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CASE2 病人:06

「どこに行きたい?」

「え?」


 抱きしめられた体がそっと離される。

それでも顔と顔はとても近く、彩香は恥ずかしくなってうつむく。


「こんな場所でただ死ぬのを待ってるのは嫌なんだろ? だったら、好きな場所に連れてってやるよ」

「え?! ほんと?! あ、で、でも、病院抜け出すなんて、まずいよ」

「大丈夫。オレがそばにいるし。今やりたいこと今やんないで、いつやるんだよ?」

「でも」


「ちょっと待ってて」と総志朗は病室を出て行く。

しばらくすると、「車も手配したから」と言って戻ってきた。

 手際のよさに驚きながらも、戸惑う気持ちは隠せない。

彩香はうろたえたまま、布団を握り締める。


「彩香ちゃん」


 彩香のすぐ目の前で座り、目線の高さを合わせて、総志朗は彩香の手を握り締めた。


「デートしてくんない? お日様の下でさ」


 殺し文句だ。


 彩香の戸惑いはその一言で吹っ飛んでしまった。

頬をバラ色に染め、うなずく。

そんな彩香の手を取り、総志朗は歩き出す。

その手にひかれながら、彩香は心臓がバクバクと高鳴っているのを実感していた。





 非常階段から外に出ると、すぐに駐車場に向かった。

たくさんある車の大群の中で一際目立つ黒塗りベンツ。

ベンツの横には、肩にかかるくらいの黒髪、黒いシャツ、黒いパンツ、やくざにも見える髭面の男が立っている。


「黒岩さん!」


 そのやくざまがいの男に総志朗が話しかけたので、彩香は驚いて総志朗と黒岩という男を交互に見る。

 総志朗は「大丈夫」と目で彩香に合図して、その男――黒岩学登に駆け寄った。

 総志朗の後ろにいる彩香に気付いて、学登は会釈してにっこりと微笑んだ。

その穏やかな微笑は、とてもやくざには見えなくて、彩香はほっと安心する。


「これキーな。今日中に返せよ」

「了解」


 学登は総志朗にキーを渡すと、さっさと隣の車の助手席に乗り込んだ。

その車もベンツ。運転席にはいかついサングラスの人相の悪い男が座っていたので、彩香は冷や汗をかく。


 やっぱりやくざ?


「ね、ねえ。今の人、総君のなに?」

「ん? 保護者」


 学登は30代半ばくらいに見えた。 

保護者にしてはずいぶん若い気がして、彩香は総志朗を見上げる。

彩香の疑問に気付くことなく、総志朗は車に乗り込んでしまった。





 病院服でうろちょろするわけにはいかないので、総志朗は服屋に寄って、カットソーとジーパンを買ってきてくれた。

 

「で、どこに行く?」

「う〜ん……あ! 学校! 学校に行きたい!」


 彩香の一言で、行き先は決定。

綾香の学校へと向かった。

 

「あそこだよ!」


 土曜のため部活の生徒以外誰もいない学校。

それでも野球部やテニス部、サッカー部など部活に参加する生徒達のざわめきがよく聞こえてくる。

 夏の名残は影を潜め、秋の穏やかな暖かさが広がる屋外。

程よく心地いい風が頬をくすぐる。


「彩香ちゃん、調子は?」

「うん。平気。今日は具合のことは聞かないで。やばくなったら言うから」


 病院の敷地以外で久々に浴びる太陽の光。

それが自分を『普通の女の子』に戻してくれている気がして、嬉しい。

それだけに、今日だけは病人扱いしてほしくなかった。


「行こう!」


 勢いよく走り出すが、すぐに息切れして苦しくなる。

病人であることは変わりない。それがせつない。


「ゆっくり歩こう。空気が気持ちいいんだから」


 後ろから総志朗の手が絡まってきた。

総志朗の気遣いが嬉しくて、彩香は強くその手を握り返した。




 静かに校舎内へと忍び込む。

校庭からは活気付いた声が聞こえるが、校舎内は静かだ。

遠くでブラズバンドの音が響いている。


「こっち」


 入り口から右に曲がり、廊下の奥の教室に入る。

さんさんと入り込んでくる日差しが、机を照らしている。

昼下がりの時間。平日なら昼食を食べ終わった生徒が、先生の授業の声を子守唄にうたた寝している時間だ。


「ここが私の席だよ!」


 窓際から2列目、前から4番目の席。

ちょうど日差しの切れ目で、机が光と影で2色に染まっている。

机に彫られたいたずら書きをなぞる。

学校に通っていた頃好きだった男の子のイニシャルが彫ってある。

もうすっかり恋心は消えうせているけれど、それでも気持ちはよみがえってくる。

この席について、授業を受け、友達と笑い、時には寝てしまったり、落ち込んでつっぷしていたこともある。

それが遠い過去のことのようで、もう戻っては来ない時間のようで、せつなくてわびしい。

 涙が溢れそうになる。

友達のしゃべり声。

先生の怒鳴る声。

隣の教室からもれてくるざわめく声。

校庭から響く歓声。

誰もいないのに、そんな声が耳に木霊こだまする。


「そこ! 授業中に寝るな!」


 突然の声に、彩香は顔を上げた。

教壇にいつの間にか総志朗が立っていて、教師のふりをして黒板にいたずら書きをしている。


「びっくりした」

「土田さん。この答えを黒板に書きなさい」

「はーい」


 まだ教師のまねっこを続ける総志朗の横に立つ。

黒板に書かれた問題を読むと、彩香は笑顔を浮かべた。


『来てよかった?』


 チョークを握り、文字を綴る。


『総君と一緒だから、来てよかった』


 チョークをそっと置く。

隣にたった総志朗の手が、チョークを置いた手をつかむ。

その手に目線を落としたその一瞬、総志朗のもう片方の手が彩香の頬に触れた。

 それは、瞬きするくらいのほんの短い触れ合い。

唇と唇が重なる。

 背中にあたる日差しが暑い。

2人はお互いを労わるように抱きしめあう。







大事なものを亡くすその瞬間は、永遠のよう。

消えていくものをずっとつかんでいるのは無理なこと。

それはわかっているのに、それでもつかもうと、離すまいと必死になる。

バカみたいだよね。

でも。

私は未だに必死につかもうとしてる。

離すまいとしてる。

あなたは私のそばにもうずっと前からいないのに。








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