CASE6 いじめられっ子:05
制服で歩いていると補導員に捕まる可能性がある。もちろん私服だって捕まる可能性は高いが、制服でいるよりはましだろうと、奈緒は家に一度戻り、私服に着替えた。
学校にも風邪をひいたから休むと伝え、家を出る。
「ミルちゃーん! ミルちゃんどこ〜?!」
声を張り上げた後、うつむく。こんな方法で見つけることなんて出来るのだろうか。
だが、泣いているであろう飼い主の結衣ちゃんを思うと、あきらめるわけにはいかない。
「ミルちゃーん! 出ておいで!」
「なにしてんの」
後ろから突然の声。瞬間、奈緒は肩を震わせる。毎日毎日聞いているこの声。声を聞いただけでぞっとしてしまうのは、この声の主から受けた傷のせいだ。
「……亜衣子」
奈緒のすぐ後ろで、意地悪そうに笑う亜衣子。登校途中だった彼女の後ろには、いつもつるんでいる仲間が三人いた。
「ミ〜ルちゃ〜ん! ってばっかみたいに声張り上げてさあ、なにしてんの?」
長い髪をかきあげ、亜衣子は歪んだ笑みを絶やさない。奈緒はおびえて、ただ身を縮ませるだけ。
「答えなよ!」
亜衣子の仲間のひとりが、奈緒の肩をどつく。強い力に、奈緒はよろけながらも、小さな声で答えた。
「犬を、探してるの」
「犬ぅ? いるじゃん、犬なら。ねえ?」
亜衣子が同意を求めるように仲間達に視線を送る。仲間達は、楽しそうに何度もうなずき、奈緒を指差した。
「あんたのことだよ。いっつもワンワン泣いてさあ。あたし達の顔色ばっか伺って。ちょ〜犬みたい。ほら。泣きなよ。ワンワンってさ!」
ゲラゲラと響く、下品な笑い声。
いつの間にか、亜衣子の仲間達が奈緒を囲み、奈緒に逃げられないようにしていた。
「泣けよ!」
弁慶の泣き所に蹴りが入る。骨に響く痛みで、奈緒は地べたに尻をついてしまった。融けてきた雪が尻を冷やしてゆく。
「ほんと、あんたって、見てるだけでむかつくわ。早く死ねばいいのに」
「ねえ。なんで生きてんの?」
「こんないてもいなくても同じようなやつ、死んでも誰も悲しまないし」
「いなくなればせいせいするのにね〜」
頭上で交わされる会話は、まるで雨のよう。叩きつけるように降ってくる雨があっという間に自分を冷たくして、そのままでいれば、簡単に死ぬことができるような気さえしてくる。
あたし、死んじゃった方がよかったの? あの時、死んでいればよかったの?
そんな考えがよぎる。冷たい雨は止む気配なんてない。地面についた手の平はどろどろと融けた土で真っ黒に染まっていた。
足元に広がる薄汚れた水たまりに光が反射する。きらりきらりと輝く光は、汚い水たまりさえ、綺麗に見せた。
その瞬間だった。奈緒は思い出した。総志朗の言葉を。
――『死ね』って言われたら『ふざけんな! だったら百歳まで生きてやる!』つうさ、ふてぶてしさがあんたには必要だと、オレは思うよ。
「ふ……」
汚れた水たまりに沈んだ手をぐっと握りしめる。手に力を入れ、一気に立ち上がると、罵声を飛ばし続けていた亜衣子達が、驚いて押し黙った。
「ふざけんな! あたしは百歳まで生きてやる! 絶対、絶対あんた達の思い通りになんかならないっ!」
腹の底から溢れ出た思い。奈緒はそれをぶちまけるように、大声で叫んだ。
一瞬奈緒の気迫に黙り込んだ亜衣子だが、負けじと奈緒をまたどついた。
「な、なに急に叫んでんの? ばっかみたい!」
今までは何を言われてもうつむき、何も言わない奈緒が、初めて反論してきた。亜衣子は動揺を隠し切れず、わなわなと唇を震わせていた。
「なにしてんの〜?」
亜衣子の後ろから、ひょっこり顔を出し、のん気な声をあげたのは総志朗だった。土と水に汚れた奈緒の姿をじろじろと見ると、ハンカチを投げて渡した。
「オレの大事なお客様、いじめないでよ」
「いじめてなんかないわよ! 奈緒が勝手に足すべらせてこけただけよ!」
「じゃあ、なんで助けてあげないわけ?」
反論できず、亜衣子は唇を噛む。総志朗は亜衣子の横を通り、奈緒の前に立つ。奈緒の肩を二度優しく叩き、亜衣子の方に向き直る。
「あんたが、亜衣子?」
「なんで知ってんの?!」
「いかにも亜衣子って顔してんじゃん」
「なにそれ。意味わかんないんだけど。行こう、皆」
いきなり現れた男に戸惑いつつも亜衣子の言葉に従い、皆立ち去ろうとする。だが、総志朗は亜衣子の肩をつかみ、それを阻止した。
「あんた、かわいいね。オレ、奈緒の友達。よろしくね」
極上の笑顔を亜衣子に向ける総志朗。途端に亜衣子は真っ赤に頬を染め、総志朗を見つめる。
「な、何言ってんの。早く行こう!」
総志朗の手を振り払い、亜衣子は走って行ってしまった。亜衣子の仲間達も、慌てて亜衣子の後を追って、走り去る。
「総ちゃん……」
総志朗が助けてくれたことが嬉しくて、奈緒は泣いてしまっていた。けれど、気持ちは複雑だ。亜衣子をかわいいと、総志朗が言ったことがくやしい。やきもちだ。
「頑張ったな。奈緒。よく言った」
「うん……」
総志朗の手が、奈緒の頭をなでる。子ども扱いされている、そう思ったが、なんだか嬉しかった。
人は弱い。
けれど、弱いからこそ、時に強い。
誰かのために、人は強くなる。
誰かがいるから、強くなる。
あなたを想う。
今までも。これからも。
いじめの場面というのは、読んでいる方はもちろんそうでしょうが、書いている方も心苦しいです。
「死ね」とか文章にすると、きつい言葉だな……と改めて実感します。