Recollection4 探していたもの:02
「ねえ、ユキオは羽島先生と会ってるの?」
病室に入るなり、梨恵はベッドに寝転がるユキオに詰め寄った。ユキオは突然の出来事に目を丸くし、もう目の前に迫っている梨恵を前にのけぞる。
「な、なんだよ、急に」
「羽島先生、ユキオは危険じゃないって言ってる。しかも退院させていいだろうって!」
「まじで? はは、すっかり騙されてるよ、あの先生」
「どういうこと? 統吾君!」
今の人格が誰なのかまだ名乗っていない。なのに、梨恵には今は統吾だということがわかっていたらしい。言い当てられ、統吾は狼狽する。
「俺が統吾だって、よくわかったな」
「雰囲気でわかるわよ。あんた達、全然違うもの」
「ヘエ……」
総志朗にしでかしてしまったことへの戸惑いから、梨恵は明や統吾に対して遠慮がちだった。今は感情が昂ぶっているせいか、総志朗といた頃の梨恵そのままのざっくばらんな話し方に戻っている。
統吾は、総志朗の人格の後ろから垣間見ていた梨恵の本来の姿を久々に見た気がした。あの時の穏やかな日々がふと脳裏をよぎる。
平和で優しかったあの家での生活は、今となっては夢の中の出来事のようだ。
「ねえ! ユキオは危険じゃないの? 私にはそうは思えない! 騙されてるってさっき言ったけど、どういうこと?!」
「ユキオは顔を出しちゃいねえよ。俺がユキオのふりしてるだけ」
「はあ? どうして?」
統吾は耳の後ろを掻きながら、体を起こす。寝てばっかりのために、体がぎしぎしと軋む。
「ユキオからそう命令されてる」
「統吾君は総志朗の味方じゃないの?!」
「味方って……俺と明は総志朗の味方なわけじゃない。総志朗なら普通の生活を送れるだろうから主人格になっていてもらっただけだ。俺たちはユキオを監視してただけ」
「それが味方ってことじゃない」
ベッドに手をつき、梨恵は体を乗り出してくる。統吾は一瞬身を引きかけたが、ぐいと腕を伸ばし、梨恵の肩をつかんだ。真剣な眼差しを梨恵にむける。
「誰だって、穏やかで平和な時間を過ごしたいんだよ。だから俺たちは総志朗を守った。だけど、言ったろ? 俺たちは香塚への復讐心を忘れてない。総志朗が主人格でいた時、俺たちはこのままの日々を願った。なのに、総志朗が消えてユキオが目を覚ました時、心のどこかで喜んでた。わかるか? これで復讐が出来る。俺たちはずっと溜め込んできたこの怨念みてえなどす黒い感情をやっと晴らせるって、思ってたんだよ」
梨恵の肩をつかむ統吾の手に力がこもる。梨恵は統吾の真剣な眼差しにただ見入っていた。
「矛盾してるだろ? おかしな話だよな。平穏な日々を望んでいたのに、結局はユキオと同じだったんだ。復讐心と醜い憎悪だけだ。俺たちの中にあるのは。――結局、それしか無いんだ」
「おかしくなんかないよ……」
自嘲して頭を抱える統吾の手に、梨恵の手が触れた。冷たい統吾の手を包み込むように握りしめる。
「普通だよ、皆そうだよ。いつだって矛盾した感情を抱えてる。愛情だって憎しみだって、皆抱えてる。同じ」
梨恵の手は温かい。いつだって梨恵の言葉は、総志朗を救っていた。向けられた愛おしさに統吾はすがりつきたくなる。総志朗がそうであったように。
「復讐なんて忘れて、平和に過ごしたいって、そう思ってた。思ってたのに! 思いたいんだよ! なのに、止められない。湧き上がってくるこの汚ねえ感情は止められないんだ!」
悲痛な統吾の叫びを、梨恵は彼を抱きしめることで受け止めた。ふわふわのねこっけが手をくすぐる。
統吾はおそるおそる梨恵の背中に手を回し、やがてぎゅっと力をこめた。梨恵もそれに答えるように統吾の頭をなでる。
「総志朗がいれば、思い出さなくてすんだんだ! こんな、こんな気持ち、忘れていられたんだ! ちくしょう! ちくしょう!」
警察病院の駐車場に一台のベンツが停められていた。
裏口で学登は一人の看護師となにやらごそごそと話し合っている。篤利は車の中でそれをぼんやりと眺めていた。
この警察病院に相馬優喜は搬送されたらしい。そして、精神に異常を来たしているとして、優喜の母、相馬百合子もこの病院に入院したらしい。
学登はどこからかその情報を手に入れ、ついてくるとしつこい篤利を仕方なく連れて、ここに訪れたのだ。
若い看護師と話し込んでいた学登は、財布から金を出し看護師に握らせると、すたすたと車に戻ってきた。
「大人って怖っ」
「金のことか?」
「何でも金で解決ってやつ?」
「情報料だよ。世の中はギブアンドテイクだ」
学登は財布をちらちらと振ってみせた後、エンジンをかけた。うなり声をあげて動き出した車はさっさと病院を出て行く。
「なあ、どんな情報ゲットしたんだよ」
「優喜の方は意識不明のままらしい。命に別状はないから、目覚めないのがおかしいって話だ」
「……総志朗が事故にあった時みたいだな」
たいした怪我を負わなかったのに、こんこんと眠り続けた総志朗。目覚めた時には、もう総志朗はいなくなっていた。
篤利はあの時の光景を思い出し、ぎゅっと目をつむる。あまり思い出したくない。
「母親の方も相当おかしくなってる。事情聴取どころじゃないみたいだな」
「母親が、優喜を刺したんだよな……」
篤利の元に訪れた優喜は、今にも消え入りそうだった。まるで自分の運命を知っていたかのようだった。
木漏れ日の下で、風にそよぐ黒髪。文庫本がぱたりと閉じられた音。あの日の情景がコマ送りで思い出される。鋭い眼光が、あの時は弱々しくも思えた。
「あいつ、最後の伝言だって言ってた……こうなることわかってたんだ……」
通り過ぎてゆく電柱の影を目で追う。流れる景色を、篤利は切なく感じる。
「何でオレにあんなことを言いに来たんだろう」
前を見据えていた学登は軽く首をひねり、握っていたハンドルに肘を乗せた。ずっと真っ直ぐに続く道を睨みつける。
「優喜も光喜も、他の人格達も、復讐と穏やかな日々の中でどちらを選択するのか、苦悩していたのかもしれないな。優喜も、もしかしたら願っていたのかもしれない。あのまま平穏な日々が続いていくことを」
叶わない願いだと、知っていたから。
過ぎてしまった時は取り返せなくて。
終わってしまった時間は、ひどく心を切なくさせる。
思い出が輝いて見えれば見えるほどに、失った時間を取り戻したくなる。
ねえ、還れたらいいのにね。
あの日々へと。
還りたいよ。
あなたがいた、あの頃に。
昨日は成人式でしたね。
読んでくださっている方の中に、成人になられた方がいたら、おめでとうございます!