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Last tale メッセージ:03

最終話です。

 ブロック塀の先には猫の額ほどの小さな庭がある。枯れた雑草がくたりと横たわる庭の先に、古びた家があった。

 何年にも渡り誰も住んでいないのがわかる、人の気配の無い廃れた家。けれど、汚れの無い玄関や草むしりをしている庭が、主の存在を主張していた。

 二、三ヶ月に一度、浩人にも内緒で、梨恵はこの家に訪れていた。思い出が深すぎるこの場所はあまり近付きたくはなかったが、手入れもせずに放置することは出来ず、掃除のために来るのだ。


「ここ、なに?」


 浩人をここに連れて来たのは初めてだ。浩人は怪訝そうに眉をしかめながら、庭に生えた枯れ草をむしっていた。


「お母さんが学生の頃に住んでたの。あなたのひいおじいちゃんのおうちよ」

「へえ」


 浩人が怪しい男から受け取ったという鍵は、この家の鍵だ。

 カフェでお茶をした後、「あの家に行ってみます」と麻紀子と別れた。麻紀子は梨恵の肩を抱き、「大丈夫」とだけつぶやいた。

 麻紀子の励ましと、学登の手紙に背中を押され、梨恵は決意を固める。

 話さなければならない。浩人ももう子供ではない。真実を隠し続けるわけにはいかないのだ。

 錆び付いてしまっている鍵は手の中でじゃりじゃりと音をたてる。鉄錆のにおいが漂ってくる。

 玄関の鍵穴に差し込み回転させると、カチリ、とかみ合った音がした。

 目を閉じ、深呼吸を二度繰り返す。浩人がじっと梨恵の指先を見つめているのを背中で感じていた。

 扉を開け放つ。

 かび臭さの残る風が梨恵の長い髪を揺らした。


「うわ、ほこりくせ」


 掃除をしに来ているとはいえ、二、三ヶ月に一度だけだ。前に来たのは二ヶ月前だったから、さすがに埃はもう溜まっていた。

 薄く砂埃が床に広がっているのが、光の反射でわかる。

 そして、光は形跡を浮かび上がらせていた。


「誰か、来たのかしら……」


 玄関から奥のリビングダイニングへ続く廊下に、足跡のような楕円形の跡が点々と残っていたのだ。

 握ったままの鍵に目線を下ろす。

 この家の鍵は、梨恵と総志朗しか持っていない。


「総志朗、が?」


 突如浮かんだ答えに、梨恵はすぐに首を振った。

 あの日の光景は未だにはっきりと覚えている。目の前で飛び散った鮮血。彼の腕を掴んだ時、脈は無かった。白く変わる顔色と、動くことの無い唇。

 何度思い出しても、そこには死しか存在していなかった。


「誰かが、総志朗から鍵を預かって、浩人に渡したのよ……」


 答えはそれしかない。


「母さん、総志朗って誰だよ? もしかして、その人が」


 梨恵よりも先に家に入っていった浩人が、顔を真っ赤にして叫んだ。梨恵は我に返り、小さくうなずく。


「あなたの、父親」


 ぎしぎしと軋む床板を踏みしめる。

 廊下を照らす太陽の光は、まるで梨恵を奥の部屋へと導こうとしているようだった。


「なんで、ずっとオヤジのこと、隠してたんだよ」

「……怖かったの。認めてしまうことが。もう二度と会えないなんて、考えたくなかった」


 廊下で立ち尽くす浩人を抜き、進む。リビングダイニングへ続くドアは開いていた。


「どういう意味だよ? オヤジ、生きてないの?」


 ドアの先で白い何かが手招きしているように見えた。

 ヒラリ、ヒラリと。


「窓が開けっ放しだわ」


 ドアの正面にある窓が開いていて、白いカーテンがたなびいていた。花の匂いを連れた風が梨恵の頬をくすぐる。


「泥棒が入っちゃうじゃない」

「こんな汚ねえ家に泥棒なんか入らねえよ!」


 浩人に怒鳴られて、梨恵はくすりと笑った。

 当時でさえあまりきれいとは言えなかったこの家に、勝手に住み着いた男がいた。それが、出会いだった。


「この家が、始まりだった……」


 バスタオルを巻いただけの半裸で現れたあの男。ふざけた男だと思ったけれど、内面を知れば知るほど、愛おしく思えた。

 いつもふざけていたし馬鹿だったしあざとい男だった。けれど、優しかった。


「母さん、何か置いてある」


 カーテンの揺れる出窓で、それは太陽の光を受けて光っていた。

 軽い足取りで窓辺に寄る浩人を追いかける。浩人がおそるおそる掴んだそれは、揺れるたびに光を反射させた。


「ネックレスだ」


 十円玉サイズのわっかと一円玉サイズのわっかが重なったシルバーネックレス。すっかりくすんでしまっていたが、梨恵にはこのネックレスに覚えがあった。


「私があげた……」


 総志朗の誕生日に、彼にあげたネックレスだった。


「お父さんは、俺たちのこと捨てて、どっかに行っちゃったんじゃねえの? なんなんだよ、このネックレス!」


 床に叩きつけられたネックレス。

 苛立ちを隠せず、浩人は目尻をつり上げる。

 梨恵はスカートを押さえながら座り込みネックレスを拾い上げると、胸元でぎゅっと抱きしめた。


「違う。浩人、違うのよ」


 思い出はこの胸に咲く。永遠に。


「……母さん」


 浩人の声に顔をあげる。

 浩人はネックレスが置かれていた場所に指を這わせていた。


「どうしたの?」

「矢印が彫ってある」

「え?」


 よく見なければわからない白い筋は、パイプベッドが置かれたリビングを指していた。


「どういう意味だろ」


 暗号のようなその印を前に、浩人の怒りはどこかへ行ってしまったのだろう。好奇心で目を輝かせ、パイプベッドの方へ歩き出した。

 黒い塗料はところどころはげてしまっている。布が裂けてしまっているマットから埃が舞う。


「なんだよ、これ」


 浩人は笑いをかみ殺し、何かをつんつんとつついていた。


「どうしたの?」


 浩人はクスクスと笑いながら、手の平を差し出した。

 そこにあったのは、和紙で出来たライオンの置物。


「起き上がりこぼしだよ、これ」


 そう言って、浩人は人差し指でその置物を何度もつつく。

 地面に接する部分が丸くなっているために、それは倒れそうで倒れない。ゆらゆらと揺れて、倒れる寸前で起き上がる。


「転んでもただでは起きない、だってよ」

「え?」


 浩人の視線の先をたどる。

 パイプベッドのマットの上。小さな白い紙が置かれていた。

 かじりつくように、その紙をつかむ。乱雑な字が躍っていた。


「転んでもただでは起きない」


 それだけ書かれている。

 予感が走って、握りしめすぎて指に食い込むネックレスを見る。十円玉サイズのわっかの方に傷がついていた。


「WIN……?」


 浅くつけられた傷は読み取りづらい。それでも、その文字は見えた。


「勝利?」


 なんだよこれ、と浩人は少しだけ笑う。

 その笑う声と表情が、あの日の総志朗と重なった。梨恵が依頼をした三日間のゲーム。その終焉の公園で、梨恵は総志朗と再会した。

 真夜中の黒い霧に覆われた公園のベンチで、彼は言った。


――最後の賭けだ、と。


「浩人、ごめんね……」

「え?」

「今まで、ずっと隠してきてごめんね。私、彼のことが、本当に大切だった。大好きだった。ずっと一緒にいたかった。だから、だから」


 零れ落ちる。

 声となって、涙となって。積もり積もってきた思いが、溢れ出す。


「後悔ばかりが募って、真実を話してしまうのが、怖くて、失ったことを自覚したくなかった! だって、私は、あの時、総志朗を」


――止められなかった。


 沈殿していたあの日の気持ちが揺らいで広がる。

 押し寄せてくるのは、後悔でも懺悔でもなかった。


「浩人、あなたのお父さんはね、私とあなたを守ったの。守ってくれたのよ……」


 語りつくせない大切な時間。けして色褪せない日々の積み重ね。

 この家のいたるところに残された彼の笑顔を、梨恵は強く抱く。

 それはとても温かくて、心地良かった。


「全部、全部話すから。浩人、あなたの、お父さんの話」


 嫌なやつだったのよ、と笑う。

 浩人も梨恵につられて首をかしげながらも笑った。

 春を呼ぶ白い光と、柔らかい風を感じながら、梨恵は開け放たれた窓を閉じた。

 息を吸い込む。肺をめぐり、浄化していく。


「彼に会えて、本当に良かった。――そう、思ってるの」


 この家に彼はいて、そして、戻ってきてくれた。

 彼らしい、メッセージを残して。


「浩人、あなたはね」


 笑みがこぼれる。

 幼い浩人を連れて動物園に行った彼が浩人にあげたものも、今、浩人の手の中でクルンクルンと動くものも。

 まるで、彼のよう。


「あなたは、ライオンの子」

「はあ?」

「あなたのお父さんが、ライオンの子らしいから」

「はああ?」


 顔中にハテナマークを浮かべる浩人の肩を叩いて、梨恵はキッチンへと向かった。


「紅茶、用意してあげる。長い話になるもの」










 彼といた日々はつらくもあった。苦しくもあった。

 なのに、浮かんでくるのは優しい思い出ばかり。

 寂しげな笑顔と、凛とした背中――。

 私はいつも、あなたの姿を目で追い続けていた。

 だからきっと、あなたのことを忘れることなんで出来ない。


 笑っていたね。

 いつもここで、笑っていたよね。

 思い出は輝いて、私に安らぎを与えてくれる。

 計り知れないほど……あなたは私にたくさんのものを与えてくれたのだ。

 将来、夢、愛情――そして、浩人を。


 この胸に咲く感謝の気持ちを、伝えたい。

 もう会えないのかもしれない。伝えられないかもしれない。

 けれど、あなたは言った。

 最後のあの瞬間、あなたは私に言った。


「また、な」と。


 だから。

 また会えると、信じているから。


「ありがとう」とか「ごめんね」とか「ふざけんな」とか。

 きっといっぱいありすぎて、伝えきれないかもしれない。

 でも、最初に言う言葉はもう決まっているんだ。


「おかえり」


 ずっと、ずっと。

 包み込むように、こわれものを抱きしめるように。温めていよう。

 あなたへ伝える言葉たちを。


 

 いつかまた出会う、その日まで。






   END










長い物語にお付き合いいただき、ありがとうございました!

2年にもおよぶ連載を続ける結果となり、長かったなーと今はただ達成感です(笑)

終わった気がしませんが(^^;


いずれ半分くらいの長さに直してブログにてリライトしたいと思っています。

また、新作も書いていますので、興味がありましたら、リンクしてあるブログに遊びに来てください。


本当にありがとうございました!


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