Last tale メッセージ:01
最後の章です。
「せんぱーい! 卒業おめでとうございますー!」
浩人は差し出された小さな花束を受け取って、にこやかに会釈した。
花束を渡してきた女の子が一学年下の子なのは知っていたが話したことは無い。真っ赤な顔をして走り去っていくその子の姿を見送りながら、浩人は受け取ってしまった花束を見た。
白い花とピンクの花と赤い花がちょうどグラデーションになるように配置されていて、甘い香りが漂っていた。
「浩人、モテるな」
隣にいた友人が浩人の腕を小突く。浩人は「そんなんじゃねえだろ」と苦笑を浮かべた。
浩人は高校三年生。今日で卒業する。大学も推薦で無事合格していたから、何の不安も無い卒業だ。
「今日、六時に集合だからな。忘れんなよ」
「おう」
卒業祝いで、クラス全員集まることになっている。散り散りに別れていく仲間達を見送りながら、浩人はふっとため息を零した。
卒業式が終わったら、まっすぐ帰ってくるよう母親に言われている。話したいことがあると。
浩人に父親はいない。生まれる前からいなかった。母親はそのことについて、何も話してくれたことはない。聞いてはいけない気がしたから、浩人も問いただしたことはない。
けれど、心のどこかで、父親に対して複雑な感情を抱いていた。
母親を捨てたのではないか。自分を捨てたのではないか。もしかしたら、すでに死んでしまっているのかもしれないし、どこかで生きていて、誰かと結婚してのうのうと生きているのかもしれない。
憎しみにまではいかなくとも、むかつく感情を拭い去れない。
母親の「話したいこと」は父親のことではないのかと、浩人は心の中で覚悟を決めると同時に、知りたくないとも思う。
知ってしまうことで、この嫌悪にも似た感情を爆発させてしまうかもしれない。
「浩人、帰ろ」
昇降口から、長い髪を揺らして一人の少女が駆け寄ってくる。坂口実加とは一年前から付き合っている。高校最後の日も、一緒に帰る約束をしていた。
「あ、花束だ」
「もらった」
「誰から?」
「誰でもいいだろ」
「女の子でしょ」
すねた顔をしてみせる実加だが、たいして気にしている様子はない。実加はかなりさっぱりした女の子で、浩人が誰かに告白されたりしても「モテるねえ」と笑うだけなのだ。
ミニスカートから伸びた白い足を大きく開いて、実加は歩き出す。追いかける浩人が校門の前を通り過ぎた時だった。
「よお」
黒い帽子を目深にかぶった男が浩人に向かって右手を上げた。
黒い革のジャケットにジーンズを履いた、歳は二十代後半か三十代前半くらいの男。帽子の影から見えるつり目が、浩人を見つめていた。
「誰?」
実加が訝しそうに男をじろじろと見て、浩人に問いかけた。
「知らねえ。誰、あんた」
浩人も会ったことがない男だった。男はつり目を細めて笑うと、「ま、誰でもいいだろ」とのたまう。
「なんか用?」
怪しすぎる男を警戒して、浩人は実加を後ろに隠した。実加は浩人の影から男を興味津々そうに眺めている。
「卒業祝い、預かってるんだ」
「卒業祝い? 誰から?」
「浩人、あんたの父親から」
男のポケットから差し出されたのは、手の平よりも小さな茶封筒だった。
「浩人、怪しいよ」
実加が浩人の耳元でささやく。浩人はうなずいて見せたが、手は勝手にその封筒を受け取っていた。
「ち、父親って、あんた、俺の父親、知ってんの?」
「おお。昔、世話になったんだよ」
男の目が一瞬遠くに注がれた。過去を懐かしむ、柔らかい目。
「俺のお父さんって、生きてんの?」
浩人の問いかけに、男はふっと、笑ってみせただけだった。
「ちょ、教えてくれてもいいだろ?!」
「梨恵さんに聞けよ。俺の口から言うことじゃねえし。じゃ、元気でな」
くるりと踵を返して、男は行ってしまう。追いかけようと右足を動かしかけて、踏みとどまった。
つかんだままの茶封筒の中身がかさりと音をたてる。
「なんで、俺とお母さんの名前、知ってんだよ……」
「浩人のお母さんの、知り合い、なのかな?」
実加が不安そうに浩人の顔をのぞきこんできた。浩人は首をかしげることしか出来ない。
「その封筒、何入ってるの?」
封筒を振ってみる。重さのあるものが中で動いた。封筒を逆さにして、手の平に中身を落とす。
カサリ、と音をたて出てきたのは、錆び付いた鍵だった。
「なんだ、これ」
「鍵、だね」
さびの匂いが手の平にこびりつく。
「浩人、お母さんに聞いてみなよ」
うなずく。あの男が誰だったのかなんてわからないが、母親――梨恵と接点があることは間違いない。
「ただいま」
「おかえりー」
家に帰った浩人を待ちわびていたように、梨恵が顔を出した。ダークグレイのスーツに身を包み、シルバーのネックレスをつけながら、にこやかに微笑む。
「どっか出かけんの?」
「うん。澤村先生のところに挨拶に伺うのよ。浩人も準備して」
母はいつもこうだ。話があるからまっすぐ帰ってくるようにとは言われたけれど、どこかに行くなんてことは一言も聞いていない。
「澤村先生に挨拶なんて、なんで」
「だって、澤村先生が浩人の卒業を祝いたいって言ってたんだもの。おいしいものでも食べながら三人でゆっくりしましょ」
澤村麻紀子という産婦人科医は、母親である梨恵が昔お世話になった人らしく、浩人が小さな頃から何度も会っている。
きりりとした理知的な目をした美人で、浩人をすごくかわいがってくれているのだ。
「あのさ、さっき、変な男に会ったんだ」
「なに? パンツ一丁だったの?」
「……それはただの変態だろ」
じゃあなによ、と梨恵は口を尖らせ、鏡の前で服装を確認している。
「オヤジからの卒業祝いだって、これ、受け取った」
ポケットに忍ばせた鍵をつかんで、梨恵の目の前に突き出す。
梨恵は「なあに、それ」と笑いかけて、すぐに真顔に戻った。
「誰から、受け取ったの」
「知らねえおっさん。三十歳くらいの」
母親の目が一瞬潤んだことを、浩人は見逃さなかった。この鍵に、母は見覚えがあるのだ。
「知ってんの?」
母を睨みつけ、強い口調で問いかけた。
梨恵はその鍵を大事そうに両手で手に取ると、きゅっと握りしめた。
「昔、私と、あなたのお父さんが……一緒に住んでたところの鍵よ」
web拍手をずっと更新してませんでしたが、久々に次回予告を更新しました(^^;
あと2話くらいで終わりです。
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