表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
168/176

Route3 ギャンブラー:06

「横浜へ」


 ニュースを耳にした篤利は、大急ぎで梨恵の家に向かった。梨恵の家にいるはずのユキオが、起こしたかもしれない事件。

 目撃情報だって、『二十代の白いシャツを着た男性』だけで、ユキオだという確証などない。それでも不安がつきまとい、篤利は学校をさぼってこうして梨恵の家に来たのだ。

 玄関のドアを叩いたが返事はなく、鍵が開いていたのをいいことに家の中へと入る。

 もし、あの事件がユキオだったとしたら、梨恵に被害が及んでいるかもしれない。普段なら人の家に勝手に上がることなど出来ないが、事態が事態だっただけに、篤利はためらうことなく突き進む。

 キッチンダイニングへのドアに手をかけた時、篤利は梨恵の声を聞いた。

 梨恵は無事だ。安心して、ほっと息をつく。


「横浜に帰るの?」


 横浜と聞いて、浮かんだのは関谷唯子だった。唯子とユキオは、この復讐劇を始める前、横浜にいた。


「光喜からの伝言は『横浜へ』だけ。横浜に帰って、どうするの?」


 ドアを掴んだ手を、思い切り前に突き出す。勢いよくドアが開き、篤利はそのまま梨恵の前まで駆けた。


「篤利君……」


 突然現れた篤利を、梨恵は目を丸くして見上げる。ソファーに座っていた梨恵から、携帯電話を奪い取った。


「関谷唯子さん?」


 おそるおそる呼びかけると、雑音の向こうから「誰?」とだけ聞こえた。


「香塚病院で会ったの、覚えてるかな」

『ユキオの居場所聞いてきたガキ』

「覚えてたんだ」

『あんなふざけたまねした上に、病院の前じゃあ説教垂れてくるクソガキのこと、忘れられるわけないでしょ』


 篤利はユキオの居場所を聞き出すために、一度唯子を騙している。唯子はそれを鮮明に覚えているらしく、憎々しげに低い声を出した。


「横浜に、帰るのかよ?」

『ああ、それは暗号……。「作戦決行」って意味』

「作戦決行?」


 電波が悪いのか、唯子の細い声は聞き取りづらく、篤利は携帯電話を左耳に押し当てる。雑音に混じって、喧騒が聞こえる。唯子は屋外にいるようだった。


『ユキオ以外の人格達の作戦だよ。あたしはこの作戦には関係ないから、「横浜へ」ってメッセージを受けたら、ユキオともお別れ』


 自嘲のような笑い声が混じる。


「あんた、それでいいのかよ……。恋人とそんなあっさり別れていいのかよ?」

『……最初からそういう約束だった。あたしはユキオの役に立ちたかったから、あんなまねもした。別れたくなんかないよ。ずっとそばにいるって、ずっとずっと一緒にいるって決めてたんだもん』


 唯子の声がだんだんと震えていくのが、篤利にもわかった。嗚咽をこらえ泣くまいと必死になる姿がありありと想像できる。


『だから……東京で帰りを待ったってしょうがないから、横浜に帰って、あのアパートで、帰りを待つんだ』


 決心の言葉は強く、はっきりと篤利に届く。


『横浜には、サチがいる』


 唯子の住んでいたアパートにいた住人、大山幸穂。彼女は篤利に伝言を残していた。『帰りを待っている』と。

 それを伝えたあの日、唯子の冷え切った目が一瞬とはいえども人間味を帯びたことに、篤利は気付いていた。


『サチが待ってくれてるから、帰る……』

「そっか」

『あんたに会えて、良かったよ』


 声には出さずに、篤利は大きくうなずいていた。喉の奥に熱いものが込み上げる。


『大事なこと、見失うところだった。ありがと』


 照れているのか、ぶっきらぼうに唯子はそう言って、グスリと鼻をすすっていた。

 もらい泣きしそうになって、篤利は必死に唇を噛む。


『ユキオ、S区の廃ビルかH区の廃屋にいるかもしれない。そこを根城にしてたから』

「え……」


 篤利の言葉を待たず、電話は切れてしまった。






 コンクリートの壁は外の冷えた空気を伝えて、温もりを奪い去る。

 うずくまり、自身の体を両手で抱いて、ユキオはがたがたと震えていた。寒さのせいだけではない。彼はおびえていた。


――本当に強いの?

――弱いのは、誰?


「うるさいうるさいうるさい」


――逃げてるだけだろう。


「黙れ! オレは強い、誰よりも強い! だから、香塚を殺せたんだ!」


――逃げるためだろう。


「黙れっ!」


――過去から逃げるために、殺しただけだ。


 白い息がほとばしる。窓の向こうには重い雲が体積を増し、空から落ちてきそうなほどに低く垂れ込む。

 強い風がうなり、灰色の雲が渦巻く。木々がざわめき、空気が冷たく凍りつく。


――終わったんだ、ユキオ。


「お前ら、まさか……」


 それは考えてもいないことだった。人格たちが自分に反旗を翻そうとしているなど、思いもしなかった。

 復讐を終えるその時――目的を遂げた時に襲い掛かるだろう脱力感にユキオがさいなまれるその時こそが、唯一の好機。すべてを覆す、最大のチャンス。

 ユキオが弱まるその一瞬を、彼らは待っていた。


「お前ら、オレを裏切るのか――!」









 あなたの強い意思が、この時を呼んだ。

 誰よりもあなたは彼を思っていた。

 ただひとりの、味方として。


 あなたが選んだ道を間違っていたと言う人がいるなら、私はうなずくだろう。

 でも、うなずくことしか出来ない。

 他の道があった、と進言することも。

 なぜそんな道を選んだのだと責めたてることも。

 ――出来ない。

 あなたが、選んだことだから。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ