CASE6 いじめられっ子:02
CASE6は奈緒の過去です。
奈緒15歳、総志朗17歳。
強い力が奈緒を引き寄せる。
奈緒はそのまま柵に寄りかかり、ずるずると座り込んでしまった。
「あ、おい! そんなところに座るな!」
「なんで……」
「あ?」
「なんで止めるのよおっ!」
死ねなかったくやしさ。生きている喜び。ぐちゃぐちゃになった感情が涙となって溢れ出る。
奈緒を止めたその男は、雪をかぶったくせっけの髪を掻き、「まいったな」とつぶやいた。
家に帰りたくないと奈緒が駄々をこねたため、男は奈緒を喫茶店へと誘った。
街角にある小さな古びた喫茶店。ソファーは穴があいていて、テーブルはがたがただ。
だが、店主が持ってきたココアはとびきりおいしかった。
「オレ、加倉総志朗。あんたは?」
おもむろに男は自己紹介をすると、ブラックコーヒーをぐびぐびと飲む。
「あたしは、白岡奈緒……です」
歳はさほど変わらないように思えたが、線の細さが残る同学年の男子より、体格がしっかりしている。雪にぬれて湿ったキャラメル色の髪はくるくるとパーマをかけたようになっていた。茶色のまわりを緑色が花を咲かせているような不思議な瞳の色は、どこか他の国の血が混ざっているようなかんじがした。
奈緒はじろじろと加倉総志朗を観察し、恥ずかしくなって目線を下げる。
「何が原因だかは知らねえけど、簡単に死のうとするなよ。バカじゃねえの」
「バカって! あたし、すっごくすっごく悩んで決めたんだもん! あたし、バカじゃなもん! 死ぬのなんて怖くないんだから!」
バカと言われて激昂する奈緒を、総志朗はあきれた目で見ている。奈緒はそれがくやしい。
「死ぬのが怖くないって……。なんだ、それ?」
「死ぬの怖がるのは弱い子なんだよ! あたし、弱くない!」
総志朗の視線は依然としてあきれ返っている。
「死を選ぶ奴のがよっぽど弱いとオレは思うけど。強がりはやめろよ」
的を射た言葉。奈緒は反論することが出来ず、うつむく。
「何があったの? 本音を言えば? 弱音を吐いたって、あんたとオレ、もう二度と会わないんだ。だったら、何言っても平気じゃね?」
顔は上げず、目線だけを上げて、総志朗を見る。惹きこまれそうになる不思議な瞳。優しい色だと、奈緒は思った。限界まで凍りついていたものが、ほろりと解けた気がした。
初めてだった。こうして向き合って、話を聞いてくれようとした人と会うのは。
「あたし、中学校に上がってからずっと、いじめられてるの。あたしがとろいのとか、しゃべり方とか、ドジってばっかりなこととか、むかつくんだって」
「あ〜。確かに」
「確かにとか、納得しないでよぅ」
総志朗はクスクス笑って「ごめん」と謝る。肩の力がすっと抜けた気がした。
「でも、そんなこと言われても、すぐには変えられないでしょう? 気付いたら、皆あたしのことシカトしててね。亜衣子って子が中心になって、あたしのことリンチしたり、教科書ぐしゃぐしゃにしたり、カバンの中に犬のウンチ入れられたりされたの」
話している内に、嫌な思い出が次から次へと浮かんできた。
彼女達から吐き出される言葉は、どれも自分の存在を否定するものばかり。
色んなことで傷ついたけれど、言葉が一番、きつかった。
「『死ね』とか『消えろ』とか毎日言われた。でも、3年間頑張ったの。我慢したの。耐え抜いたの。もうすぐ卒業で、あたし、亜衣子から逃げられるって思ってた。けど、違ったの」
総志朗はとても真剣な顔をしていた。次の奈緒の言葉を待っている。奈緒は深呼吸をして、また話し始めた。
「あたし、高校に行ったら、もういじめられないように、自分を変えて、頑張ろうと思ってた。強い子になろうって思ってた。だけど……亜衣子、同じ高校なんだって。高校に行っても、亜衣子がいるの。いじめられる生活がまた3年も続くの。もう、耐えられないって、思った。だから、死のうと、思った」
涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえる。膝の上で強く握られた手が、小刻みに震えていた。
「なんつーかさあ……あんた、頑張りすぎじゃねえの?」
「え?」
「3年間も頑張っていじめ耐えてさ、そんで高校までってなったら、誰だって逃げたくもなるよ。だったら逃げりゃあいいんだ。逃げるが勝ちってことわざ、知ってる?」
「知ってるけど……」
総志朗は両手をあげ、ソファーに身をゆったりと預ける。その視線は、奈緒ではなく、天井から吊るされたステンドグラスのライトに注がれていた。
「でも、逃げ道を『死』に限定する必要なんてないんだ。逃げ道なんていっぱいある。『死ね』って言われたら『ふざけんな! だったら100歳まで生きてやる!』つうさ、ふてぶてしさがあんたには必要だと、オレは思うよ」
「ふてぶてしさ……」
「そ。したたかさともいう」
「したたたきゃさ」
「言えてねえし。たが多いし」
奈緒はぷっと吹き出してしまった。暗い話をしたのに、彼が醸し出す雰囲気で、暗さがすっ飛ぶ。奈緒はそれが嬉しかった。
「どうすれば、そうなれるの?」
「それはあんたが自分で探さなきゃだめでしょう。おっと、オレ、仕事中だったんだ。もう行くよ」
伝票をさっと取ると、総志朗は歩き出してしまった。奈緒は慌てて、彼の服のそでをつかむ。
「あ、あの、連絡先! 連絡先、教えて!」
総志朗はにっこりと微笑み、ジーパンのポケットから、一枚の名刺を取り出した。それを奈緒に恭しく手渡す。
「どうぞ」
「ありがとう。えと、何でも屋……って?」
名刺の一番上に書かれた『何でも屋』の文字。それを手でなぞりながら聞くと、総志朗はにっと笑った。
「そ。何でもやるから、何でも屋。なんかあったら、電話して。金次第でなんでもやるよ」
パチンとウィンクして、総志朗は言う。
「いじめっ子をぎゃふんと言わせたりとかね」
奈緒ちゃん。
奈緒ちゃんは総志朗に救われたって言ってたね。
でもね、私、思うの。
総志朗も奈緒ちゃんのおかげで、いっぱい救われてたんだって。
奈緒ちゃんと一緒にいた時の彼は、とても……
とても楽しそうだったから。