A current scene1 息子の笑顔
題名に「A current scene」とつくものは、現在(梨恵26歳)のストーリーです。今回はプロローグ2の続きなかんじです。
「梨恵! 何してるの?!」
理沙の呼ぶ声で梨恵ははっと我に返る。
開いた日記帳を閉じ、母の元へと向かおうとして、梨恵は日記帳を振り返って眺める。
5年も前の日記帳だ。
古びてくたびれた皮表紙。あの頃の想いが積もったまま、それは5年間ずっと引き出しの中で眠っていた。
「梨恵!」
「今行く」
後ろ髪をひかれる思いを振り切るように首をふると、梨恵は母のいる居間に下りていった。
『昨日夕方18時ごろ、K市で男性の他殺体が発見されるという事件が発生しました。
遺体には胸や背中など数箇所に鋭利な刃物で刺された跡があり、警察は怨恨による殺人事件と見て、捜査しています。被害者は……』
テレビで流れるニュース。
梨恵はチャンネルを変えると、居間で気持ちよさそうに寝入っている少年の肩をそっと叩いた。
「浩人、起きて」
ウウッとうなるだけで、浩人と呼ばれた少年は起きる様子は無い。
「ったく。帰って来るのは遅いわ、浩人ほったらかして2階に駆け上がるわ、なにしてんの」
理沙のお得意のお小言が後ろから聞こえて、梨恵は辟易する。
「ごめん。考え事してて……」
素直に謝ると、理沙は「まあいいけど」と言いながら、台所に引っ込んでしまった。
「浩人、2階で寝んねしようね」
もう一度呼びかけると、目をこれでもかとこすって、浩人は目を覚ました。
「ママ、おかえりなさい」
「うん。ただいま」
むにゃむにゃと何か言っているが、眠くてろれつが回っていない浩人が何を言っているのか、さっぱりわからない。
「浩人、2階行こう?」
浩人の手が梨恵の方に伸びる。だっこのサインだ。
「ママ、帰ってくるの遅いよ」
「ごめんね」
浩人を抱き上げると、幼児特有のミルク臭さが鼻をくすぐる。
ねこっけの髪の毛をなで、梨恵は浩人を抱いて、2階へとあがった。
理沙が敷いておいてくれたのか、2階の寝室にはすでに布団が敷いてあった。
そこに浩人を下ろすと、布団をかける。
「ママ、おうた歌って」
そう言う浩人の笑顔は、少し寂しげだ。
仕事に行っている間、この子はとても寂しい思いをしているのだ。
そう思うと、浩人が不憫で仕方ない。
浩人のすぐそばに横たわると、浩人の体を歌のリズムに合わせてポンポンとたたく。
小さな声で口ずさむ子守唄。
浩人はとろんとしたまぶたを数回まばたきして、スウスウと寝息をたて始めた。
仕事の疲れがたまっていた梨恵も、だんだん眠くなってきた。
浩人を抱き寄せる。
子どもの体温は暖かい。
この子は、本当によく似てる。
寂しげな笑顔まで。
東京のネオンの下、男は楽しそうに笑う。
「だ〜いせ〜いこ〜!」
男の大声で会社帰りのサラリーマン達が訝しそうに振り返る。
そんな視線を全く気にせず、男は笑う。
「声、でかいってば! はずかしいよ!」
隣にいた女が、男の口を手で塞ぐ。
「これが喜ばずにいられるかっての。見ただろ? ニュース。オレって天才」
くせのかかったねこっけの髪が揺れる。
伸びきって肩にまでかかった髪を男は手で掻きあげて、女の顔を覗き込んだ。
女の瞳に、男の姿が映る。
「唯子、お前も天才!」
女の唇に軽くキスをして、男はまた跳ねるように歩き出した。
唯子と呼ばれた女は、照れくさそうにうつむく。
「今日は、どこに行くの?」
「ラブホでいいでしょ? 他に行くところなんてねえし!」
唯子の元に戻ってくると、男は唯子の胸まで伸びたストレートヘアをすっとなでた。
「愛してる」
冗談のような、本気のような、どっちとも取れない言い方で、男はささやく。
唯子はそれを信じたくて、男の腕を取った。
「あたし、何も後悔してない」
男は不適に笑う。
ネオンの下で、緑色の混じった茶色の瞳があやしく光った。
「ユキオ、あたしも、ユキオが好き」
止まっていた時計は、ゆっくりと時を動かし始める。
私達の運命は、5年の歳月を経て、また交じり合う。
それは、決して逃れることの出来ない私の過ちの結末。