CASE2 病人:03
ここで一旦登場人物のおさらいを……
加倉総志朗
何でも屋を営む青年。
浅尾梨恵
前回の依頼人。今は総志朗の同居人。
黒岩学登
クラブ・フィールドオーナー。総志朗とは昔からの知り合い。
土田彩香
梨恵の祖父が入院していた病院にいた少女。今回の依頼人。
光喜
総志朗のもうひとつの人格?
白岡奈緒
総志朗のセックスフレンド。
病院を出て行く梨恵と総志朗を見つめる、一人の青年。
紺色の制服に紺色のネクタイを身につけた、高校生だ。
少しはねたサラサラの黒髪が風で揺れる。
彼の目は、梨恵と総志朗を捉えて、放さない。
まっすぐに射るように見つめていた彼は、くっくっと喉を鳴らして笑った。
「やっと見つけた……光喜」
「総志朗、そろそろ開店の時間なんだ。起きろ」
バーカウンターにうずくまって寝ていた総志朗は、このクラブのオーナー、学登に叩き起こされ、気だるそうに体を起こした。
「やべえ……仕事行かなきゃ」
時計は18時を指そうとしている。
病院の面会時間は20時までだ。早く行かなければ。
「仕事? ああ、梨恵ちゃんが見つけてくれたやつか」
学登がグラスを磨きながら、総志朗に問いかけると、総志朗はくせっけの髪の毛をさらにかきむしってぐしゃぐしゃにしながらうなずいた。
「そ。おせっかいな女だよな〜」
「お前にはそういう女があってんだよ。グータラ」
「グータラとかひどくない? オレこう見えても一生懸命懇切丁寧に仕事してんのよ?」
わざとらしく泣きまねして答えると、学登は「アホか」とため息をつくだけだった。
「なんかさあ……」
総志朗の声はか細く、学登は聞き取れない総志朗の声に耳を傾けるため、グラスを磨くのをやめ、総志朗を見つめる。
「生きてくってめんどくさいねえ。なにやっても、満足できねえし。どうせ、オレなんか」
「……総」
普段の彼からは想像できない、弱々しい言葉。
学登は黙りこみ、照明によってできた総志朗の影に目をやる。
ゆらゆらと揺れる影は、まるでそれ自体が生きているかのようにうごめく。
まるで、彼の中にいる、『彼』のよう。
学登は直視できずに、目をそらす。
『彼』は見ている。
彼の中から。
「あ〜わりい。ごめん、黒岩さん。オレ、行くわ」
「お、おお。気をつけてな」
「ういーす」
いつものようにのん気な声をあげて、総志朗はクラブ・フィールドを後にした。
窓の外から流れ込んでくる空気は夏の暑さを纏い、熱風といっても過言ではない。
だが、それさえも今は愛おしく感じる。
この夏の暑さを感じることが、きっと来年は出来ない。
夏の終わりはもうすぐそこだ。
ひらり、と花弁が落ちる。
つい最近見舞いに来てくれた友人がくれた花が、もう枯れ始めていた。
生きとし生けるものは、こうして死んでゆくのだ。
すべての、生物が。いつかは、死ぬ。
「つまんない。こんなところで、死にたくない」
彩香がポツリと独り言をつぶやいた時、ベッドを囲む閉め切ったカーテンが揺れて、人影がちらついた。
「誰?」
「昨日会った、加倉総志朗です」
「え! ちょ、ちょっと待っててください!」
慌ててベッド脇の棚から鏡を取って、自分の姿をチェックする。
化粧っ気の無い顔は蒼白で、唇が荒れている。
ひどい顔だ。
そう思って、とりあえずリップクリームだけ、たっぷりと唇に塗りこむ。
あまり待たせるわけにもかないので、彩香は「どうぞ」と声を張り上げた。
大きなコスモスの花束を背負ったスーツ姿の青年が、姿を現す。
「こんちは」
「こ、こんにちは」
しどろもどろに答えると、彼は面白そうにくすくすと笑った。
「昨日は、きちんと話も出来なかったし。今日は邪魔者抜きで話したくて」
「邪魔者?」
「そ。梨恵さん」
悪びれなくそう答えて、彼は花束を彩香の枕元に置いた。
「これ、お見舞い。もうすぐ秋だから」
「あ、ありがとうございます!」
透けるように白い肌。光に反射して揺らめく緑がかった瞳がきれいで、彩香は思わず見とれてしまった。
「ひとつ、聞いていい?」
「は、はい」
「なんで、オレに惚れたの? 彼氏がほしいのは、なんで?」
単刀直入な総志朗の質問に、彩香は一瞬たじろいだが、はにかんで笑いながら答えた。
「……さびしいんです。友達は皆、受験勉強で忙しいから来てくれないし。あ、来るなって言ったのはあたしの方なんだけど。寂しくて、どうしようもなくて。そんな時、あなたが梨恵さんとこの病院に来て……あたし、面白くって笑うの、あの時が久しぶりで……だから、なんだか嬉しくって、また、会いたくなったんです。あなたに」
恥ずかしさで声がうわずる。
目をつぶりながらそう一気に言って、そっと目を開くと、優しそうに微笑む総志朗の顔があった。
「なんか照れるな」
「あたしの方がはずかしいですよ」
「そりゃそうだよな。あ〜タメ口でいいよ。だってオレ達、恋人同士だし」
総志朗はにやりと笑う。
彩香は嬉しくて、笑顔がこぼれた。
こういう感情は久しぶりだった。
いつもは悲観的で否定的でネガティブなことしか頭に浮かんでこなくて、毎日が憂鬱でうっとおしかった。
久しぶりに、「普通の女の子」の感覚を楽しんでいる。
「普通」に戻れた気がした。
「ええと、じゃあ、これからあたしが『もういいよ』って言うまで、あたしの彼氏でいてください」
「了解!」
あたしがほしかったのは、そばにいてくれる人。
時々、考える。
あの時のあなたの涙。
あなたの言葉。
なによりも恐れていた『それ』を目の当たりにしたあなたが、何を思っていたのか。
あの言葉の意味を理解した時、私は、自分の愚鈍さを呪った。
お願い。
泣かないで。