Recollection4 探していたもの:01
後書きで、登場人物のおさらいを書きました。
おさらいしたい方はぜひご覧下さい。
「また来たのかよ」
ベッドに寝転がり、小説を読んでいたユキオはドアの開いた音で体を起こした。遠慮がちに立っている梨恵に向かってうんざりした顔を向ける。
「今日は、誰?」
ゴールデンウィークの間、梨恵は毎日ユキオの病室に顔を出していた。会うのは明か統吾のどちらかで、この病院に来てから光喜にもユキオにも会ったことがない。
「統吾だよ。てか、毎日来んな。うざいんだよ」
「たかだか一週間じゃない。ゴールデンウィークが過ぎたら、こんな毎日来られない。だから、いいでしょ?」
ベッドの脇にある椅子に座ると、統吾は不服そうにしながらまたベッドに体を横たえてしまった。
「まじでうぜえ。そういう押し付けがましいところとか、ほんとうぜえ」
「世話焼きでおせっかい。総志朗が私のことそう言ったわ」
「的を射てるね。あんた、なかなかいい性格してるよ」
「褒め言葉ととっておく」
「んなわけねえだろ」
統吾は口が悪く態度も悪いが、無愛想で冷たい明に比べると梨恵には接しやすい。軽口を叩いて言葉で戯れることが出来ることが、なんとも心地いい。
「ねえ、聞いていい?」
「何を?」
「総志朗を主人格にしたのはどうして? ユキオが眠ったとき、ユキオはどうして総志朗を選んだの? あなた達はどうして総志朗を主人格にしたの?」
寝癖だらけの髪の毛をがしがしと掻きながら、統吾は起き上がった。白い壁に反射する陽光が彼の目を細めさせる。
「俺も明も香塚の実験の餌食にされてた。もちろん総志朗もそうだけど、俺たちより総志朗は期間が短いし、なにより、黒岩さんがかばってくれてた時期だから、つらいことも我慢出来た」
短いため息をついて、統吾は梨恵を一瞥する。硬い表情の奥にあるやるせなさ。心臓をわしづかみされた気がして、梨恵はうつむいてしまった。
「いつも、毎日、香塚への憎しみがうずく。あいつを殺してやりたいと、心から思ってる」
強い負の感情は、渦を巻き、うねり、淀む。
人は誰かをここまで憎むことが出来るのかと、梨恵は痛む心を胸の前に握った手で押さえつける。明や統吾をこんな感情にまで導いた香塚という人間。明や統吾の憎しみは彼らの心に勝手に産まれたものではない。それを与えた人間がいるのだ。
「総志朗には、そんな感情は無いんだ。実験の記憶は抜け落ちてるし、あの病院を出てから出会えた人たちは、総志朗に優しかった。黒岩さんも、奈緒も、あんたも」
だから、あいつは一番人間らしいと思うんだ、統吾はそうつぶやいて、またベッドに体を倒した。暖かな陽の光が統吾を照らしている。
太陽のせいなのか、統吾の頬が赤く染まっている気がして、梨恵はふと微笑んだ。
「ユキオは、愛情とかそういう気持ちをいらないものだと思ってる。そういうものを持ってる総志朗を『弱くてバカなやつ』だと思ってる。だから主人格をまかせた。弱くてバカなやつなんて簡単に消せると、そう思ったからだ」
「そういうものがあるから、人は強くなれると、私は思うけど」
「よくそういうクサイセリフを平然と言えるよ。俺は知ったこっちゃねえな。つうか、眠いんだよ。どっか行けよ」
「照れてる」
「照れてねえよ!」
思春期の男の子だな、と梨恵は統吾を少しかわいく思う。口調はきついが、梨恵を心のどこかで慕っている。梨恵にはそれがなんとなくわかって、嬉しかった。
『女子高生殺害事件の続報です。近くの高校に通う十七歳の少年が殺人容疑で逮捕されました。少年は――』
夕方のニュースは昨年十二月に殺害された女子高生――白岡奈緒のニュースで持ち切りだった。逮捕されたのは殺された女子高生と同年代の少年ということで、「また少年犯罪が起こった」とわめくキャスター。
梨恵は料理を作るのを中断し、じっとテレビに見入る。
少年の名前は出てこないが、優喜に間違いないだろう。
『容疑者の少年は母親に背中を刺され、重傷です』
「え!?」
持っていた包丁を思わず落としそうになり、慌てて両手で握る。まさかの事態に凍りついてしまった。
黒い髪の合間で鋭く光った闇を内包する瞳。蔑んだ薄笑いを湛えた口元。向けられたナイフの恐怖を思い出し、梨恵は身をすくめる。
「でも、重傷……重体では、無いのよね」
それは命に別状は無いということだ。ほっと安心して、梨恵はずるりと滑り込んできた黒い感情を飲み込んだ。
奈緒を殺した犯人。死んで当然と、思ってしまった。けれど、安堵の気持ちも本物だった。人の死はもういい、と梨恵は額に手を当てる。
リモコンを手に取り、テレビの電源を落とす。
解決に向かい、動き出しているのかもしれない。だが、終わりはまだ来ない気がして、ぞっとする。
ユキオは目覚めたばかりだ。彼はまだその正体を見せない。何かが始まるのは、きっとこれからだ。
「心配するほど危険ではないよ、彼は」
羽島メンタルクリニックを営み、ユキオの治療を行っている羽島宗久は軽い口調で梨恵にそう言った。
「ユキオ君にも会ったよ。まあ、確かに歪んだものは持っているけど、幼い頃の虐待が原因だろう。あれくらいなら退院しても問題ないだろう」
「ユキオに会ったんですか!?」
「会ったよ」
たまたま廊下ですれ違った羽島が、梨恵を院長室に招いてくれた。梨恵はいい機会だと思い、羽島にユキオの病状について尋ねた。羽島は「なんのことはない。よくある多重人格だ」とただ笑うだけ。
「そ、そんな。もっとちゃんとよく診て下さい! ユキオは」
「君ねえ、私はこういう心の病を専門に見ている医者だよ? 何も知らない君に『もっとちゃんと診てくれ』なんて言われたくないねえ」
「す、すいません……」
つい謝ってしまったが、腑に落ちない。ユキオが危険ではないと言われても、明や統吾が必死に押さえて来たユキオという人間がそんな生易しい者には到底思えない。
「……今日もユキオ君に会っていくかい?」
「あ、はい」
羽島はため息混じりに「どうぞ、会って行きなさい」と梨恵を追い払うように手を振った。 一礼し、院長室から出る。
会ったこともないユキオ。学登や優喜の話から残虐な人間だと想像していたが、違うのかもしれない。梨恵はそう思い直そうとしたが、やはり引っかかる。
今の状態はユキオにとって不本意であるはずだ。自由の利かない環境で、治療なんて受ける気が、ましてや治る気なんてさらさら無いだろう。
総志朗という人格を消し去り、また主人格に戻った彼が成そうとすること。それを支える光喜。彼らが今の状況を甘んじて受け入れ続けるわけが無い。
「退院するために、演技している……?」
そうとしか、思えない。
強い愛情と同じように強い憎悪はなかなか消えない。
幼い頃の苦しい思いが、彼を追いやった。
総志朗、あなたは彼らにとってただひとつの光だった。
優しく笑えるあなたなら、あの陽だまりの中にいられると、彼らは信じてた。
暖かくて柔らかな白い光。
あなたがまだそこにいるような気がしてならないの。
登場人物のおさらいです。
加倉総志朗
何でも屋を営む青年。梨恵の言葉に傷つき、いなくなってしまった。
澤村ユキオの交代人格の一人。
浅尾梨恵
大学生。総志朗の元同居人。総志朗の人格を取り戻そうと奔走中。
黒岩学登
クラブ・フィールドオーナー。香塚病院で研修医として働いていた時、総志朗と知り合う。クラブ・フィールドは閉店準備中。
日岡篤利
総志朗の何でも屋助手の十二歳の少年。総志朗を取り戻そうと奔走中。
白岡奈緒
総志朗のセフレだった女子高生。相馬優喜によって殺されてしまった。
相馬優喜
高校生。奈緒を殺害したため警察に捕まり、母に刺されてしまう。光喜の双子の兄弟。
相馬光喜
胎児内胎児としてユキオの中にいた双子の細胞を移植され、ユキオの双子の彼に飲み込まれた。ユキオの中に戻るために自殺し、今はユキオの人格の一人になっている。
澤村ユキオ
基本人格。残虐な性格らしいが、まだ顔を出さない。
香塚孝之
ユキオの義理の父。香塚総合病院院長。ユキオに非道な実験を強いたり、虐待をしていた。
澤村麻紀子
ユキオの養母。長山総合病院に勤める産婦人科医。
明
ユキオの交代人格の一人。九歳の少年。
統吾
ユキオの交代人格の一人。十六歳の人格。