CASE6 いじめられっ子:11
急展開です。
都会の光は遠く、まるで星のようにちらちらと輝く。
どこかの河川敷。まばらに生えた丈の高い草はすっかり枯れて、かさかさと音を立てる。
「ここ、どこ?」
バイクを降り、メットをはずしながら尋ねるが優喜の返事はない。
暗闇の向こうで、川の流れる音が聞こえてくる。
季節は十二月の終わり。今にも雪が降りそうな重い雲が垂れ込み、冷え切った空気が辺りを包む。河川敷であるためか風は強く、それがいっそう体を凍えさせた。
「雲がかかってて星なんか見えないよ。寒いし。帰ろうよ」
のしかかるように重い空気に耐えかね、奈緒はわざと明るい声でそう言って、振り返る。
優喜はメットをはずし、メットでつぶれた髪を直すように髪をくしゃくしゃと掻いていた。
「ここで、話したいことがあるんだ」
「ここで?」
わざわざこんな場所で話すことなんてあるのだろうか。戸惑う奈緒の手を優喜がそっと取る。ずっとバイクに乗っていたために冷え切った手。冷たい手につかまれて、寒気が走った。
道路から土手を上がり、川の方へと向かう。
川は真っ黒で、蛇のように波打っていた。
「面白い話をしてあげるよ」
「面白い話?」
優喜の目は遠いビルの光を映す。時折聞こえてくる車の音が近付き、そして遠ざかってゆく。
「二十一年前、俺たちは産まれた。産まれてすぐに、いや、産まれる前から、俺たちは狂わされた。まるでそれが運命付けられていたかのように、俺たちは心に欠損を抱え、ひたすらに憎み、そして、十七年前、俺と光喜が産まれた」
理解できない、不可解な話。奈緒は冷たい空気にどんどん体温を奪われて、血の気が失せていくのを感じる。
この場から逃げ出したい。そう思うのに、優喜につかまれた手を振り払うことが出来ない。
「俺たちは、ユキオを憎んでる。けれど、彼を見捨てることが出来ない。俺たちは同じ憎しみを共有し、その憎しみを晴らすためなら、何を犠牲にしてもかまわない。ユキオの憎しみは俺たちの憎しみ。俺たちをこんな風にしたやつらを消すことが、俺たちの意見の一致。俺たちにとって、総志朗は邪魔なんだよ」
ふと優喜の視線が奈緒を捉える。光を宿さない、暗闇に満ちた淀んだ瞳。体中に鳥肌が立っていく。
「あいつを消して、俺たちは俺たちの復讐を遂げる」
「な……何の話を、してるの? あたし、よくわからないよ」
刺すように痛い冬の空気に混じる、毒々しいまでの歪んだ何か。膝が震え、歯がかちかちと音を鳴らす。
「総志朗がなぜ、他人と関わらないようにしているか、わかる? 恋人や友人を作ろうとしない理由がわかる? まあ、あいつは認識が甘いから、恋人っぽいやつや、友達っぽいやつ、ましてや家族っぽいやつまでいるけど」
くつくつと喉を鳴らして、優喜は笑う。人を嘲り笑う歪んだ笑みが、顔にはりついている。
「馬鹿だよなあ。そう思わない? 黒岩さんがあれほど口をすっぱくして、人と深く関わるなと言ってるのに。あいつ、あんたみたいな子をそばに置いてる」
奈緒の手を握った優喜の手にぐっと力がこもる。奈緒は小さな悲鳴をあげ、その手を振り払おうとするが、男の強い力に敵わない。
「人は大事なものを失うと、簡単に壊れるんだよ。『総志朗』という壁を崩したくないから、黒岩さんは言うんだ。『恋人も友人も作るな。他人と深く関わるな』」
優喜は大きく笑う。静かな河川敷に、その声が木霊する。
「離して! 離してよっ!」
渾身の力を込めて、優喜を突き放す。優喜の手は簡単なほどにすぐに解かれ、奈緒は転びそうになりながらも走り出した。
だが、すぐに肩をつかまれ、勢いで倒れこむ。慌てて上半身を起こそうとした時、優喜が奈緒の上に馬乗りにのしかかった。
「言いたいことは?」
真っ暗な河川敷のその闇よりも深い、優喜の目。にやにやと浮かぶ薄気味悪い笑みは、心底この状況を楽しんでいるように見えた。
恐怖で高鳴る心臓。あがる息。唇は振るえ、全身がこわばる。
「遺言。無いの?」
声が出ない。助けを呼びたいのに、声が出てこない。
それでも奈緒は、懸命に声を振り絞った。
「総ちゃんに何かしたら、許さない。総ちゃんをいじめないで!」
寂しげな、あの不思議な色をした瞳。気丈なほどに強くあろうとする総志朗の凛とした姿。
目をつぶると、総志朗の顔が幾重にも重なって現れる。
奈緒は、総志朗の心の底にある悲しみを感じ取っていた。だからこそ、彼のそばにいたかった。離れたくなかった。大好きだったから。愛しかったから。
そばにいて、ずっと守ってあげたかった。
「総ちゃんっ! 総ちゃん!」
「奈緒ちゃん。それは無理なお願いなんだよ」
青白い月明かりで、何かが光る。月よりも冷たい光。鋭く輝くそれが、ナイフであることはすぐにわかった。
「や、やめて! あたし、死ねない。総ちゃんを置いて死ねないっ! いや! いやぁっ!」
しっかりと押さえつけられた体。いくら暴れても逃げることは出来そうにない。ナイフがぎらぎらとその冷たい光を放つ。
「奈緒ちゃん」
優喜の顔が、奈緒の顔の間近に迫る。吐息さえもわかる距離。白い息が舞う。
「君は死ぬんだから、何も出来ないんだよ。もう、永遠に」
どんよりと重い黒い雲から、ふわふわと降りてくる白い雪。
ひとつふたつ流れ落ちる涙が、地面を濡らす。
「雪……」
天使が降りてくるみたい。
小さな天使が奈緒の下に舞い降りてくる、そんな錯覚に陥る。
雪をつかみたくて手を伸ばそうとするが、力が入らない。奈緒はなんとか右手をかざして、雪に触れた。
じわりと、染みこんで消えてゆく。
ふと見たその手は真っ赤に染められ、雪に触れても、その冷たささえもわからない。
「総ちゃん……」
あの雪の日に、助けられた命。総志朗の熱い手を、優しい瞳を、力強い言葉を思い出す。
「総ちゃん、ごめんね……」
体中が冷たい。けれど、ぽっと灯る、温かさ。いつか見た、ストーブのオレンジ色。ふわふわの毛をした犬。寂しそうに笑った、あの時の総志朗の顔。
愛おしい。別れることが、つらい。
冷えゆく体に、別れを告げ、雪の舞い散る空に目線を移す。白い雪がぼんやりと広がっていった。
「かわいそうにね。総志朗に関わりさえしなければ、こんな最後を迎えることは無かったのに」
優喜はそうつぶやき、空を見つめる奈緒の目をそっと閉じさせる。
「さようなら」
血の滴るナイフを川に向かって放り投げる。黒々とした川にゆらゆらと波紋が広がった。
まるで、定められたシナリオのように進む。
私たちは、マリオネットのように気付かぬうちに誰かに操られ、踊らされる。
もっと早くそのことに気付いていれば。
運命を変えることが出来たかもしれないのに。
私たちは――
私たちはそれでも、シナリオ通りに生きてゆく。
The case is completed. Next case……ストーカー