表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/176

CASE5 愛人:06

 篤利を家まで送った後、総志朗はマンションに戻り、料理を用意して待っていた。

 今日はクリームシチュー。シチューのルーが入っている箱に書いてあるレシピそのままで作ったのだが、なかなかうまく出来た。

 ほくほくと湯気をあげるシチューを軽く混ぜながら、鼻歌を歌っていると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。


「おかえり〜」


 キッチンから玄関に向かって大声で呼びかけるが、反応が無い。

 不思議に思いながらキッチンから顔を出すと、疲れきった顔をした直子がボーっと立っていた。


「直子さん? おつかれ。ご飯出来てるよ」

「え、えぇ」


 びくびくとした態度の直子に、総志朗は首をかしげる。

 直子は何も言わずに、テーブルにつき、総志朗が持ってきたシチューをじっと見つめたまま微動だにしない。


「クリームシチューはお嫌いですか?」


 話しかけても直子は無言。仕方なく、総志朗は自分のクリームシチューをズズズとすする。


「あなたは」

 

 意を決したように、直子は口を開いた。今にも泣き出しそうな顔をしていた。


「あなたは知っているの?」

「何を?」


 直子の視線が下がる。テーブルに置いた手をじっと見つめる。

 

「自分の中に、別の人格がいること……」


 直子の声は震えていた。

 総志朗はくわえていたスプーンをテーブルにそっと置き、直子を睨む。


「さあね」


 まだ少ししか手をつけていないクリームシチューの皿を乱暴につかみ、シンクにドンと置く。

 その音に直子が肩を震わせたのが、見えた。


「オレは、オレなんだ。たとえ、本物じゃなくても」

「わかっているの?」


 直子の問いかけに総志朗は答えない。心臓の内側から冷たい水が溢れてくるような感覚が、総志朗を襲っていた。






『ごめんね、ケータイ忘れちゃったの。悪いんだけど、駅まで持ってきてくれない?』


 次の日の朝、ソファーの上でブルブルと震えるケータイから聞こえてきたのは、直子の声だった。

 出勤した直子からの電話。どうやら公衆電話から自分のケータイにかけてきたらしい。

 総志朗は快諾して、コートをはおり、ケータイを手に取った。

 白い真新しいケータイ。ポケットに入れようとして、総志朗はふと手を止めた。


「どうも怪しいんだよな、あの人」


 生活感の無いマンション。生活していたとは思えない、汚れの無さ。

 総志朗はどうもそれが気になっていた。

 そして、昨日の直子の様子。何もかもを知っている、総志朗にはそれがわかった。

 心の中で謝りながら、ケータイを開く。

 右のボタンを押すと、リダイヤルのページが出てきた。


「香塚先生……?」


 5件表示された内の3件が、『香塚先生』

 

 ――香塚先生、彼をどうするつもりなんですか?


 記憶が泡立つ。知っている。『香塚先生』と呼ばれる人物を知っている。

 けれど思い出せない。警鐘が聞こえる。思い出してはいけないと、心の中で騒ぐ声が聞こえる。

 頭を抱えたその瞬間、ケータイから着メロが流れた。


「もしもし」

『まだ?! 遅刻しちゃうから、早くして!』


 直子からの電話だった。総志朗は「すぐ行くよ」とうなずき、ケータイをポケットにしまった。




 

「黒岩さん、いる〜?」


 クラブ・フィールドの表の入り口が開いている。聞かなくてもそこに学登がいるのはわかっていたが、総志朗は声を張り上げながら、中へと入った。

 モップを片手に掃除をしていた学登が、「おう」と総志朗に笑いかける。その拍子にくわえていたタバコの灰がぽろりと落ちた。


「お前、奈緒ちゃん振って、なしえちゃんとこ出たんだって? 何やってんだ?」

「女とは恐ろしい生き物ですからね。深入りしちゃいけねんだよ」


 わざとらしく真面目な顔をつくり、うんうんとうなずく総志朗の頭を、学登はモップの柄でゴンッと叩く。


「ガキがナマ言ってんじゃねえよ。で、また俺に頼みごとか?」

「頼みごとっつーか、聞きたいこと」


 モップを壁に立てかけ、学登はカウンターに肘をつく。総志朗もそのそばに行き、カウンターに置かれたライターを転がして遊び始めた。

 

「香塚先生って、誰だかわかる?」


 ライターをいじっていた手が止まる。学登の表情がみるみる変わっていくのがわかった。


「覚えてないのか?」

「なんとなくしかわかんねえ」


 くわえていたタバコを灰皿に置いて、学登は大きく息を吸い込んだ。


「なんでそんな名前を突然……」

「依頼人の女のケータイに、その名前があったんだ」


 息苦しい、総志朗はそう思った。空気が重たい。学登の表情は苦しそうだった。


「お前、狙われてるぞ。わかるな? お前だってあそこにいた時期があっただろう?!」

「でも、あいつは」

「明と統吾が押さえてるから平気だって言いたいのか?」


 総志朗は迷いつつもうなずく。そんな総志朗を見て、学登は深々とため息をついた。


「いいか? お前は加倉総志朗として生きてきた。これからも、じーさんになって死ぬまで、お前は加倉総志朗として生きるんだよ。それは、明と統吾も望んでいることだ。負けちゃだめだ。あいつの意思に飲み込まれるな。いいな?」


 学登の手が総志朗の肩を叩く。その優しさが、胸に刺さる。湧き上がる不安。漠然とした不安は、せまりくる夜の闇のように、光を消してゆく。

 いつも感じている、自分の中にいるもうひとつの闇。守ろうとしてくれる、存在。

 見え隠れする、まだ知らない黒いもの。


「わかってる。黒岩さん、わかってる」


 もたげる不安は消えない。








 あなたの感じていた不安は、恐ろしいくらいに巨大で、歪んでいて、凶悪だった。

 あなたは、それでも生きようと、耐えていた。

 人には芯があって、折れない芯があって、だからこそ強くいられる。

 けれど、それは、強くもあり、もろくもあった。

 誰しもがそうであるように。

 

  




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ