表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
164/176

Route3 ギャンブラー:02

 暗雲から零れ落ちてくる雨粒がどんどん大きくなっていく。

 一度空を見上げた唯子は、篤利を一瞥して走り出した。追いかけようとした篤利だが、梨恵の車が向かってくるのを目の端で捉えて、歩を止めた。

 唯子のことは気がかりだが、それよりも総志朗のことのほうがずっと大事だ。梨恵が車を動かしたということは、学登から連絡が来たはず。

 闇に溶けていく唯子の後姿を名残惜しく思いながら見送り、裏口のすぐそばに止まった車に向かう。


「梨恵さん、連絡、来たの?」


 助手席に乗り込みながら問いかけると、梨恵はまっすぐ前を見たまま、うなずいた。


「唯子ちゃん、よね? 今の子」

「うん」


「そう」とだけ言って、梨恵はそれ以上何も聞いてはこなかった。こわばった表情が、それどころではないと訴えている。

 雨が車の窓を叩く。花が咲いたように広がる雨粒を睨みつけ、梨恵は奥歯を噛み締めていた。


「学ちゃん!」


 裏口から人影がぬっと現れた。長身の黒髪があっという間に雨に濡れていく。その後ろでキャラメル色の髪が揺れていた。


「総志朗……!」


 小さく叫んで、梨恵は車から飛び出す。

 篤利も車から体を出すと、総志朗をじっと眺めた。あれは総志朗なのだろうか。違う人格なのだろうか。篤利には判断がつかない。

 頭垂れた彼の表情は篤利の位置からは見えない。駆け寄りたいとも思ったが、人形のように動きの少ない総志朗が不気味に思えて、篤利は動くことが出来なかった。


「俺が運転する。梨恵ちゃんは明と一緒に後ろに乗ってくれ」

「うん」


 学登の言葉で、篤利は彼が総志朗ではないのだと理解する。梨恵はそれに最初から気付いていたようで、学登の発言に驚いた様子なく、明の手を引いて車に乗り込んでいる。

 ユキオの中にいる人格たちの違いを、篤利もまざまざと見せつけられた気がした。総志朗はあんなにも近付きやすかったのに、今、目の前にいる男は、誰も寄せ付けないバリアを張り巡らせているように思える。

 後部座席のドアがバタンと閉じる音がして、篤利も慌てて車に戻った。

 それを確認して、学登はアクセルを踏む。


「……梨恵さん、ケータイ、借りていい?」


 ぼそぼそとした聞き取りづらい声。明の問いかけに、梨恵は携帯電話を差し出した。

 受け取った明はすぐに電話をかけ、「その内戻るから、待機してて」とだけ言って電話を切った。

 おそらくは、唯子への連絡だったのだろう。

 車内はその会話を最後に、静寂に包まれる。

 ワイパーの擦れる音と雨粒が窓ガラスに当たる音、車の走行音がやけに大きく聞こえた。

 雨の湿気が車の中にまで入り込んでいる。エアコンからぬるい風が漏れる。

 明の口から、ふっとため息がこぼれた。


「……どこに行くの」


 ハンドルを握る学登が明の問いに答える。


「組に戻る。その後は、海外に行く。明、逃げるんだ。まだ指名手配になっていない今なら、逃げられる」


 降り続く雨でぬらぬらと光る道路。車のライトの光が反射して、目を眩ませる。


「俺は、お前たちを父親代わりだ。お前たちにとって最善の策を取りたい。海外に行って、やり直そう。大丈夫だ。俺がついていく」


 考えてもいなかった海外逃亡という提案に、梨恵と篤利は言葉をなくし、二人の会話を聞いているしかなかった。

 明自身も考えていなかったことだったのだろう。ずっと下を向いていた顔をあげ、ルームミラーに映る学登を見つめていた。


「治療をするんだ、明。総志朗を主人格に戻して、もう一度、やり直そう」


 学登の目線と明の目線が、ルームミラー越しでかち合う。


「明」

「……逃げる気は、無いよ」


 前方を気にしつつも、学登は斜め後ろに座る明をちらりと見た。


「何、言ってるんだ」

「あの爆弾は、警察を呼び寄せるためにやったんだ」

「は!?」


 成り行きを見守っていた篤利だがつい大声を漏らし、慌てて自分の手で口を塞ぎつつ、後ろにいる明を凝視した。

 明はすっと視線を下げ、膝に置いた両手を開く。わずかに震えていた。


「……人をたくさん殺した」


 小さな明の声が、車内で重く響き渡る。


「もう、復讐は終わった」


 目の前の信号機が赤へと変わる。雨に濡れた道路が、赤い色に染まっていた。


「ユキオには爆弾を使って派手にやろうって言っただけだ。けど、爆弾を使う本当の目的は違う。警察を呼び寄せて、顔をばらすためだった」


 黒岩さんが来てしまったから失敗したけど、とつけ加えて、明は目を閉じた。


「捕まってもよかった。終わりにするために」


 信号は青に変わったのに、学登は車を動かさない。深夜の車通りが少ない時間。咎める者はいない。

 強くうなる雨音が、耳の奥に響いていく。

 ハンドルを握った学登の手に血管が浮き出ていた。


「じゃあ、俺の家に残したあのメモは……なんだったんだ! 俺は……お前たちがまた総志朗として生きようとしてるから、あんなメモを残したんだと思ったんだぞ!」


 明が学登のマンションに訪れた日。彼らが去った後、一枚の紙が床に落ちていた。そこに記されていたのは、彼らの計画の一部始終。

 ユキオの人格たちの、悪あがきだった。


『ユキオをだます。殺されたふりをしてほしい』


 彼らがこの数年、いずれ来るこの日のために練っていた計画だった。


「ユキオを騙すってのは、何だったんだ!? 警察に捕まるためか!? 何のために殺されたふりをさせた!?」


 ハンドルを握りしめた拳で叩く。


「まだ、話せない」


 明の手が強く握りしめられていた。うつむいて唇を噛んでいるのが、篤利の位置からはわかった。

 何か言おうと口を開きかけ、姿勢を正す。前を向いた篤利の目に、ずっと続く真っ黒な道が映った。


「抑制力がほしいんだ。ユキオはきっとまた人を殺す。警察に追われれば、人を殺さないですむかもしれない」

「で、でも……」


 隣で黙って聞いていた梨恵が、明の肩を掴んで揺らした。彼に言い聞かせるように、必死に。


「復讐は終わったんでしょう? もう人を殺す理由なんて無くなったじゃない」


 明の視線が梨恵を突き刺す。鋭いその目が訴えるのは悲しい現実だった。


「本当に、これが最後だと思う?」


 梨恵が息を飲んだのがわかった。明の肩から手をはずし、押し黙る。


「あんな風に人を殺す人間がもう誰も殺さないと、どうして言える? 終わらない。絶対に」










 それでも。

 これが終わりだと信じたかった。

 全ては終わったのだから、もう決着はついたのだから。

 戻れるのだと、信じたかった。

 そんなこと、ありえないのに。







 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ