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Route3 ギャンブラー:11

 世界は白く白く、塗り替えられていく。





 ゴムのこすれる音を響かせ、ワイパーが動く。車の列は大雪の影響でスピードを落とし、なかなか進まない。

 学登は人差し指でハンドルをトントンと叩き、イライラを露にする。口にくわえた煙草を一度灰皿になすりつけ、一気に煙を吐き出した。広がった煙は車内に蔓延し、匂いをこびりつかせる。


「くそっ」


 篤利の連絡を受けてから、もう十分たつ。一分一秒の遅れが取り返しのつかない事態に陥ることは目に見えていて、降り出した雪が心底憎たらしかった。

 あと少しで到着するのに、そのあと少しが遠い。

 もう一度、「くそっ」とつぶやいた時、助手席に投げ置いていた携帯電話のランプが点滅していることに気付いた。

 留守電が入った合図だ。

 前の車は進まない。車に乗っている時に携帯電話をいじるのは法律違反だが、一向に進みださない今なら大丈夫だろうと、携帯電話を取る。

 表示された番号は知らない番号だった。

 訝しく思いながら、留守電に残されたメッセージを聞く。


『黒岩学登さんですか? 関谷唯子と言います。総志朗から伝言を預かっているので、聞いて下さい』


 女の細い声が、聞こえた。







 総志朗の唇がわずかに震えていた。ストーブの温かさをかき消す隙間風は、彼の体を舐め上げる。

 雪はどんどん大きな粒に変わり、ぼたぼたと落ちてくる。外にある枯れ木は白い綿菓子をのせているかのようだ。


「やり直せるわ。必ず」


 思わず出てしまった言葉。総志朗を思うあまり、彼が望む言葉を口にしてしまった。

 後悔しても、もう取り返しはつかない。

 頭の中にまで雪が降り積もったように真っ白になってしまい、梨恵は何も考えられなくなってしまった。

 口を手で覆い、もう片方の手で、コートの裾をつかむ。

 力を込めた手が震える。食い込んだ爪が痛い。


「やっぱり、梨恵さんは優しいな」


 小さな呟きに、梨恵は顔をあげた。飛び込んできたのは、総志朗の笑顔。

 いつもと変わらない笑顔だった。


「総、志朗」

「また、な」


 それは、本当に自然で、「また明日」と別れる時の挨拶と同じ響きだった。

「またね」と笑って、また明日会えると当然のように思う、そんな軽い言葉。

 あるはずのない明日を夢見てしまう。また会えると錯覚してしまう。彼は帰ってこないのに。

 総志朗の手が動く。人差し指が引き金を引く。

 梨恵の目に、それはスローモーションのようにゆっくりと写るが、身動きひとつ取ることが出来なかった。現実感のない映像が、目の前で動いていた。


「総志朗……!」


 篤利の絶叫がまるで映画館の音響のように、鼓膜に響く。じんじんとうずいて、頭の中を駆け巡る。

 噴き出す血は、花火のように舞い散った。白かった世界に、赤い花が咲いていく。

 戦慄く心臓の音。

 めまぐるしく動き出した映像が、赤く赤く染まる。


「あ、ああ……」


 言葉は何ひとつ出てこない。

 血の海に落ちるキャラメル色の髪が、目の前で起こった現実を訴えかけてくる。

 あったはずの壁は砕ける。

 梨恵は崩れ落ちそうな膝に力をいれ、彼の元に近付いた。

 眉間が押されたように痛む。奥歯に力が入らない。


「いや……」


 手に触れる鮮血は、生温かかった。

 ふわふわのねこっけは変わらず柔らかい。寝癖だらけの彼の髪を直してあげたあの感触がよみがえる。寝癖のなくなった髪を見て、彼はいつも嬉しそうに笑った。

 今、目の前に横たわる彼の顔は――


 穏やかに微笑んでいた。






「――総!」


 ドアを勢いよく開く。学登は廃ビルの二階にやっと到着した。長めの黒髪は雪のせいでしっとりと水分を含み、乱れている。

 篤利は涙声で「黒岩さん……!」と助けを呼ぶように叫んだ。

 冷たいコンクリート製の壁には赤い斑点をところどころに色付いていた。

 血だまりの中でうずくまり横たわる彼の髪に触れ、動かない梨恵。すべて終わってしまったその光景は、止まってしまった白黒映画のようだった。

 灰色だけの世界で、血だけが赤い色を主張する。


「総志朗、総志朗」


 総志朗の肩に手を置き、彼に呼びかける梨恵の姿があまりに苦しくて、学登は息を飲み込む。


「起きて、ねえ、起きて」

「梨恵ちゃん、どいてくれ! 総志朗を病院に連れて行く!」


 梨恵の腕をつかむが、強い力で振り払われる。


「梨恵ちゃん!」

「そばにいる! そばにいるの!」

「梨恵ちゃん! すぐに止血をするんだよ! 助かるかもしれないだろう!?」


 拳銃での自殺の場合、こめかみからの射撃ならば、頭蓋骨に当たって致命傷にならないかもしれない。早急に対処しなければならなかった。


「篤利! ここに電話をかけてすぐ来るように伝えるんだ!」


 携帯電話を篤利に投げてよこすが、篤利は顔面蒼白のまま戸惑っている。


「早くしろ! 見殺しにするのか!」

「あ、ああ」


 やっとどうするべきか把握した篤利から目をはずし、再び梨恵の腕をつかむ。


「梨恵ちゃん、総志朗を死なせたくないだろう?」


 なるべく声のトーンを落とし、優しく呼びかける。

 大きな目を見開き、梨恵は学登を見上げた。


「総志朗、死んじゃった」

「まだわからない」

「死んじゃったのよ」

「まだわからない!」

「呼吸も止まってる……!」

「梨恵ちゃん、しっかりするんだ!」


 風のうなり声がガラス窓を叩く。

 雪はしんしんと降り続ける。













 あの日。

 彼の望むことを口にした。

 光喜がそうしたように。

 私も、彼の願いを叶えたかった。

 他の言葉が、あったのかもしれない。

 彼を止め続けることだって、出来たはずだった。

 後悔はとめどなく溢れて、きっと、ずっと、消えないだろう。

 けれど、あの時、私は……

 ああ言ってあげることしか出来なかった。





This tale cleared.Next tale……メッセージ


次から最終章です。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

あと少しです!

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