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Route2 ルーレット:07

 冷や汗が吹き出て、脇の下がぬめる。こめかみに当たる銃の冷たい感触が体を震わせる。汗は出るのに、体は芯から冷え切っていた。


「てめえの運が良けりゃ、弾は出てこねえって。待ちくたびれたんですけどー」


 ユキオの耳障りな言葉を無視する。香塚はパニック状態になりそうな頭をなんとか奮い立たせ、何度も言い聞かせた。「まだ確率は二分の一」だと。

 引き金に添えた指は意思に反してなかなか動き出さない。いや、死を恐れる本能が、指を動かなくさせていた。


「早く撃てよ。なんなら、俺が撃ってやろうか?」

「黙れ!」


 弾が出てこなければ、勝利は確定する。

 わななく手を己の懐に添えた。ここに、切り札がある。

 ユキオに護身用の拳銃は手渡した。だが、もしもの時を考えて、もう一丁拳銃を携えていたのだ。懐に手を入れるなんて動作をしたら、後ろにいる女はすぐさま銃を撃つはずだ。だから、このゲームを受け入れるしかなかった。

 しかし、香塚自身がこのゲームに勝利し、ユキオが倒れた時――女は確実にひるむだろう。その隙をついて女を殺せば、この窮地はあっさりと終わる。

 このゲームに勝利することは、天に任せるしかない。


「早くして。十数えるまでに引き金を引かないなら撃つよ」


 女の声で、香塚は我に返った。


「十、九、八……」


 ハ、と笑いを響かせ、香塚は引き金に力を込める。眉間に力が入り、自然と目をつぶっていた。

 皮膚が冷たく張りつめ、呼吸が乱れる。死ぬかもしれない。恐怖は限界までせり上がり、吐き出しそうになる。

 腹の底にずしりとのしかかってくる覚悟が、香塚の指を動かした。

 金属の軋む音が、こめかみから骨を通じて頭に響く。

 呼吸を止めた瞬間。

 鈍い音が、室内を木霊する。

 すぐにやって来る静寂。香塚は未だ震える指先を確認しながら、そっと目を開いた。

――生きている。


「……まさか」


 ユキオのつぶやきに、香塚は顔を上げた。目を丸く見開き、唇を噛む、目の前の男。蒼白になった顔色が月明かりでいっそう白く見えた。

 戸惑いを隠せなかった香塚だが、ユキオのおびえた表情を見た瞬間、すべてを察した。


「ハ……ハハハハハ!」


 我慢することも出来ず、高笑いをあげる。勝利の女神は香塚に微笑んだのだ。残りの一発が、ユキオを死に至らしめるのだ。

 確信した勝利は、何よりも香塚に快感を与えた。思わず身震いしながら、拳銃をユキオに向ける。


「悪いな、ユキオ。この銃は渡さない。最後の引き金は私が引こう。卑怯な君に拳銃を渡したら、君は私を撃つだろう? 私がとどめをさしてあげよう。そう、そうさ。それが私の役目だ」


 一気にまくし立て、腹を抱えて笑う。こんな楽しいことが世の中にあったのかと、香塚は笑い泣きまでしてしまっていた。


「撃てば?」


 ユキオは香塚を睨みつけ、ぼそりとつぶやいた。

 後ろに女がいるということがユキオに安心感を与えているのかもしれない。

 女を先に殺し、銃を奪い取ってユキオを殺せばいい。その方が効率的だろう。そう思い立った香塚は、後ろに目をやる。

 撃鉄をはずし、銃口ごと後ろを向くが、そこに女の姿は無かった。


「……逃げたか」


 形勢が不利になったことを察し、逃げたのだろう。遠くで廊下を駆ける足音が聞こえた気がした。


「女にも見放されたな、ユキオ」


 わざと哀れんだ声を出して、再び銃をユキオに向けた。ユキオは両手を上げ、小さく息を吐く。


「早く撃て。オレは今まで生きていることが苦痛で仕方なかった。てめえの実験への恐怖……憎しみ。こんな苦しみからとっとと解放されたかったんだよ。撃てよ。撃ってくれよ!」


 悲しみに満ちたユキオの瞳。

 窓に当たる雨がひたひたと筋状に伸びていく。いつの間にか雨が降り出していた。

 鬼気迫るユキオの雰囲気に圧倒され、香塚は一瞬、銃を下ろしかけた。だが、すぐに思い直す。このチャンスを逃すわけにはいかない。

 もう殺すしかない。ユキオは危険すぎるのだ。


「私が終わりにしてやろう。君という実験体を亡くすのは非常に惜しいが、これも運命だろう」


 ユキオの脳天に定まる銃口。この一発で、すべてが終焉を迎える。ユキオと出会ってから二十数年。長いようで短かった。素晴らしき実験体はその役割を終え、死ぬ。待ち遠しかったのか、口惜しいのか。香塚は不思議な気持ちに踊らされながら、引き金に指をかける。


「君と別れるのは、実に寂しいよ。我が息子」


 黄ばんだ歯をむき出しにする。

 ユキオと己の関係は『支配される者』と『支配する者』でしかなかった。その関係は誰にも覆しようがなく、終わらせられるのは香塚自身だけ。生ぬるいお湯のような優越感が香塚の顔を綻ばせる。


「今まで、どうも」


 皮肉交じりにユキオにそう声をかける。ユキオの顔から鋭さは消えうせ、まるでもうすでに死んでしまったかのように真っ青になっていた。

 香塚病院の医師たちを死に至らしめた殺人鬼は、その空しい生涯を、もっとも憎むべき存在の手によって閉じられる。

 この上ない喜びに浸りながら、香塚は引き金を引いていく。


「楽しかったよ、ユキオ」








 祈りを。

 彼が向けた殺意が、彼を殺さないように。

 教えてほしい。

 あなたは、誰を殺すの?



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