A current scene4 闇と光
題名に「A current scene」とつくものは、現在(梨恵26歳)のストーリーです。
残酷な描写があります。ご注意下さい。
「あ、うわ、あ、こ、殺さないでくれ!」
がしゃん、とコップが割れる。
一人で暮らしてきたマンションの一室。この男がどうやって侵入してきたのか、わからない。
けれど、男はいた。部屋の前に見覚えのある男が佇んでいた。だが、思い出せなかった。それが命取りだった。
男を無視し、自分の部屋に入ろうとした時、男から突きつけられたのは、鏡面のように輝くナイフ。
そのままなだれ込むように部屋へと押し入られた。
ドアは閉じられ、逃げ場は無く。ナイフを向ける男の姿にただおびえ、腰を抜かす。
男の楽しそうな笑顔をみた瞬間、記憶がよみがえった。
あの時の、少年。
「俺は、関係ないぞ! 何も関係ない! 悪いのは香塚先生だろ?! 俺はお前に恨まれる覚えは無い!」
必死の懇願。だが、掲げられたナイフはぎらぎらと獲物を狙う。
「本当かねえ?」
男の目はまるでライオンのよう。獲物を狙い、見定め、時を見計らう。
「本当だ! 俺は、香塚先生に頼まれたことをしただけだ! 俺は関係ない!」
尻が生ぬるいことに気付く。あまりの恐怖に失禁してしまったのだ。それに気付いた男は目を見開き、大声で笑った。
「きったね! いい大人がちびってんなよ! 情けねぇ!」
あの頃と変わらない、冷めた目。人間の情というものすべてをどこかに捨ててしまったその男の目は、あの頃からずっと変わっていない。
あの頃にも感じた恐怖だった。幼い少年だから、見過ごすことが出来た恐怖感。今、それが具現化していた。
「ゆ、許してくれ! 頼む! ユキオ!」
「誰が許すか。ばーか」
貫く、感触。何が起こったかわからない。胸に何かが、刺さった。何か、そんな表現をしなくてもわかっていた。ナイフだ。ナイフが深々と胸を貫いていた。
痛みとか、苦しみとかそんなものは感じなかった。ただわかったのは、ぬめぬめとした自身の血の感触だけ。
「さようなら。岡村勝太さん。はっ……ははっ。ざまーみろ! たまんねえ!」
男の高笑いが耳朶に響いた。踊るように歓喜の声をあげる男の姿がだんだん見えなくなってゆく。
「ユキオ……」
都内にある、とある保育所。
子どもの騒ぐ声が園内を覆い尽くす昼下がりの時間。
昼ごはんを食べ終えた子どもたちが、思い思いに遊んでいた。
その光景を、柵に肘をかけて眺める、一人の男。
サングラスにキャラメル色の髪の毛。くせっけなのかゆるくウェーブした髪は肩あたりまでのびている。
その男のすぐそばにボールがころころと転がってきた。そのボールを追ってきたのは梨恵の息子、浩人だった。
「君、浩人、だよね?」
「うん。おじちゃん、誰?」
枯れ木の枝をいじりながら、男は笑った。浩人は訝しげに男を見つめる。
「おじちゃんって……。オレ、まだ24歳なんだけど」
「見えない」
「ひでえや」
スーツ姿のため、子どもからしてみれば「おじさん」に見えるのだろう。男は苦笑し、サングラスをはずした。
冬の光が反射する、茶色の瞳。ちらちらと緑がかっているのが、浩人にもわかった。
見たことがある、浩人はそう思った。
「なあ、オレと遊ばない?」
「ママが、変なおじさんと遊んじゃだめだって言ってたよ」
「オレはおじさんじゃないっつの。変でもない」
「変だよ」
「どこが!」
浩人はぷっくりと頬を膨らませ、不審そうに男を睨んでいる。男はそんな浩人に向かって愛おしそうに笑みを浮かべていた。
「動物園に連れてってやるよ」
「ほんと? おさるさん、見れる?」
「おお。見れる見れる。キリンとかゾウとかトラとか、あとなんだ? ……犬系のとか猫っぽいのとか見れるぞ」
浩人の目がきらきらと輝いた。だが、すぐさま目を伏せて、プルプルと首を振った。
「だめだよ。ママに怒られるもん」
「梨恵のやつ、さすがにきっちり躾してんな……。あ〜おじさんさ、梨恵……浩人のママと仲良しさんなのよ。だから、浩人が怒られそうになったら、助けてやるからさ。大丈夫だよ」
「ほんと?!」
「ほんと。男に二言は無い」
浩人は「わ〜い!」とはねると、持っていたボールをポイと放った。男は柵ごしに手を伸ばし、浩人を抱き上げる。
「おじちゃん、お名前は? ぼく、浅尾浩人!」
元気良く名を名乗る浩人を近くに停めておいた車に乗せると、男はまぶしそうに太陽を仰いだ。
冬とはいえ、太陽も照っていて、心地いい。
「お名前は?」
スーツのすそをつかみながら、浩人はもう一度男の名を聞いた。
男はまた優しい笑みを浮かべる。
「ママには内緒だぞ? 男と男の約束」
「うん!」
素直にうなずく浩人の頭をくしゃくしゃになでながら、男は言った。
「オレは、総志朗。加倉総志朗っていうんだ」