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Last tale メッセージ:02

 青く輝く空の下、彼は墓標に水をかけた。一筋二筋と流れていく水の跡が石の色を変える。

 毎月、彼はその日に必ずこの墓地を訪れる。

 もう一人の『彼』が過ちを犯した、その日。

 たむけた菊の花が風で揺れる。春の訪れを予感させる甘い香りの風。

『白岡奈緒 享年十八歳』。墓石の片隅に彫られた墓の主を思い、彼は手を合わせる。

 彼が十七歳だった頃。彼は彼ではなかった。彼ではない『もう一人の彼』がその心を支配し、彼はずっと眠っていた。記憶の無い、長い時。

 眠っている間、いつも聞いていた気がする。もう一人の彼の泣き声を。

 目が覚めてから記憶の無い年月を埋めるために、彼は必死に勉強して、人並みに追いついた。大学も一浪するだけで入ることが出来た。

 なんとかまっとうな人生を取り戻した彼が、ふと過去を振り返った時。

 彼の歩んだ道とは別の、もう一人の彼の道を顧みた。

『多重人格』と診断され、たいした罰も受けずに終わった、彼の罪。その罪を見て見ぬふりをしていくことが、彼には出来なかった。

 彼の中に存在した、もう一人の過ちを「関係ない」と終わらせることが、彼には出来なかった。

 墓石の前に座り、祈る。

 ここに眠る少女の魂が、天に昇り、新たな命として芽吹いていることを。


「優喜」


 名前を呼ぶ声に、彼は振り返る。七歳になる娘と手を繋いだ妻が、微笑んでいた。


「帰りましょう」

「ああ」


 立ち上がり、墓標を見据える。さわさわと風が鳴る。


「帰ろう」


 娘の手を取り、歩き出す。

 太陽の光が、背中をほんのりと温めてくれる。








「先生!」


 待ち合わせの駅にある時計台の下に、澤村麻紀子が佇んでいた。梨恵の呼び声に、手を軽く振って答えてくれた。


「梨恵ちゃん、浩人君、お久しぶり」


 切れ長の目を細めて、麻紀子は嬉しそうに笑う。


「浩人君、しばらく見ないうちに男前になったじゃない」


 浩人のねこっけ頭をなでようとする麻紀子の手をかわすふりをするが、浩人はその行為が嫌いじゃない。孫のように浩人をかわいがってくれる麻紀子の仕草を愛おしく思う。


「おいしいカフェを見つけたのよ。こっち」


 しわのよってきた手で浩人の腕を組む。浩人は腕に絡まった麻紀子の手をとんとんと叩き、「どこ?」と笑ってみせた。




「これ、黒岩君からよ」


 ヨーロッパの田舎にある家のような店内に、客はまばらにしかいない。

 カタカタと揺れてしまう座りの悪い木の椅子に居心地の悪さを感じるが、窓から差してくる陽光は気持ちいい。 

 赤いチェックのテーブルクロスの上に置かれた拳大のスコーンを崩して口に入れた時、浩人の前に一枚の封筒が差し出された。


「黒岩さんから?」


 母の古い友人だということは知っている。月一程度で梨恵にお金を援助してくれていて、梨恵はそのお金を浩人の将来のためにと、ずっと貯め続けていた。

 浩人は黒岩という会ったこともない男を『足長おじさん』のようだと思っていた。一体何者なのかわからないけれど、母子家庭の彼らを影ながら助けてくれる、頼れる人だと信じている。


「珍しく、お手紙がついてたのよ」


 黒岩という男からの援助はいつも麻紀子を通される。麻紀子宛に送られてきたお金を、麻紀子が梨恵に手渡してくれるのだ。

 いつもは現金や物だけが送られてくるのに、今回は手紙がついていたらしい。それが、浩人の目の前にある封筒だった。

 味気ない白い封筒には、万年筆で『梨恵ちゃん、浩人へ』とだけ書かれている。


「学ちゃんとは、あの日以来ずっと会ってないから……なんだか不思議ね」


 寂しそうに微笑み、梨恵は封筒を手に取る。

 黒岩学登からこうして援助を得るようになったのは十年前からで、それまで彼からの連絡は一切無かった。浩人は『黒岩学登』という男を、全く知らないと言ってもよかった。

 好奇心が、疼く。


「母さん、見せてよ」


 母の手から封筒を奪い取る。中に納まった便箋も味気ない白で、達筆な黒い字がずらりと並んでいた。


『梨恵ちゃん、久しぶり。元気にしているかい?

 浩人がもう高校卒業だと篤利から聞いて、初めて手紙を書くことにしたよ。

 あの日から十五年もたったのだと言われても、なにひとつ実感もなく、時の流れの速さに驚くと同時に、俺自身もずいぶん歳を取ったと鏡を見てため息をつく日々だ。

 俺は今アメリカにいて、それなりに充実した時間を過ごしているよ。梨恵ちゃんも、平穏な日々を送っていることと信じている』


「黒岩さんって、アメリカにいたんだな」


 居場所さえ知らなかったことを今更思い知り、浩人は短く息を吐いた。


『話しておかなければならなかったのに、黙っていたことを謝りたい。

 実は、あの事件の前に、関谷唯子という女から伝言をもらっていたんだ。携帯電話の留守電に、メッセージが入っていたんだ。

 総志朗からの伝言だった。

「じいさんになって死ぬまで、お前は加倉総志朗として生きるんだと言ったよな。オレは、きっと、加倉総志朗という人間でいたかっただけだったんだと思う。きれいごとすべてとっぱらうと、オレはオレでいたかっただけだったんだ」。

 梨恵ちゃん、拙い生き方しか出来ない総志朗を、どうか忘れないでいてほしい。

 浩人に伝えることが怖いかもしれない。けれど、総志朗の生きた証を伝えてほしい。生きるということは、伝えるということだから』


 テーブルにそっと手紙を置いて、隣に座った母の反応を伺うように顔を覗きこむ。

 梨恵は瞳を潤ませて膝に置いた手を強く握りしめていた。


「総志朗、って誰?」


 静かに問いかける。


「あの事件って、何?」


 うつむいたままの梨恵は、微動だにしない。

 向かい側に座っていた麻紀子が紅茶をこくりと飲み込んで、浩人に向かってポツリとつぶやいた。


「あなたのお父さんね、瀕死の重体になったの。黒岩君が組の関係の病院に連れて行って、そのまま連絡ひとつなくてね。その後、黒岩君は何も言わずに海外に行ってしまったから、あの子の遺体がどこに安置されたかもわからないままになってしまったのよ。黒岩君からこうしてお金が届くようになってからも連絡先はわからないから、何も聞くことが出来なかったし……」

「どういうことだよ!」


 困惑を隠し切れず、言葉を荒げる。

 麻紀子も梨恵も視線を下げ、浩人を見ようとしない。


「浩人、連れて行きたい場所があるの」


 テーブルの上に置かれたのは、浩人が怪しい男から受け取った鍵。

 梨恵は泣きそうな顔で微笑み、つぶやいた。


「お母さんの、とても大切な場所よ」






次で、最終回です(たぶん)。


出来れば明日(9/18)更新したいと思います。


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