表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/176

Recollection5 本物は闇から来る:02

「本当に来るとはな」


 ようやく陽が昇って来た。白い光がクラブ・フィールドのドアについた小さな四角いガラスに当たって反射する。

 学登はタバコをフウーと長く吐き、走ってきた篤利を出迎えた。


「で、優喜は!?」

「中、入れ」


 フィールドの重いドアを開け、手招きする。ドアのそばにあるフロントを横切り、重厚な黒い鉄製のドアを開くと、テーブルも椅子も何もないフロアが広がっている。

 クラブ・フィールドは閉店準備中だ。もうほとんどの荷物は運び出されている。

 唯一残されているのは、冷蔵庫と灰皿。

 冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、篤利に投げ渡した。


「どうも。って、それより、優喜の話!」


 学登ののんびりした態度に地団太を踏む篤利を笑い、学登はタバコに口をつける。


「ひとつ、言っておきたいことがある」

「なに!?」

「総に関わることは、それだけで身に危険が迫る。わかるよな?」


 直接関わったことはないが、篤利だって奈緒の事件のことは知っている。河川敷でめった刺しにされ殺された――その事実を思い出し、篤利は唇をかんだ。


「ユキオのことを聞いたんだろう? 彼が残酷で恐ろしい人物であることはわかっているはずだ。ユキオのことを追うつもりなら、覚悟が必要なのは、わかっているな?」


 肺に入れたタバコの煙が、うごめいている。覚悟、その言葉が、学登自身にも重くのしかかってくる。

 篤利がゴクリと唾を飲み込んだのが、学登にもわかった。


「オレ、逃げたくない」


 以前、梨恵からも同じセリフを聞いたことを思い出す。

 覚悟に満ちた少年の鋭い眼差し。学登は頼もしい気持ちになって、うなずいていた。


「悪い。試すようなことを言ったな。安心しろ。おそらく、ユキオが誰かを殺すことはないよ。今のところは。ごく一部をのぞいて」


 ごく一部――ユキオが復讐したい人間。ユキオの実験に関わった医師たち。学登自身も、その中の一人だ。殺されるかもしれない。覚悟を決めなければいけないのは、彼自身。


「なんだよ、オレのこと、脅したのか?」

「違う違う。悪かったって。真実を知る覚悟があるのか、確認したかったんだ」


 タバコの灰が粉雪のように落ちてゆく。

 悪夢は幕を開けている。


「篤利。――真実は知らないほうがいい時だってある。真実を突き詰めれば、それだけで苦しむこともある。それを、忘れるな」

「でも! 真実を突き詰めなきゃ、その先には行けないだろ!」


 力強い篤利の言葉。黒い瞳に宿るその心根の強さに、学登は心打たれる。タバコを灰皿になすりつけ、伸びてきた黒髪をかきあげた。


「そうだ。その通りだ。篤利」







 土日を利用して、梨恵は再びユキオの病室を訪れた。

 昼間の喧騒が少し開いた窓から聞こえてくる。明はいつもの通り、窓の隙間から、ひつじ雲をじっと見つめていた。


「明君」

「この前帰ったと思ったら、もう来たの」

「うん。毎週来るつもり。つわりもそんなにひどくないから」


 明のそばによると、明は居心地悪そうにもぞもぞと動いた。短くため息をつき、ためらいがちに梨恵をちらりと見る。


「産むの?」

「そのことで、光喜と話したいんだけど、いいかな?」


 わあ、と歓声が聞こえた。いきなりの声に、明は窓の向こうにもう一度目を向ける。そのまま目線を太陽の方へ向け、すっと目を細めた。


「ちょっと、待ってて」


 ゆっくりと閉じられていくまぶた。陽の光が陰ってゆく。

 再び、明の目が開く。左目が濃い緑へと、変わっていた。


「……俺に話?」


 逆光が、彼の顔を隠す。梨恵は彼の顔をまっすぐに見据え、手を強く握りしめた。


「そうよ。大事な話」


 雲に隠された太陽は、病室に光を届けてくれない。薄暗くなった室内で、そのエメラルドの瞳は異様に輝く。


「なに? 聞いてやってもいいよ。面白い話なら」

「優喜が捕まったわ」

「そんな話? つまらないなあ」


 薄笑いを湛えた口元。優喜が浮かべていた笑みとそっくりだ。表情一つ一つが、優喜と光喜のつながりをはっきりと露呈させる。


「もう一人のあなたのことよ。そんな他人事みたいな言い方ないじゃない!」

「人を殺せば捕まる。そんなこと、馬鹿でもわかる。それなのに、何を言えと?」


 梨恵に愛を囁いた時の優しい表情なんてどこにもない。かりそめの愛に溺れたことが、梨恵にはくやしくてたまらない。


「俺をわざわざ呼び出して、こんなどうでもいい話なのかい? 拍子抜けだな」

「違うわ」


 唇をかみ、光喜に一歩近付く。光喜は梨恵から目を離さない。鋭い視線と視線がぶつかり合う。けれど、お互いけっして目をそらさない。


「私、決めたの」


 二人の距離は一メートルもない。緊迫した重い空気が張りつめる。


「この子を、産むって、決めた」


 両手で腹を押さえる。一瞬、光喜は何かを言いたげに口を開いた。光喜の口元から、あの蔑みに満ちた笑みが消えていく。


「でも、誤解しないで。あなたのためじゃない。あなたに産んでくれと言われたからでもない。私がこの子を産みたいと思えたから産むのよ。誰のためでもない」


 息を吸い込み、そのまま光喜は沈黙する。そして、どさりと、ベッドに倒れこみ、顔を両手で覆った。


「は……はは! そうか……!」


 乾いた笑い声が、病室に響く。陰っていた室内に、再び光が戻り始める。

 梨恵はそっと光喜の顔をのぞきこむ。手で覆ったその表情は見えない。手の隙間から僅かに見える口元が、笑っていることだけがわかった。


「光喜……?」

「ありがとう」

「え……」


 布団から漂ってくる太陽の匂いが、鼻をくすぐる。懐かしい香り。

 梨恵は飛びつくように、彼の腕をつかんでいた。


「そ、総志朗!? 総志朗でしょ!?」


 喉をつつく、この思い。目の奥から、せり上がってくる涙。声が震える。心が、彼を感じ取っている。

 彼が笑っている。記憶の向こうで。優しい陽だまりの中で。

 梨恵の手をはらいのけ、彼は両手を顔から離した。


「……明だよ」


 寂しそうな声色でそうつぶやいて、彼は体を起こした。

 梨恵は身を震わせながら、明から一歩離れる。


「そ、そうだった……?」


 総志朗がそこにいた気がしたのは、気のせいだったのか。一瞬の白昼夢だったのか。梨恵は口元を押さえ、嗚咽をこらえた。








 私、信じてるよ。

 あなたが浩人の誕生を喜んでいると。

 浩人は、あなたを慕っていたよ。

 たった一度きりの、動物園。

 あなたの手の温もりを、あの子は決して忘れない。








 


浩人は梨恵の息子の名前です。

お、覚えていますか?(^^;


ブログにて番外編をアップしました。

読んでくれている方、いらっしゃいましたら、のんびり更新すいません!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ