CASE2 病人:08
「土田さーん! 土田さーん!」
「彩香、どこ行ったんだ……」
「申し訳ありません。私が目を離したばっかりに……」
看護士が涙目になりながら、彩香の父、土田朋人に頭を下げた。
病院内では彩香がいなくなってしまったことで、大騒ぎになっていたのだ。
「私、あっちを探してみます」
「じゃあ、僕はこっちを」
彩香の担当の看護士が小走りで去っていくのを見送り、朋人は非常階段のほうへと歩き出した。
ちょうどその頃、彩香と総志朗は非常階段を昇っていた。病院着に着替えた彩香の手を取り、総志朗はゆっくりと進む。
階段を昇りきり、廊下に出る重いドアを押し開ける。隙間から誰もいないことを確認した後、2人は廊下に出た。
「楽しかった」
「オレも」
「ありがとう」
見つめあい、微笑みあう2人。
総志朗が彩香の頬に手を触れたその時だった。
「彩香!」
白髪交じりの短い髪を振り乱し、彩香の元へと走ってくる男。彩香はそれに目を向け、驚きの声をあげた。
「お、お父さん! 今日は出張じゃなかったの?!」
「お父さん?!」
総志朗は唖然として、彼を凝視する。
彩香の父――朋人は総志朗には目もくれず、彩香の肩をつかんだ。
「彩香! なにしてたんだ! 心配したんだぞ!」
「ご、ごめんなさい……」
突然の展開に思考が追いついていない彩香と総志朗。ただ目をパチクリし、朋人を見つめる。朋人は肩で一息つき、ようやく総志朗の存在に気付いて振り返った。
「君は?」
「わ、私の友達」
総志朗ではなく、彩香がとっさに答える。朋人は彩香をにらみつけ、つかんでいた肩を離すと、総志朗と向き合った。
「君が彩香を連れ出したのか?」
「……はい」
「総君!」
立場がまずくなるというのに、素直に認めた総志朗。彩香は何か言わなければと思うのだが、言葉が出ず、口をぱくぱくさせるのが精一杯だった。
「なにを考えているんだ!」
朋人に胸倉をつかみかかられ、総志朗は一瞬苦しそうにうなった。だが、抵抗することなく、目をただ伏せる。彩香は慌てて朋人の腕をつかむが、朋人は総志朗を離さない。
「お父さん! やめて! 私が悪いの!」
「彩香は黙っていなさい! 君! 君はわかっているのか?! 彩香は病気なんだ! その彩香を連れ出して……彩香にもしものことがあったらどうするつもりだったんだ!」
つかんだ胸倉をそのまま、壁に打ち付ける。総志朗の頭が壁に当たり、ゴンッとコンクリートの乾いた音が廊下に響いた。
「申し訳ありません」
「あ?!」
「連れ出したりして、すいませんでした」
はっきりとそう言って、朋人を見据える。まっすぐな瞳を向ける総志朗から、先に目をそらしたのは朋人だった。
横を向いた朋人は、廊下の向こうから騒ぎに気付いた医師と看護士が走ってくる姿を捉え、総志朗から手を離す。
「彩香にはもう二度と会うな」
「お父さん!」
「彩香も、病院を抜け出すなんてまね、もうするなよ」
朋人は乱れた髪を手早く直し、彩香の肩を抱いて医師達の方へと歩き出す。
彩香は総志朗を気にしてちらちらと振り返るが、総志朗は壁に背を預け、うなだれたまま、彩香の方を見ることは無かった。
「ちょっと」
「ああ?」
「これ、私のヨーグルト、食べたでしょ?」
ヨーグルトの容器を高々と掲げ、梨恵は八重歯をむき出して怒りをあらわにする。いつもはいいわけをひたすらに述べる総志朗だが、今日は梨恵を一瞥するだけで、反応が悪い。
「乳酸菌を取らないと便秘になるのよ! 私は! 発酵してるものが食べたいなら納豆食べてよ! あんたが買ってきたおかめ納豆、3パックあるでしょ!」
女としてあまりよろしくない発言をする梨恵を、総志朗は無視する。いつもは素敵なつっこみをしてしまうのに。
「ちょっと聞いてんの?!」
「聞いてない」
「聞いてんじゃない! もう。なんかあったの?」
遠くを見つめ、ぼんやりとしている総志朗の横に座る。3人掛けのソファーが梨恵の重みによって少したわんだことで、総志朗はようやく顔を梨恵に向けた。
「オレって馬鹿なのかなあ」
「今頃気付いたの?」
「ひでえや梨恵さん……」
犠牲をはらって、願いを叶えてあげること。
私は馬鹿だとは思わないよ。
何かを感じて、何かを思って行動したこと、後悔しないで。
その時感じたこと。想い。
何も間違ってはいないのだから。