ!」

「まあまあ。あのさ、聞きたいことがあってさ」


 読んでいた漫画を放り投げ、篤利は改まって正座する。総志朗は面倒くさそうにくせのある髪を掻いた。


「それより、早く寝ろ。今日は泊めてやるから」

「まじで! やった! って、それより、聞きたいことがあるんだって」


 街中を歩き回って疲れていた総志朗は、篤利を無視して寝る準備を始めている。


「なあ、聞いてんのかよ? 総志朗! ソウマユウキって知ってんだろ?」


 総志朗は何も聞こえていないかのように、脱いだスーツをハンガーにかけていた。平然といつも通りの会話のような感覚で、彼は言った。


「なんでその名前を知ってるんだ」

「え? ああ、まあ……ええと」


 別れ際に梨恵が「私が知りたがってるって言っちゃだめよ」と言っていたことを思い出す。梨恵の名を口にするわけにはいかない。

 いい言い訳が思い浮かばす、首をかしげて半笑いを浮かべていると、総志朗は篤利の肩を強く握ってきた。


「その男のことは忘れろ。それに、オレにあんまり関わるな。死にたくはないだろ?」

「は? 死?」


 部屋着に着替え終わった総志朗は、すぐに布団に潜り込んでしまった。ゆすっても叩いても反応してくれない。


「起きろよ! なんで関わっちゃいけないんだよ?」


 いくら声をかけても、総志朗は無視し続ける。篤利は口を尖らせながら、ソファーの上に寝転んだ。





 総志朗の寝息が聞こえ出したころ、篤利はそっと身を起こした。依頼は遂行しなければならない。そんな使命感が燃え上がり、寝付くことが出来ない。

 総志朗の顔をのぞくと、安らかに寝入っている。つんつんとつついてみるが、起きる気配はない。

 足音を忍ばせながら、そっと移動して、ハンガーにかかったスーツのポケットに手を伸ばした。

 総志朗が依頼のことやその他もろもろのことをメモ帳に書き留めていることを、篤利は知っていた。ソウマユウキのことも、もしかしたらそのメモ帳に書いてあるかもしれない。

 スーツの内ポケットにそれはあった。

 手の平に収まる小さなメモ帳には、乱雑な字でたくさんのメモ書きがされていた。

 総志朗がいきなり目を覚まさないか、ちらちらと確認しながら、メモ帳をめくっていく。メモを半分くらいめくり、ようやく『相馬優喜』の名を発見した。

 名前の下に住所がしっかりと書いてあった。

 それを書き写し、篤利はにんまりと笑う。初めて受けた依頼は、どうやら成功したようだ。





「どうぞ」


 翌日、梨恵の家に篤利は訪れた。

 梨恵は篤利が差し出した紙を恭しく受け取り、すぐにそれを見る。書かれた住所を確認し、にっこりと微笑んだ。


「ありがとう。やるじゃない。篤利君、探偵の素質あるんじゃない?」

「オレは何でも屋になるんだよ。だから、これくらい出来て当然」


 鼻高々の篤利。まだまだ子どもらしい篤利の態度を微笑ましく思いながら、梨恵はその紙をポケットにしまい、そっとその上に手を置く。

 ここを訪れ、相馬優喜という人物と対峙した時、何がわかるのだろう。良いことの可能性は限りなく低い。奈緒の行方を聞きたい気持ちはあるのに、知りたくない気持ちもある。知ることを恐れている。最悪の結果が訪れることを、片隅で勘付いているから。


「あ、そうだ。依頼料ね」


 はい、と千円札を篤利に渡すと、篤利は目を丸くして梨恵を凝視した。


「え! お金くれるの?」

「え? いらないの?」

「いる!」


 一瞬子どもに現金を渡すことに戸惑いを感じるが、依頼という仕事に対して報酬を与えるのは致し方ないだろう、と梨恵は千円札を「無駄遣いしちゃだめだからね」と言いながら篤利の手に握らせた。

 報酬を得た喜びで頬を紅潮させながら、篤利は「ありがとう!」と笑う。


「ところでさ、相馬優喜って、誰?」

「……知らなくていいことよ」


 篤利を巻き込みたくはない。人の死と向き合うにはまだ早い年齢だ。梨恵は遠くを見つめながら、強く拳を握りしめた。

 怖い。けれど、行かなくてはいけない。奈緒の行方を知るために。






 冬の夕暮れは早い。先ほどまで空を明るくしていた太陽はいつの間にか隠れ、辺りは闇を拡大していく。

 増えてきた雲が、月も星も隠していく。

 坂を上にある、高級住宅。相馬優喜の家に梨恵は訪れた。ぴっちり閉められた車庫の横で、梨恵は両手で体をさすり、冬の寒さを紛らわせる。寒さのためなのか、恐れのせいなのか、体の震えを止めることが出来ない。

 静か過ぎる住宅街。人の声も虫の声も、物音も何も聞こえてこない。そのせいで、その足音はやけに大きく聞こえてきた。

 革靴の、足音。

 暗闇の底から、ぬっと顔を出したかのように、彼は闇を引きずり歩いてきた。梨恵にはそう見えた。かすかにあったはずの夕暮れの光が彼の登場と共に消え去っていった。

 紺色の制服を身に纏った青年は梨恵に気付いたのか、じっと視線を梨恵に投げかけ、歩調を変えることなく、近付いてくる。

 逃げ出したい衝動を両足でふんばってこらえ、梨恵は彼を睨みつける。

 あの公園で、梨恵は彼を見ていた。総志朗を切りつけたあの時の青年が、あの時のままの鋭い眼光を光らせる。


「俺に用?」


 一陣の風が吹く。黒い髪がふわりと揺れた。冬の冷気を帯びた瞳が、梨恵を見据える。


「…あなたが、相馬優喜?」

「そうだけど?」


 彼の顔に薄笑いが浮かぶ。









 深い闇の、さらなる底を思わせる暗く光を宿さない瞳。

 あんな目をした人間が、この世にいるなんて。

 今思い出しても、怖くなる。

 あの瞳。

 彼と同じ、あの闇を映す暗い瞳。

 


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