Route2 ルーレット:05
月明かりだけが差し込む薄暗い室内。
対峙する香塚とユキオはお互い一歩も動かず、二人の間に置かれたローテーブルの上を拳銃だけが行き来する。
ユキオが提案してきたロシアンルーレット。
死を招くゲームを香塚は拒むことが出来なかった。香塚の後ろには、ユキオの恋人、唯子が銃を携えて立ちはだかり、ゲームを見守っているからだ。
冬のとがった空気は緊張感をあおり、額に浮かぶ汗をよりいっそう冷やしていく。だが、香塚は寒さを感じる余裕など無かった。
隣り合わせの死が、迫り来る壁のように香塚を追い込む。同じ場所にいるはずのユキオは、まるで逃げ場所を知っているかのように、余裕の笑みを絶やさない。
ゲームは一巡し、香塚の元に銃は戻ってきた。確率は四分の一。
汗ばむ手で銃をつかむ。いっそ死を覚悟で銃を撃ってしまおうか――そう考えて、後ろの視線にひるむ。
唯子は銃をかまえたまま、敵意をむき出しにしている。刺すようなその視線を香塚はひしひしと感じていた。
今、四分の一の確率の銃を撃ったところで、弾が出てくる保障は無い。弾が出なければ、唯子が引き金を引いて、撃たれて死ぬ。ユキオを殺すことは叶わず、ただ犬死するだけだ。
「そうだ……。まだ確率は四分の一でしかない」
自分に言い聞かせるようにそう言って、香塚はこめかみに銃口を当てた。
荒い息遣いが自分でもわかる。ゼー、ハー、と一定の間隔で吐き出される己の吐息が耳に障る。
引き金に手を当てると、冷静さがふとよみがえってきた。
これで死ななければ、確率は三分の一。ユキオは三分の一の確率で死ぬ。そうすれば、後ろにいる女を殺し、すべては終わる。
幼い頃のユキオを思い出す。虚ろな目をした、脆弱な子ども。滅多に言葉を吐き出さず、人形のように立ち尽くす彼を、香塚は心底蔑んでいた。
そう、香塚にとってユキオは人形でしかなかった。脈打ち、温もりを持つ。けれど、自分の思い通りになるただの人形。
思い通りにならない人形など、いらないのだ。反抗してくるなら、捨ててしまえばいい。
彼を使った実験は楽しかった。探究心をうずかせ、好奇心を満たした。ここまで楽しむことが出来たのなら、もう必要ないだろう。
小さな子どもがお気に入りのおもちゃを壊して、「飽きた」と言って捨ててしまうようなもの。
認めてしまえば、あとは楽だ。目の前にある『必要なくなったもの』を捨てられる。
香塚はニタリと笑い、捨てる瞬間に見るであろう、彼の絶望の表情を想像した。
大きく息を吸い込み、吐き出しながら引き金を引く。
撃鉄はガチリと鈍い音を発しただけだった。
「ふ、ははは! お前が言う運命の女神は、お前には微笑まないようだ。お前が死んだら、その体は検死体として丁重に扱ってやる。だから、安心して死ね」
ローテーブルに置いた銃をユキオに向かって滑らせる。
端で止まった銃にユキオは目線を下ろし、苦々しそうな表情を浮かべて、舌打ちした。
その手は銃をつかもうと下ろされたのに、なかなかつかもうとしない。
ユキオの躊躇する動きは、香塚にとっては嘲笑の対象でしかなかった。
口の端が自然に上へ上へと移動していく。歯をむき出しにして嘲笑う。
「早く引き金をひきなさい、ユキオ。まさか君のような人物が恐れおののいてでもいるのかい?」
確率は三分の一しかない。勝利は目前にあると言っても過言ではない。香塚は腹からせりあがる笑いをこらえきれず、体をくの字に曲げて大きな笑い声を上げた。
「馬鹿が! お前は本当に馬鹿だな! わざわざ自分も死ぬかもしれないゲームを持ちかけて! 自分が死ぬんだ! こんな滑稽な話があるか!」
笑い転げる香塚を、ユキオは何も言わずにじっと見据えていた。闇よりも深い、濃厚な黒。緑がかったその瞳には、存在しないはずの黒々とした色が溢れ出る。
覗いてはいけない深い穴のような目。
ユキオは目を閉じ、銃をかまえる。
「死ね! 死ね! 早く死ぬがいい!」
怒鳴り散らし、笑う香塚。
滑らかな動作で動くその手は、ゆっくりと引き金を引いた。
「俺は研究室に行く」
大騒ぎになっている病院の外。入院患者たちや従業員、報道カメラマンが行きかう場所を遠巻きに見ていた梨恵たちは、各々がどう動くべきが考えあぐねていた。
この騒ぎになっては、中に入るのは難しい。だが、ユキオはあの中にいる。
学登は侵入を試みると、宣言したのだ。
「私も!」
とっさに梨恵が名乗りを上げると、学登は即座に首を振った。
「この騒ぎの中、三人で潜入を試みるのは無謀だ。俺だけでいい」
「そんなの、危ないわよ!」
「危ないから、よけい俺ひとりでいい。梨恵ちゃん、俺は俺の身しか守れない。ついて来られたら、邪魔なんだよ」
「邪魔」という一言に、梨恵は唇をかんだ。身を守る術など、ひとつも知らない。
もしユキオに銃口を向けられたら、おそらく立ち尽くし、撃たれるのを待つことしか出来ないだろう。
それは梨恵たちが潜伏した学登の親戚の家――ヤクザを営んでいた――での一件でも明らかだ。梨恵を撃とうとしたユキオから、梨恵は一歩も逃げられなかった。
その結果、学登はその腕を撃たれ、負傷したのだ。
「車を裏口に回して隠れていてくれ。俺がユキオを連れて出てきたら、すぐに逃げられるように」
「でも!」
「篤利は運転が出来ない。梨恵ちゃんが運転してくれないと困るんだよ。わかるだろ?」
そう言われてしまってはうなずくしかない。梨恵は悔しそうに顔を歪める。
「梨恵さん。警察がユキオを発見する前に、オレ達がユキオを連れ出さないといけないんだ。ここは黒岩さんにまかせよう」
梨恵の肩をつかんだ篤利の言葉に、梨恵は首を縦に振った。
そうするしか、無かった。
「よし。俺は病院の中に入る。梨恵ちゃん、さっき言ったとおり、見つからない場所に……特に報道陣に見つからない場所に隠れていてくれ。ユキオを見つけたら連絡する。ケータイがワンコール鳴ったら、ユキオを見つけた合図だ。五分後に裏口に車を寄せてくれ」
早口で学登はそう告げ、病院の方へと向かって歩き出した。
その後姿を、梨恵は握った手を震わせて見守る。
病院を囲む騒ぎ声が、耳鳴りのように響く。脳裏によぎる赤い炎と、漆黒の闇。
寒空の中、月明かりだけが不気味に揺らいでいた。
「オレたちも行こう」
篤利はそう言って歩き出した。梨恵もついていこうと踵を返す。だが、すぐに振り返った。
あの病院に、ユキオがいる。――総志朗がいる。
胸の奥に花開く、淡い期待。
切なる願いが、心を穿つ。
会いたい。
もう一度、会いたいよ。
笑ってほしい。抱きしめてほしい。
あの日、つないだ手。
あの手の温もりは、まだ、私の手に――残ってる。
更新が滞ってしまい、本当に申し訳ありません。
色々企画に参加して、燃え尽き症候群にかかってしまいました(--;
参加していた企画も終了し落ち着きましたので、この連載に力を降り注ごうと思います。
ペースも上げて、ラストまで週2は更新できるように頑張ります!
最後までお付き合いしていただけたら、作者は死ぬほど喜びますっ
更新が滞っているにも関わらず、WEB拍手をしてくださった方々に心から感謝しています。
もちろん、これまで拍手を下さった方々、感想を下さった方々にも改めてお礼を。
ありがとうございます!