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CASE6 いじめられっ子:09

「高校を変える?!」

「うん」


 突然の話に、奈緒の両親は口をあんぐり開けて目を見開いた。奈緒の真剣な表情が「冗談で言っているわけではない」と訴える。


「何言ってるの! せっかく受かったのに、何考えてるの?!」


 母親がやっと事の次第を理解したのか、唇を震わせてそう怒鳴った。だが、奈緒は怯むことはない。


「あたしのこといじめてた子が、同じ高校なの。行きたくない」

「同じ高校って……はっきりわかってるのか?」


 母親に比べて幾分冷静な口調の父親が、奈緒をじっと見据える。奈緒はその目を見つめ返して、うなずいた。


「奈緒! そんなことで高校変えるなんておかしいわよ! いじめになんか負けないで今まで学校行ってたじゃない! これからだって頑張れるわ。 奈緒はそんな弱い子じゃないでしょう?!」

 

 金切り声をあげて、感情的に言葉をぶつける母親。父親はそんな母親の肩をつかみ、「そう怒鳴るな」となだめる。

 奈緒は予想していた母親の怒鳴り声を受け入れながら、つばをごくりと飲み込んだ。今、人生の選択を迫られている。負けるわけにはいかない大事な時。

 吠えかかる犬から逃げようと、川に飛び込んだミル。犬に飛びかかることも出来た。逃げた先は死ぬかもしれない冷たい川。どちらを選択しても、待ち受けるのは苦難。

 けれど、どちらを選択することが、一番自分にとって『良いこと』なのか判断するのは、他の誰でもない。自分自身なのだ。


「あたし、弱い子じゃないよ。でも……強くもないよ。お母さん」


 奈緒の目がまっすぐ母親の目を射抜く。強いその目に、母親は何かを言いかけた口を、ぐっと閉じた。


「いじめられた三年間、あたし、頑張ってきたよ。クラス中にシカトされても、死ねって言われても、頑張って学校行った。だから、もういいじゃん。もう、頑張ったよ。だから、もう頑張らなくてもいいじゃん」

「奈緒、そんな弱いこと言っちゃだめ。大丈夫よ。奈緒ならまた頑張れるわ」


 流れる重い空気。奈緒は涙が落ちそうなのを必死にこらえながら、一言一言を噛みしめるように話し始めた。


「あたし、死のうと思ったの。マンションの屋上から、飛び降りようとしたの」


 母親の顔が一瞬で蒼白になる。奈緒につかみかかろうと前のめりになるのを、父親が静止し、奈緒に続きを話すように促す。


「高校行ってもまた三年間いじめられるのかと思ったら、耐えられなかった。また地獄が三年も続くなんて考えたら、死んだ方がましだって思った。あたしには、楽しい未来なんて思い描けなかった。だから、もういいやって。死のうとした」


 涙をずっとためこんだ奈緒よりも早く、母親の目から涙がぼろぼろと落ちてゆく。妙に冷静な気持ちでそれを眺めながら、奈緒はまた語り続ける。


「雪がいっぱい降ってた。あと一歩で死ねた。でも、止められたの。加倉総志朗って人に。あたしがマンションの屋上にいるのが見えて、驚いて駆けつけてくれたんだって。死ぬことだけが逃げ道じゃないって、したたかになれって教えてくれた」


 思い出す、力強い手。あの手こそが生きる力を与えてくれた。


「逃げる道は他にもいっぱいあるのに、『死』はそこですべてが終わりで……。まだ、逃げる方法はあるから、終わりを選ぶ必要は無いって、やっと思えた。総ちゃんは、あたしに逃げる道を教えてくれた。無理するなって言ってくれた。あたしは、亜衣子から逃げる。でも、負けたわけじゃないんだよ。逃げるが勝ちっていうじゃん」


 涙を両手で拭いながら、母親は黙ったまま。父親の手が、奈緒の頭をそっとなでた。


「その人に、まずはお礼を言わないとな」

「うん」

「奈緒。三年間、よく頑張った。奈緒の気持ち、お父さんは全然わかっていなかったな。悪かった。奈緒が決めたことなら、それが一番いいんだろう。お父さんは反対しないよ」

「お父さん!」


 優しい父の言葉が嬉しくて、奈緒は父親に飛びつく。温かい手が、奈緒の頭をぽんぽんとなでる。


「死のうとしたって、本当なの……?」


 後ろで、母親の震える声が聞こえた。奈緒は父親から身を離し、母親に向き合うと、大きくうなずいた。


「馬鹿な子! 何を考えてるの!」

「ごめんなさい」


 母親の化粧はすっかりとれて、ファンデーションが涙の跡で汚れている。奈緒の手を何度も何度も叩いたあと、小さな声で言った。


「生きててよかった」

「うん……」


 我慢していた涙が、ほろりと落ちる。もしあの時、総志朗が止めてくれなかったら。死んでいたら。そう考えて、ぞっとした。母親がどれだけ悲しむか、今まで考えてもいなかった。


「お母さんも、奈緒の決めたことだから、もう反対しない。けど、二次募集で受けるなら、絶対受かりなさい。それだけが条件」

「うん」


 やっと笑顔がこぼれる。父親も母親も、涙を流しながらにっこりと笑った。奈緒は心の中に溜まりこんでいた埃がやっと一掃された爽快感を感じていた。

 開き直った気分だった。そして、ほんの少し強くなれた気がした。







 奈緒ちゃん。

 私のしたことを、どう思う?

 最低だよね。

 奈緒ちゃんがいてくれたら、良かったのに。

 わかってる。

 それが責任逃れだって。

 でも、苦しいよ。

 後悔が、永遠に消えない。








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