CASE2 病人:04
その日から、総志朗は毎日彩香のお見舞いに訪れた。
手ぶらの日もあれば、花やお菓子を持参する日もあった。
今日はケーキを持ってきていたので、2人でケーキをほおばる。
甘いものが嬉しいのか、彩香は満面の笑みでケーキを口に運ぶ。
「彩香ちゃんって、かわいいね」
「へ?!」
あまりに驚いたのか、彩香は一度口に入れたケーキをポロリと落としてしまった。
それを恥ずかしそうにティッシュで取りながら、「どこがですかぁ」と照れ笑いする。
「だって、かわいいじゃん。」
「そんなこと、初めて言われましたよ。私、もう18歳のくせに彼氏だって一人しかいたことないんですよ! 全然もてないもん。かわいくなんてないです」
ケーキ用のプラスチックのフォークを皿に置いて、彩香は汗をかきながら、照れ隠しに必死に否定する。
総志朗は不思議そうに首をかしげた。
「じゃ、見る目ない男とばっか知り合ってたんだな。彩香ちゃん、もっと自分に自信もちなよ」
「……私、自分に自信なんて、持てない。どんなに自信持って、前見ようとしても私には、未来が見えないもの」
うっすらと彩香の目に涙がにじむ。
「ごめんなさい。暗いこと言っちゃって」
常につきまとうネガティブな考えを、総志朗の前では見せたくなかった彩香は、落ち込んでうつむく。
総志朗は「気にするな」と言うかのように、軽く首を振った。
外はすっかり暗くなっている。
曇った空からは星は見えず、彩香は窓から見える重い雲が見えないように、カーテンをひいた。
「もうすぐ、面会時間終わりなんで。ごめんなさいね」
「あ、はい」
通りかかった看護師がドアから顔を出して、にこやかに言った。
総志朗はうなずいて立ち上がる。
「じゃあ、今日は帰るよ」
「明日も、来るよね?」
行こうとする総志朗のスーツのひじの部分をつかんで、つぶやく。
寂しいという感情が胸にわき上がり、涙が零れ落ちそうだ。
総志朗は、眉尻を下げて微笑むと、スーツをつかんだ彩香の手を右手で握り締めた。
「また明日」
「うん」
彩香には母親がいない。仕事がある父は面会時間に間に合わず、病室に来ることが出来るのは土日くらいだ。
友人達は「受験なのだからあまり来るな」と言って以来、週に2回程しか来ない。
あとは遠い田舎からちょくちょく祖母が見舞いに来てくれるくらいで、彩香の病室を訪れる者は少ない。
彩香はそれが寂しくて仕方なかった。
だから、毎日来てくれる総志朗の存在はすぐに大きくなった。
帰ってほしくない、明日が待ち遠しい。
『明日』を楽しみにすることなんて、このところずっとなかった彩香にとって、総志朗が訪れてくれる時間は、本当に幸せな時間に思えた。
病院からの帰り道、総志朗はサングラスをとって、空を見上げた。
どんよりと重い空からは、今にも雨が零れ落ちそうだ。
「未来が見えない、か」
自分の中に存在する見えない闇が、ぶわりと広がった気がする。
膨張するそれが、自分をあっという間に包み込んでしまう気がして、総志朗はぎゅっと目を閉じた。
それでも眼前に漂い続ける闇。
「……しょせんオレは、スケープゴートなんだ……」
出したくもない答え。
ポツリポツリと振り出した雨が、体を濡らす。
重低音が体中に響く。
DJが作り出すリズムに体をゆらす若者達。
クラブ・フィールドは今日もにぎわっている。
「総ちゃん! 浮気したら許さないから!」
「はあ?」
クラブのどでかい音楽に負けじと、奈緒が大声を出す。
その傍らで、総志朗はぽかんと口をあけている。
「梨恵さんに聞いたんだから! 女の人の依頼受けて、毎日のようにその女のところに通ってるんでしょお?!」
「仕事だろ。浮気じゃねえじゃん」
「仕事から恋に変わることだってあるもん! だから釘さしとくの〜!」
腰に手を置いて仁王立ちになって怒る奈緒を、総志朗は椅子に座ったまま見上げる。
「浮気もなにもさ、オレ達つきあってないじゃん」
「つきあってなくても、一番そばにいる女はあたしだもん〜!」
総志朗は立ち上がると、頬をふくらませて怒る奈緒をなぐさめるように頭をなでる。
すると奈緒はすぐに笑顔に戻って、総志朗の手を取って握り締めた。
「わかったよ。わかった。大丈夫。オレには奈緒がいるから」
「ほんと? じゃあ、その子とえっちしないよね?」
そればっかだな、ほんとこいつは……
どこからこんなエロエロな女の子になってしまったのか、総志朗は苦笑した。
そう育てたのは、どう考えても自分だ。
自分自身と奈緒に少しあきれる。
「しないから安心しろって」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「じゃあ、明日総ちゃんち、行くね」
甘えた声ですり寄ってくる奈緒を軽く抱きしめ、総志朗は「じゃ、先帰るわ」とクラブ・フィールドを出て行った。
「セフレで満足なの?」
後ろからの突然の声に、奈緒は勢いよく振り返る。
そこには、女らしいふんわりとした素材の服に身を包んだ梨恵が立っていた。
「え〜? 聞いてたんだぁ」
「聞こえたの! 話しかけようと思ったんだけど、お話の内容があれだったもので」
グラスの中の赤い液体が傾く。
それをテーブルに置いて、梨恵は先ほどまで総志朗が座っていた椅子に座った。
「奈緒ちゃんってさ、セフレ扱いされてて、それで楽しいの?」
自分がそんな風に男に思われていたりしたら不快でしかない。
梨恵にとって、奈緒は不可解な存在だ。
「総ちゃんはねえ、寂しんぼうなんだよ〜。あたしはぁ、彼氏とか彼女とか、恋人とかそういうんじゃなくていいの。総ちゃんの一番そばで、総ちゃんのこと守ってあげるの! 総ちゃんが大好きなんだもん!」
「……へえ」
ただの遊びだと思っていた2人にある種の絆のようなものを感じて、梨恵は驚く。
少なくとも奈緒は、総志朗に対して真剣だ。
「それにぃ、総ちゃんとあたし、体の相性ちょういいしぃ」
「へ、へえ」
やっぱり奈緒はわからない、と梨恵はガクリと肩を落とした。
恋とか、恋愛とか、そういうもの以上の気持ちがあるのだとしたら。
あなたが感じたものは、そういうもの以上の気持ちだったのだろう。
失った、あの時のあなたを思うと、私は涙が出そうになる。
支えてあげるべきだった私は、遠い、遠い場所にいた。
遠かったね。
とても近くにいたはずなのに、本当に一瞬で、私とあなたは遠くなってしまった。