CASE3 犯罪者:11
強い風のうなる音。その音に混じり、空の果てにまで届く銃声。
篤利の持つ拳銃から硝煙がたなびくが、風にさらわれ、すぐに消えた。
「篤利……」
総志朗の言葉と共に、篤利は振りかざした両手をゆっくりと下ろした。小刻みに震える両手は、自分のものではないような気がしてくる。
「オレは、4年間、ずっとずっと、お父さんのせいで虐められてきた。『犯罪者の子ども』。それがオレのレッテルで、いつになっても消えなくて。意地張って隠してきたけど、本当はただつらいだけで! オレが、オレがどれだけつらいって思ってきたか、わかるかよ?!」
偽物だと思った拳銃から飛び出た本物の弾。一直線に飛び出たその弾の迫力の音に、正行はどさりと尻をついてしまった。
弾は正行の頭上の彼方へ飛んでいったのだ。
「篤利……。お父さんはすまなかったと思ってる。なあ、篤利。一緒に帰ろう。償いをさせてくれ。今、ここでお前に殺されてしまったら、もうお前に償うことが出来ない。償いは生きていなければ出来ないんだよ」
「そんなの、知らない!」
「篤利、銃を捨ててくれ」
正行はすり足をするようなかんじで少しずつ篤利に近付いてゆく。篤利は銃口をまた正行に向け、「近寄るな」と牽制するが、正行はその歩みを止めない。
「父さんが死ねば、お前は満足するのか? だったら喜んで死のう。それがお前に対する償いになるなら」
片手に握っていた銃を両手に持ち、撃鉄に手をかける。手が震えてうまくひけない。それでも撃鉄はがちりと音をたてた。
その間も正行は篤利のそばへと近付いていた。篤利がようやく顔をあげると、もう正行との距離は1メートルもなかった。
「篤利、3人でまた暮らそう。俺と母さんと、お前。昔みたいに笑えるように、父さん頑張るから」
「また笑える? そんな日がいつくんの? オレは笑えない」
正行の右手がのび、篤利が握る銃身の部分をつかむ。その手から逃れることは出来たはずなのに、篤利は動くことができなかった。
「じゃあ、殺していい。撃て」
銃身を握ったまま、体を引き寄せ、銃口を自らの心臓部分にあてがった。
まさかこんな行動に出るとは思っていなかった篤利は、目を丸くして正行を見つめる。
「撃て」
痙攣のような震えが篤利の全身を襲う。それでも、右手の人差し指は引き金を探す。
「消えちまえばいいんだ。何もかも!」
篤利は引き金をひいた。
「あれ、奈緒ちゃん」
「こんちゃ〜! 学ちゃん元気ぃ?」
開店の準備のため、モップで床を磨いていた学登。開けっ放しにしていた店の入り口から、ひょっこりと顔を出した奈緒に笑顔を向ける。
「元気だよ。どうしたんだい? 踊りに来るにはまだ早い時間だろ?」
「う〜ん。ちょっと話したいことがあってぇ……。気のせいかなぁとか、わざわざ学ちゃんに言う必要ないかなぁとか思ってたんだけど〜」
腰を左右に振りながら小首をかしげ、学登の顔を伺う。制服のスカートがリズミカルに揺れる。
「なに?」と言う顔を学登がした瞬間、奈緒は言った。
「この前ね、渋谷駅で総ちゃんに会ったの。変だったの」
「光喜だったんだろ?」
学登はモップをテーブルに立てかけると、タバコを手に取った。トントンと叩くと、1本がひょいと顔を出す。それをつかみ、口にくわえる。
「光喜じゃなったんだよぅ」
くわえたタバコが口からぽろりと落ちた。それを落とさないように差し出した掌の上でタバコは1回飛び跳ね、結局床に落ちてしまった。
「じゃあ、誰だったんだ?」
タバコを拾いながら尋ねる。バクバクと心臓が脈打つのがわかった。
「明って言ってたよ。総ちゃん、にじゅうじんかくじゃなくて、さんじゅうじんかくだったのお?」
「……総は三重人格じゃない」
「ええ〜? じゃあ、なんじゅうじんかくなのお?」
言葉の意味を本当に理解しているのかわからない、奈緒の言葉。事の重大さを認識していない奈緒の言葉はのん気だ。
「その内、わかるかもな。ほら、オレンジジュースやるから、私服に着替えて来い」
「は〜い!」
軍隊の敬礼のように額に掌を当て、奈緒は事務所の方へ行ってしまった。それを見届けた後、学登は盛大なため息を吐いた。
「……明が出てきたか……。まずいな……」
「そこまでだな。篤利」
天空で風がうなる音がする。
篤利の手から、銃がぼとりと落ちた。顔中から汗を噴出させていた正行の目線が、アスファルトの上の銃に下りた。
「人を殺して何になる? 篤利、人を殺しても、残るのは苦しみだけだ。父さんを殺して、どうする? 母さんが悲しむだけだ。お前が、苦しむだけだ」
銃を構えた姿勢のままの篤利の手を、正行は握り締めた。じっとりと湿ったその手は、未だ震えていた。
総志朗は2人のそばに近付き、落ちた拳銃を拾い上げる。グリップの部分を掴み、両手で銃を弄んだあと、背中のベルトのところに押し込んだ。
「弾は1発しか入ってねーんだよ。篤利。もう意地張るのはやめろって。お前が苦しんできたように、親父だって苦しんできたんだから。本当はそのこと、おまえ自身わかってんだろ?」
「オレ……くやしかったんだ。『犯罪者の子ども』って、『犯罪者』って言われて。言い返したいのに、出来なくて……。オレのお父さんは犯罪者じゃない。オレの、オレのお父さんはそんな人じゃない」
ぼろりと大粒の涙が篤利の目から零れ落ちた。地面の上に何粒も何粒もまるで雨のように降る。
「オレ、バカだ。こんなことしたって、何も変わらないのに。わかってるのに」
片手は篤利の手を握ったまま、正行はもう片方の手で篤利の頭に手を置く。
「帰ろう。篤利。お母さんが待ってる」
「うん……」
ごうごうと吹く風のおかげで、硝煙のにおいはすっかりと消え失せた。
空を見上げると、雲が目に見てわかる速さで動いていた。
寂しさの影を。
切なさの影を。
私は見ていた。
あなたは、篤利君の背中に、それを見た。
でもね、篤利君、笑ってたよ。
きっと今でも、元気だよ。