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Recollection5 本物は闇から来る:05

 警察病院を後にした篤利と学登は、お互い会話も弾まぬまま、篤利の家へと向かっていた。

 奈緒を殺し、総志朗を消すことに加担した優喜の末路。

 彼がどんな思いでいたのか、それを考えて煮え切らない思いになる。


「……夜中に目覚めた優喜は、トイレの鏡で自分の姿を見て、悲鳴をあげたそうだ」

「どうして」


 小雨が降りだし、車の窓に丸い粒が一滴ニ滴と付着する。学登は煩わしそうに雨粒を睨み、ワイパーを動かした。


「母親の胎内にいた時に、ユキオの片割れの細胞を移植された優喜と光喜は、差はあったが、二人ともユキオの片割れにその意識を乗っ取られた。優喜はおそらく、光喜が自殺した後……十三歳ごろにユキオの片割れに乗っ取られたんだろう」


 雨はいつの間にか強くなる。ガラスを擦るワイパーのゴムの音が、やけに大きく聞こえる。


「本物の優喜は、その時点で意識を失い、彼の心の奥底で眠りについたんだろう。あの警察病院で目を覚ましたのは、ユキオの片割れではなく、本物の優喜だったんだ」


 挙動不審に惑う優喜の姿を思い出す。確かにあれは、篤利や学登が知っている優喜の姿ではない。


「十三の時に眠りについたのだから、本物の優喜の意識も十三歳で止まったままだったんだろう。成長した自分の姿を鏡で見て、驚いたんだろうな」


 学登の声色は哀れみを含んでいた。四年もの間、意識無いままにいた優喜。殺人まで犯したのだ。


「優喜……いや、ユキオの双子は、優喜本人に体を返したんだ」

「それじゃあ、どうなんの? 人を殺してるんだろ。罰せられるの?」

「……精神鑑定に持っていかれるのは確実だな。異常があるのが認められれば、罪には問われないかもしれない」

「それって、どうなんだよ」


 優喜の悲しそうな横顔が忘れられない。

 彼は罪を犯し、その罪を償うことなく、消えていく。納得できない。けれど、彼の表情を思い出すたびに、胸がぎしぎしと痛む。


「だが、本物の優喜は、この事件とは無関係だ。彼も言わば被害者だ。巻き込まれて、罪を着せられて、かわいそうだ」

「そうだけど……ユキオの双子……あいつも、かわいそうだよ」


 何かが違えば、彼も全うな人生を送れたかもしれない。

 ひとつでもいい、彼を救う何かがあったなら――。

 奈緒だって殺されなくてすんだかもしれない。


「これからどうなるかはわからないが……俺たちはもう彼と会うことは無いだろう。彼は本物の優喜に戻ったんだから」


 暗雲は地鳴りのような音を響かせ、広がっていく。








 雨の降り出した音が、室内にまで届く。ガラス戸の揺れる音が、静まり返った部屋を騒々しくする。

 白髪交じりの髪を手ぐしで整え、羽島は受話器を取った。

 羽島メンタルクリニックの院長室は、洗練された白い家具に囲まれている。電話ももちろん白だ。

 デザイナーが手がけた丸いフォルムの変わった形の電話は、何コールか音を立て、誰かの声を羽島に届ける。

 しわがれた、低い声。


「香塚先生、羽島です」


 羽島はしゃんとした声を出し、電話だというのに深くお辞儀した。


『ああ、羽島君。どうした? ユキオは元気かい?』

「ええ」


 香塚の声は妙に明るく、だからこそ、羽島は怖くなる。


「香塚先生、あなたの言われたとおり、浅尾梨恵さんを追い出しました」

『ああ、総志朗につきまとっていた女か。ずいぶん総志朗が懐いていたみたいだからな。危険材料だろう』

「先生はなぜ、あんな危険な人格を野放しにするおつもりなんですか! ユキオは、いつか必ず誰かを殺します! あの子は、あの子の目は、何も見ていない! あんな憎悪に満ちた目をした人間を僕は見たことがありませんよ!」


 押さえていた不安がこぼれおちる。

 羽島はわかっていた。

 ユキオの目の奥で燃える憎悪の炎。その炎はすべてを焼き尽くさんと轟々と音を立て、見る者を恐怖に陥れる。

 関われば、いつか殺されてしまうのではないか――不安はもう限界に達している。


『私はね、羽島君。ユキオの末路を見届けたいんだよ。彼は必ず私を殺そうとするだろう。私は彼を捕まえて、父親の威厳というものをみせてやるつもりなんだよ』

「何を考えているんですか! あなたはこの病院を建てるとき、内密で私に金を用立ててくれた。このご恩は返したい。だからこそ、あなたのしようとしていることが危険だと、忠告しておかなければいけないんだ!」


 羽島の声が、雨音に混じる。木の葉が擦れ合い、ざわざわと振動した。


『とにかく、澤村先生はおそらくこれからも何度か病院にやってくるだろうから、適当にあしらってくれよ。頼んだからね』

「ちょ……」


 電話は無情にも切れる。電子音が頭の中で鳴り響く。


「香塚先生……あなたは彼をわかっていない」


 羽島はゆっくりと受話器を下ろし、窓際へと近寄った。

 強い風と強い雨。窓の外は昼だというのに真っ暗だった。






「梨恵ちゃん、送るわよ」

「はい……」


 麻紀子の運転する車に乗り込む。

 妊娠中の梨恵を気遣った丁寧な運転で、麻紀子は梨恵を駅まで送る。


「羽島先生は、私から説得しておくから。また来週までに連絡するわね」


 梨恵はうなだれたまま、膝の上に置いた手をじっと見つめる。

 このまま、もう総志朗には会えないのか。ユキオには「総志朗に会った」と言ってしまったが、あの時感じたあの人は、本当に総志朗だったのか。

 あまりに一瞬で、梨恵には判断がつかない。


「ごめんなさいね。私が知ってる香塚先生と知り合いではない精神科の医者は、あの人しかいなかったのよ。そんな風に梨恵ちゃんを追い出すなんて……」

「いえ、澤村先生のせいじゃありませんから」


 麻紀子はこうなってしまったことを後悔しているのだろう。「本当にごめんなさい」と繰り返し、唇を噛んでいる。


「先生、羽島クリニックに寄ってもらっていいですか?」

「え、でも」

「横切るだけでいいんです」


 麻紀子はうなずいて、車の速度を上げた。しばらく走ると、並木道沿いに羽島メンタルクリニックの看板が見える。看板を左に曲がり、細い道沿いをひた走ると、林に囲まれた病院が姿を現した。


「ゆっくり走るわね」


 病院の裏側に回れば、閉鎖病棟がある場所が見える。乱立した林の向こうに窓が一つ二つと並んでいた。


「総志朗……」


 小さく開いた窓。あの窓の向こうに、総志朗がいる。

 梨恵は窓を見据え、心に誓う。

 絶対にあきらめない。何があっても。








 私たちに、やるべきことは残されている。

 あきらめてしまえば、そこで終わり。

 あきらめなければ、必ず、必ず道は拓ける。

 たとえ、それが困難な道でも。

 私は突き進んでみせる。

 必ず、たどり着くから。



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