CASE3 犯罪者:04
東京の夜は星が見えにくい。それでも見える星を見つけようと、彼は瞬きを繰り返し、ビルの間から見える空を仰ぐ。
ひとつ、ひとつ。輝く星が見えた気がした。彼は笑む。
これって、ユキオみたいだ。
見えなくなったはずの星。それが、濃い霧をかき分けて姿を現すような感覚。
「楽しいね」
彼はぽつりとそうつぶやいて、薄ら笑う。動く時が来た。確信がある。
「入るの?」
ニットワンピを来たドレッド頭の女が、彼に声をかけた。彼は肯定も否定もせず、女に道を譲る。
そこはクラブ・フィールドの前。フィールドの看板が青い光で輝いていた。
「君。高校生が店の前にいるのは、ちょっと困るんだよ。もうすぐ11時だ。家に帰りなさい」
店に入っていったドレッド頭の女と入れ替わりで、入り口の前にいたスーツの男が彼の前に歩み寄ってきた。
彼は紺のネクタイに紺の制服を身に着けていた。どこからどう見ても高校生。こんな時間に店の前に立つ彼を、さすがに見過ごせなくなったのだろう。フロント係のスーツの男が、ゆっくりとした歩調で近付いてくる。
「あのさ」
スーツの男との距離が1メートルもなくなって、初めて彼は声を発した。口元には笑み。待っていたと言わんばかりに、彼は言った。
「ここのオーナーさん、呼んでくれる?」
「オーナーと知り合いなのか?」
「ちょっとね。優喜って言えば、わかってもらえると思うよ」
首をひねりながら、男は店の中に戻る。
だんだんと冷え込んできた空気。もうすぐ冬が来る。自身を優喜と名乗った彼は、さらけ出された首を片手で押さえた。
2,3分して、店のドアが再び開く。
「お久しぶり。黒岩さん。元気してた?」
「……今更、なんの用だ」
クラブ・フィールドオーナー、黒岩学登。彼の顔はこわばり、眉間にしわを寄せて、優喜を睨みつける。
「そろそろかな、と思って」
「なにが?!」
もったいぶった優喜の語り口にイライラを募らせ、店の前だというのに、学登は声を荒げる。頭にもたげた嫌な予感が、ものすごい重力で学登に襲い掛かっていた。
「ユキオが目覚めるよ」
「……あいつはもう、現れない」
「そうかな? 俺の中の光喜が言うんだ。もうすぐだって。もうすぐ。もうすぐだよ」
くっくっと優喜は喉を鳴らす。木枯らしが彼のサラサラの黒髪をかき上げ、前髪で隠れていた目が、爛爛と光る。
「ユキオを恐ろしい男だよ。あいつが目覚めたら、あんたも殺されるんじゃない?」
「目覚めやしない」
「総志朗ごときに何が出来る? 光喜と俺が、ユキオを殺してやるよ」
がたんがたんと電車が通り過ぎてゆく。光が交錯して、学登は目を細める。
「協力してとは言わないよ。けど、邪魔はするな。俺たち、あんたのこと、嫌いじゃないんだ。殺したくない」
「ふざけるな!」
優喜は両方の口の端を少しだけつり上げて、クツクツと笑った。楽しい。待ちに待った時間がやっと来た。
「じゃあね。黒岩さん」
学登は去り行く彼を止めようと、片手を挙げかけて、やめた。ふきでる汗をその手で拭う。
後姿はやがて、街中の向こうへと消えていった。
「奈緒! もう11時だよ」
「ほんと? やばいね。早く帰んないと補導されちゃう」
冗談交じりに奈緒はそう言って、ちょうど信号が青に変わった渋谷のスクランブル交差点を走る。隣を走る友人が、「あれ」と声を出した。
「え?」
友人が指差す先、見知った人物がぼんやりと立っているのが見える。
「総ちゃん!」
渋谷駅交番より少しだけ交差点に近い位置に総志朗が立っている。交番の近くであることに奈緒は少し戸惑ったが、総志朗がすっとその位置から動いたので、安心して彼のそばに走り寄る。
「総ちゃん! 今日はフィールドには行かないの〜?」
走り寄りながら、総志朗にそう声をかけた。大声だったためか、交差点を渡っていた人たちが振り返る。
だが、総志朗は奈緒の方を見ない。ぼんやりと、青から赤に変わる歩行者用の信号を見ている。
「総ちゃんってば!」
気付いてもらえないことに憤慨して、口を尖らせながら総志朗の腕に飛びついた。
総志朗の目線が、ゆっくりと奈緒に向けられる。
それはまるで、見知らぬ人にいきなり抱きつかれたような、戸惑いの瞳。緑がかった瞳に、大型ビジョンから放たれる光が映る。
「総ちゃん?」
「……僕は総志朗じゃない」
「え? 光喜……君?」
奈緒も何度か光喜には遭遇したことがある。けれど、もっと刺すような、人を寄せ付けないオーラを放つ彼と、今、目の前にいる彼は違う気がした。
彼の顔は不愉快とばかりに歪み、渋谷駅前といううるさい環境下では聞き取りづらい、とても小さな声で言った。
「僕は、明」
「あきらぁ〜?」
初めて聞く名前。奈緒は総志朗を掴んでいた手をゆっくりと離して、半歩後ろに下がった。
「用、無いなら、僕、行くよ」
「う、うん。ばいばい」
ハチ公前広場の方へ、彼は歩き出す。ただそれを見送ることしか出来なくて、奈緒は呆然と立ちすくむ。
「奈緒? 早く帰ろう」
奈緒に近付いてきた友人が、奈緒の手を取った。
「奈緒、鳥肌立ってるよ? 寒いの?」
「え? ううん。だいじょーぶ」
悪寒。悪いことが起こる、前触れを見た気がした。
光喜に、優喜。
彼らが引き金となって、私たちの何かが、狂い始めた。
私たち、どこかで、道を踏み誤った。
奈落の底が、垣間見えていたのに。
前回、週1更新と言ったのですが、変えようと思います。
もうひとつ連載ものをやってるんですが、最近そちらが行き詰まり気味なので、しばらくこちらの更新に勤しもうかと。
週2〜4更新でしばらくはやっていきますので、よろしくお願いいたします(^^)