Route3 ギャンブラー:10
降り続く雪で、窓の外は真っ白だった。吐き出す息が、暗い室内にぼんやりと白く残る。
総志朗の手に握られた銃は、総志朗自身のこめかみにあてがわれていた。
かじかむ手の平は、指先を動かすことさえ拒む。
「梨恵、オレは梨恵の言葉を信じるよ」
人は輪廻転生すると、梨恵は言った。ずっと昔、総志朗に仕事を依頼したときのことだった。
「オレも明も統吾も光喜も……ユキオも。それぞれ別の人間として生まれ変わって、今度は幸せになるんだ」
口の端だけあげてニヤリと笑ってみせる総志朗に、悲壮感は無かった。覚悟を決め、その意思を貫こうとする凛とした瞳が、梨恵に向かう。
「彩香ちゃんのこと、覚えてる? あの子、総志朗に生きてって言ってたのよ。生きてって。私のこと忘れないで、生きてって。生きてって言ってるの!」
まだ梨恵と総志朗が一緒に暮らしていた頃。余命幾ばくもない少女からの依頼があった。彼女はその最後を迎える前、総志朗へ伝言を残していたのだ。
「私を生かすために、生きて」と。
今、彩香の言葉を伝えたところで、この状況を変えることが出来るとは梨恵には思えなかった。それでも、言葉にせずにはいられない。
なんとしてでも、何をしてでも、止めなければならなかった。
「生きてよ。生きてよ! 私が……私が生きててほしいって言ってるのよ! あんたが死にたがってるかどうかなんて知ったこっちゃないのよ! お願いだから、生きていてよ!」
語尾を強め、訴えかける。嗚咽が混じりそうなのを必死にこらえ、水かさを増す涙を瀬戸際で食い止める。
強い言葉と強い意志で、総志朗を引きとめようと、動かせない手を伸ばす。
「お願い……。死なないで」
崩れ落ちそうになる膝。震える腕。四肢に力を入れ、総志朗を見据える。
「生きて」
総志朗は、ただ寂しそうに笑うだけだった。右目がストーブの柔らかいオレンジを照らし出す。時折揺らいで、その瞳のグリーンと交じり合い、ふと消える。
「置いていかないで」
どんなに手を伸ばしても、もう届かない。見えない壁が、確かにそこに存在していた。
「一人にしないで」
どう言えば壁を壊せるのか――梨恵にはもうわからなかった。
「……梨恵。浩人が、いるだろ」
「私と浩人を置いていくの」
「置いていくじゃない」
風で窓ガラスがカタカタと揺れた。隙間風が梨恵の頬をなでていく。針を刺すように、ちくちくと痛んだ。
「よくわかんねえけど。離れても、離れないものって、あるだろ?」
小さな子供をあやすように、総志朗は優しい声で語りかける。
「梨恵のところからも浩人のところからも、オレはきっと離れない……気がする」
ストーカーみたいだな、と笑う。明るく穏やかな総志朗に、梨恵は微笑を向けるしかなかった。
「ユキオのしでかしたことが……オレたちの行為が、死で償えるなんて、思ってない。でもさ、やり直すチャンスくらいくれたっていいじゃねえか」
そう言って目を伏せる。
長い睫毛が影を落とした。
閉ざされた空間で、総志朗は拳銃をユキオに向けていた。
窓の外に降り積もる雪のように冷たい白の世界。溶けて消えていく世界。そこに二人は対峙していた。
「オレを、殺すのか」
座り込んだユキオが、総志朗を見上げる。総志朗は困った顔をして首をかしげた。
「あんたが、望んでたことだろ?」
「そう……そうだ。望んでた。ずっと、願い続けてた」
残酷な刃だらけの場所で、ひたすら生きてきた。復讐という炎で身を焦がし、潰える体に気付かなかった。気付かないふりをしていた。
切望するものは闇に隠れ、冷たい雪だけが舞い落ちる。
それは、ユキオに何ももたらしてはくれない。与えられないものを知る術もなく、知ったとしても放棄した。
不器用で無様な、生き方だった。
「光喜にずっと訴えてただろ? 殺してくれって」
引き金が軋む。さびついた金属の音は木霊して緩やかに消えていく。
「香塚を殺して、死を望んできたんだろ」
ひらひら舞い落ちる雪が、ユキオの手に落ち、じわりと消えた。
「ユキオ。人間ってさ、守りたいもののためなら、なんだって出来るんだよ」
落ちては消える、小さな白い結晶。
「守りたいもの? あの女と子供か?」
鼻で息を吐き出し、ユキオは嘲り笑う。
「梨恵さんも、浩人も。あとは、オレ自身」
足元が消えていく。雪が溶けていくように。
「さよならだ、ユキオ」
ユキオは膝を抱え、頭を垂れる。
やっと終わるんだ、と小さくつぶやいた。
「長い、時間だったな」
顔をあげ、ユキオは力無く笑った。初めて見せる穏やかな表情だった。
空は翳る。
暗雲の中、落ちてくる雪だけは真っ白で、唯一の純粋なものに思えた。
引き金を引いた手は、熱を帯びる。いつか繋いだ、浩人の手の熱に似ていた。子供特有の高い体温は、手の平から伝わって、未だその手に残る。
「梨恵の言ったこと、信じさせてくれよ……」
強く優しい光を放つ梨恵の瞳。
惑っていたその目が、すっと総志朗を捉えた。
迷いを取っ払い、すべてを受け入れたその表情は凛として綺麗だった。
「やり直せるわ。必ず」
きっと、そばに行く。
大切な人のところに生まれ変わると、そう言っていたから。
きっと、また会える。
更新が大変遅くなってしまい、本当に本当に申し訳なかったです。
次の話で「Route3ギャンブラー」の章が終わり、次の章が最終章となります。
長い長い物語にお付き合い下さった皆様に、本当に感謝しています。
そして、更新が遅れまくってしまいましたが、この物語の終わりまであと数話、9月中に完結します。
最後まで、どうぞよろしくお願い致します。