CASE5 愛人:01
「は? 出てく?」
「ああ。お世話になりました」
「お世話になったって……。なんで?」
総志朗は梨恵を見ようともせず、大きなバッグに荷物をつめこんでいた。
スエットの上下とYシャツ、ネクタイ。あとは日常に使うものだけ。バッグの中身は少ない。
「なんでって言われてもねえ、ま、なんでもいいじゃん」
総志朗の軽い口調が癇に障る。梨恵は釈然としない気持ちで、出て行く準備を淡々と進める総志朗を睨んだ。
「ちゃんと理由を言ってよ!」
「……梨恵さんさ、オレとの共同生活、嫌だったろ? だからいいじゃん。今までありがとね」
「何よそれ! 嫌だなんて思ってないよ!」
少し驚いた顔で総志朗は梨恵を見上げる。座り込む総志朗の前で、梨恵は仁王立ちしていたのだ。
「そ。でもさ、出てくから」
荷造りを終え、バッグを抱えて立ち上がる。梨恵は総志朗の行く手を阻もうと、総志朗の前から離れない。
「なんで?!」
「なんでもいいじゃん」
どんなに粘っても理由なんて言ってくれそうもない。梨恵は身を引いて道を譲る。
総志朗はすたすたと玄関の方へと行ってしまう。まるで何も未練を感じていないように。
「ふざけんなっ!」
梨恵は冷蔵庫に走る。気に食わない。何が不満で出て行くというのか。
「納豆持って帰れ! 私は食べないんだよ! 納豆なんか!」
3個パックの納豆を投げつけてやると、総志朗は口元に笑いをこらえて振り返った。
「梨恵さん、ウケる」
「ウケなんて狙ってない! バカッ!」
総志朗は楽しそうに笑い、納豆を拾うと、「持って帰るよ」とバッグにしまった。
そして、にっこりともう一度笑う。その笑顔に梨恵はぎゅっと胸が痛くなった。
無理して笑っている、そう感じたから。
梨恵の家を出た後、総志朗は行く当てもなく、街を彷徨っていた。最初の一日は漫画喫茶で過ごしたが、次の日からの生活を思うと、どっと疲れる。
しばらくはホームレスか……
そう考えると、気持ちが沈んでいく。けれど、梨恵の家にいるわけにはいかなかった。
相馬優喜。彼が何をしようとしているのか、わかってしまったから。
とぼとぼと街中を歩く。学登のところに行こうと思ったが、その気にはなれなかった。
「ねえ、あなた」
女がトンと、総志朗の肩を叩いた。物思いにふけっていたから、びくりと肩を震わせてしまった。
それが少し恥ずかしくて、総志朗は曖昧に笑いながら振り返る。
30代前半くらいだろうか。ベージュ色のスーツを着こなし、首元にはシャネルのネックレスが光っている。セミロングの髪をクルクルときれいに巻き、赤いルージュをひいた、色っぽい女がそこにいた。
「ね、ちょっと飲みにいかない?」
ナンパである。面食らったが、食にありつけるのはありがたい。総志朗は「オレでよければ」と紳士的に笑顔を浮かべた。
「私、瀬尾直子34歳。独身。よろしくね」
「ひょえ〜。でけえ〜。広〜」
飲み屋で飲んだ後、バーに行き、ついには家にまで連れ込まれてしまった。
瀬尾直子はずいぶんキャリアウーマンのようだった。郊外とはいえ、デザイナーズマンションの15階に居をかまえていたのだ。
玄関を開けるとすぐに広がる大きなリビングには、ふわふわの白いカーペットが敷かれ、大きなテレビがドンと置いてある。テレビの横には熱帯魚の水槽が二つ置いてあって、悠々と大きな魚が泳いでいた。
「ねえ、何でも屋さんやってるって言ってたわよね?」
スーツの上を脱ぎ捨てながら、直子はささやいた。チューブトップだけになった姿は色気が漂う。
「まあね」
「じゃあ、依頼。私のヒモになってよ」
「ヒモ」
「そ、ヒ〜モ」
「結ぶ……」
「そのヒモじゃないから」
色気むんむんの女からの突拍子もない依頼。総志朗は寒いギャグを言ってしまったが、クールに返されてしまった。
「私さ、結婚とかしたくないのよね。でも、若い子好きなの。だから、ちょっとそばにいてよ」
「ええと、それが依頼?」
「そうよ〜。だって寂しいんだもん。彼氏と別れちゃったし。若い子と遊びたいじゃない」
7,8人は座れそうな大きなソファーに直子は寛いだ様子で座る。挑戦的な目で総志朗を見つめる。
「期間は?」
「今ね、目をつけてる男がいてさ、そいつを落とすまでかな。だから〜……う〜ん、1,2週間」
1,2週間で男を落とす。その自信にあきれるが、直子から漂う色気が男を落とすなんて簡単だと物語っている。妙に納得して、総志朗はついうなずいてしまった。
「やった〜。じゃ、契約成立ね! あ、でも炊事洗濯はやってねえ」
「了解」
次の日、瀬尾直子は出勤の準備を早々に済ませ、マンションを出て行った。
直子はバッグからケータイを取り出すと、電話をかける。
『もしもし』
電話の向こうからかれ気味のハスキーな声が聞こえてくる。
「瀬尾です」
『どうだ? ユキオには接触できたか?』
「いえ……。総志朗と名乗っていました。ユキオがいるようには思えませんでした。他の人格が出る様子もありません。まだ初日ですし、今後はわかりませんが」
『2週間は様子を見てくれ』
「はい」
直子は電話を切ると、大きなため息をついた。
「出てくるのかしら……ユキオ」
寂しいんだ。
そう、寂しい。
あなたと過ごした時間なんて、本当にわずかだったけど。
それでも。
家族のように過ごしたあの日々が、愛おしい。
戻ってこない日々を、私はただ思い返す。
そうすると、笑えるから。
笑顔を取り戻せるから。
この作品は学生の頃に大学ノートにつらつらと書いていた作品です。
すでに完結させてはいるのですが、作者自身、複雑なストーリーにたまにわけがわからなくなります。
作者がそんなんだと、読者の皆様はよけいですよね(^^;
これどういうこと? とか、この人誰? とか疑問がありましたら、どんどん聞いてください。
今後のストーリーに影響が出ない程度にお答えできればと思います。
本来なら、複雑だからこそわかりやすい小説を心がけるべきなのですが、作者の力不足なので……。