CASE5 愛人:05
再登場の篤利は、『CASE3 犯罪者』の時の依頼人です。
小学校6年生。いつもキャップをかぶってるので、将来はハゲる予感の男の子。
「親とはどうなんだよ?」
車のシートを後ろに下げて、すっかりリラックスムードの篤利は、総志朗の質問に気だるそうに答える。
「仲良くやってるよ。それなりに」
「友達は出来たか?」
「んー……。ちょっとはね。もういじめられてはいねえよ」
照れているのか、篤利は帽子を深くかぶりなおす。
以前のような思いつめた暗い表情はもう見えない。ふてぶてしさは相変わらずだが、さっぱりとした表情をしていて、総志朗は安心した。
「オレ、前ほど周りのことが気にならなくなったんだ。人がなんて言おうと、オレは両親のこと、嫌いじゃないしさ」
「お前、変わったな。前向きになったじゃん」
少し走った先の信号は赤だ。ゆっくりと減速し、白線で止まる。
「あんたはどうなんだよ?」
「オレ? オレはまあ、ぼちぼちってとこ」
曖昧な笑みがこぼれる。目線は信号からはずさず、決して篤利のほうは見ない。
「オレさあ、けっこうあんたのこと心配してんだよ。しっかりしてるようで、しっかりしてねえし。おちゃらけてるのは、色々隠すためっぽいしさ」
篤利の意外な観察眼の鋭さに驚いて、総志朗は横目で篤利を見た。篤利はニッと笑い、大きな伸びをした。
「お前、するどいね」
そう言うだけで、総志朗は目線を信号に戻してしまった。信号は青へと変わる。
「あの怖いねーちゃんは元気?」
「会ってないから、わかんねえけど。元気なんじゃね」
梨恵の堂々とした姿が目に浮かんだ。端整な顔を台無しにして怒鳴ったり笑ったりしている姿が、懐かしい。
「会ってない? なんで?」
「ああ、引っ越したんだ」
「へえ……。今はどこに住んでんの?」
「いや、探し中かな」
直子のマンションは仮の宿だ。依頼が終われば出て行かなければならない。
「ふーん。オレ、いい物件知ってるぜ」
「は? まじ?! どこ?!」
直子のところを出れば、すぐにホームレスの生活が待っている。それを思うと憂鬱になっていた総志朗にとって、篤利の言葉は飛びついてしまいたくなるほど魅力的だった。
「オレのじいちゃん、アパート経営してんだ。1Kとかの。ちょっと汚いけど、なかなか立地はいいぞ」
「家賃は?」
篤利がにやりと笑って、指を4本のばす。東京の立地のいい場所で4万は破格以外のなんでもない。
「まじかよ! 篤利、じいさんに話つけといてくれよ! オレ、2週間後くらいにはそこに住みたいんだ」
「オーケー。じいちゃんに聞いとくよ。あ、そこ右ね」
「は?」
4本伸びていた手がすっと右を指差す。
何言ってんの? と顔を歪ませる総志朗に、篤利は不服そうに口を尖らせた。
「アパート紹介してやるんだから、送ってくれてもいいだろ?」
「てめ、最初から送ってもらうつもりだったんだろ」
篤利の顔は嬉しそうだ。にやにやとした笑みを我慢しようとしているのか、口元がひくついている。
「あんたに教わったことだぜえ? 人をだますには最初が肝心」
「オレはんなこと教えてねえぞ!」
「契約書でオレのことだましたじゃん。あれでオレ、学んだんだ。だます時にはポーカーフェイスで強引に」
口をあんぐりと開け、あきれ返って何も言えない総志朗をとっても楽しそうに篤利は見つめながら、にんまりと笑って、また指をさした。
「そこ、左ね」
ま、負けた……。
今時の小学生はなかなかに頭がいい。総志朗は舌を巻きつつ、ハンドルを左に切った。
「ユキオではない、別の人格?」
「はい。右目は茶色なのに、左目だけグリーンで。猫のような……。すべてを見透かしているようで、怖かったです。もしかしたら、私が何のために近付いたのかわかっているのかも……。いえ、きっとわかっています。一体、あの人格は……」
高級そうな絨毯と、重厚な本棚。大きな机。本棚にはずらりと医学書が並び、机の前に座る男は白衣を着ていた。
50代にさしかかったその男は、白髪交じりの黒髪をオールバックにし、威厳を漂わせながら、革張りの椅子に腰掛けている。
直子はその男の前で、震える腕を必死に押さえていた。
本当はもうあのマンションに帰りたくない。けれど、この仕事を終わらせれば、報酬がもらえる。それを考えると、本音を口に出すことが出来ない。
男は椅子のひじ掛けに体重をかけながら、ゆっくりと立ち上がると、タバコを手に取った。
「もう少し様子を見よう。あの子達は私が創りだしたものだ。殺したくはない。ユキオが目覚めなければいい。それだけの話だ」
「ですが、光喜と名乗った彼は、先生のことを知っていました!」
「光喜……ね」
男の口元から紫煙が吐き出される。ふわりと広がり、霧散して消える。
「恐ろしいのはユキオだ。あの子は理性が無い。いいか? あの子に出会ったら、決して刺激を与えるな。あの子は危険すぎる。わかったな?」
「私、怖いんです!」
「大丈夫だ」
「香塚先生!」
直子の悲痛な叫びを男は聞き入れる気はないらしい。タバコをまた吸って、ゆっくりと吐き出す。とても満足そうだ。
「瀬尾君、安心しなさい。もしもの時の手筈は整っている」
「それは……」
「私が手を下す。その準備もしてある」
直子はあきらめ、目を伏せた。小さな声で「はい。わかりました」と返事をすることだけで精一杯だった。
ユキオ。
誰もが恐れた彼を、目覚めさせたのは。
ユキオを巡る、人間関係。
巻き込まれたのは。
犠牲になったのは。
私があの時、見たのは。
冷たい、氷のような目は。
ユキオ。
目覚めてはいけない、悪魔。