CASE4 ダブル:06
「総志朗! 待ってよ!」
ふらふらと総志朗は立ち上がり、玄関へと歩き出した。梨恵は慌てて後を追う。
「ちょっと待って!」
「風にあたってくる。少し、落ち着きたいんだ」
「私も行く。そんな格好で外に出たら寒いでしょ? コート取ってくる」
総志朗の腕をつかんで逃がさないようにしながら、梨恵はそう言った。逃げる気はないと主張するように、総志朗は大人しくうなずいた。
梨恵が自分のコートと総志朗のコートを取って戻ってくると、2人は並んで歩き出した。
外はすっかり冷え切り、吐き出す息が白く舞い散る。夕飯の終えた時間帯。テレビの音や、どこからか聞こえてくる子どもの声。それらすべてが、別世界の喧騒のようで、梨恵はひどく心細く感じた。総志朗の手を取りたくなる。それはまるで、自分の子どもの手を取る親のような気持ち。その手を離したら、どこかに行ってしまうのではないかという不安。
少し歩くと、小さな児童公園にたどり着いた。
周りより1,2メートル低い場所にあるその公園は、石の壁に囲まれ、ブランコとすべり台、砂場、そしてベンチが2つしかない。
「総志朗、大丈夫?」
ただひとつの街灯に照らされた総志朗の顔は真っ青だった。虚ろな目を梨恵に向け、力なく笑う。
「なんか飲み物買って来るね。待ってて」
ベンチに座るように総志朗を誘導する。公園のそばにあるタバコ屋の店先で、ぼんやりと光を発する自販機へと、梨恵は走っていってしまった。
「光喜の居場所、わかったの?」
降り注ぐ言葉に総志朗は目線を上げた。石の壁の上に設置された白い柵に座る、制服姿の男が目に映る。
相馬優喜が、そこにいた。
「……相馬光喜は死んでる!」
ベンチから立ち上がり、優喜を睨みつける。優喜はくっくっと喉を鳴らして笑い、総志朗を指差した。
「死んでなんかいないよ。君の中で生きてる。ねえ、気付いただろう? 探し当ててくれたんだろう? 俺の依頼、忘れてないよねぇ」
車のヘッドライトの灯りが通り過ぎる。にやにやと楽しそうに笑う優喜の顔に光が当たり、彼の表情が一瞬はっきりと見えた。
「わかってるだろう? 自分が何なのか。滑稽で笑えるよ。いつか消える人間のくせに。しょせんあんたは身代わりでしかないのに」
優喜は柵から降り、ポケットに手を突っ込んだ。
雲に隠れていた月が顔を出し、微弱な光が降り注ぐ。その月明かりに照らし出される、鏡のように磨かれたモノ。
「身代わりがどんなにいきがったところで、本物になんかなれやしないんだよ」
優喜の手元で光るそれは、バタフライナイフ。かちりと音を鳴らし、月の光を反射する。
「お前は消えるんだよ!」
飛び出すように、優喜は石の壁から飛び降り、総志朗に襲いかかる。
街灯と月明かりでキラキラとナイフが光った。
布を切り裂く音と皮膚を切り裂く音が、夜の静かな公園に響き渡る。
街灯のすぐ下に立った優喜は、スポットライトを浴びた舞台役者のようだ。ぽたり、と彼が握ったナイフから血が滴り落ちる。
「兄さん、もう少しだよ。ユキオが目覚めるよ」
優喜の攻撃を受け、倒れかけた総志朗は体勢を立て直し、傷ついた右肩に触れる。べっとりと張り付いた血が、傷の深さを物語っていた。
「お前、一体……」
総志朗の存在を今思い出したかのように、優喜は総志朗にゆっくりと向き直った。あっけにとられ、息を飲み込む総志朗を鼻で笑う。
「あんたのせいで、光喜はユキオを殺せないんだ。早く消えてくれよ。アハハ!」
こらえきれない笑いを彼は発散させ、腹を抱える。耳障りな笑い声に、総志朗は耳を塞いだ。
「総志朗!」
公園に走って戻ってくる梨恵の姿を認め、優喜は笑うのをやめると、ざっと地面を蹴り上げ、公園から出て行ってしまった。
なにが起こったのか、梨恵には全くわからない。右肩を押さえながら、優喜の走っていった方向を睨みつける総志朗の姿だけが、そこにはあった。
「何があったの? 血が出てる……!」
バッグに入れたハンカチを慌てながらも取り出す。ハンカチを取った勢いで、バッグに入っていたケータイが落下する。梨恵はそのことを気にも留めず、総志朗の傷口にハンカチを押し当てた。
「大丈夫?」
「……ああ」
とくとくと溢れる血は、すぐに梨恵のハンカチを真っ赤に染めた。傷は浅くはなさそうだ。助けを呼ぼうとケータイを拾い上げた梨恵が、震える手で119を押そうとしたのを、総志朗は手で防いだ。
「いい。しばらく休めば、平気だから」
「でも」
「大丈夫だから」
「でも!」
「本当に、大丈夫。心配しなくていい」
「大丈夫」
そう言ったのは。
傷のことだけじゃなかったよね?
言い聞かせていたこと、気付かなかった。
あなたは、ずっと自分に言っていたんだ。
「オレは大丈夫。まだ、大丈夫」と。
The case is completed. Next case……愛人