CASE1 ゲーマー:11
その日の夜、祖父は梨恵の住む家へと帰ってきた。
敷かれた布団の中で眠るように横たわる祖父。
梨恵はその横に正座して座り、祖父を呆然と眺めていた。
「梨恵」
「なに?」
「おじいちゃんのそばにはお母さんがいるから、あんたは勉強しなさい」
勉強?この状況で勉強しろって言うの?
梨恵は理沙の発言の真意がわからず、理沙を凝視する。
「テスト、近いんでしょ?」
あきれて言葉が出ない梨恵。
勉強したって、手がつくわけない。
「梨恵」
「……ちょっと風にあたって来る」
すっくと立ち上がり、梨恵は外に出た。
夜に出かけるなんて、と普段はガミガミ言う理沙も今日ばかりは何も言わなかった。
軽い考えで自殺をしようとした自分を情けなく思う。
狂言とはいえ、浅はか過ぎた。梨恵は自分のバカさ加減を嘆く。
今まで、『死』は身近では無く、テレビでたまに芸能人の誰々が死んだとか、遠い親戚の誰々が死んだとか、とても遠いものだった。
だが、今目の前に『死』はふってきた。
『死』は突然やって来て、その人のすべてを消し去る。
今も未来も消し去り、残るのは過去という思い出だけ。
その思い出さえ、自分を知るすべての人が死んでしまったら、この世から消え去っていくのだ。
いや、自分を知るすべての人が死ななくても、彼らが自分の存在を忘れれば、その時点で『私』は消える。
死んだら『私』という意識はどこに行ってしまうのだろう?
夢さえ見ない真っ暗闇の睡眠。
それが『死』だとしたら、恐ろしすぎる。
意味もなくフラフラと歩いていた梨恵だが、さすがに疲れてきたので、近くの公園に寄ることにした。
風に吹かれて木々がざわめく。
こんな時間に女一人で公園にいるのは危ないかと思ったが、近くで若者の騒ぐ声と、ヒューンとロケット花火が飛ぶ音が聞こえて、梨恵はなんとなく安心した。
こんなに人がいるなら、変質者もでないだろう。
「おじょーちゃん、かわいいねえ。おじちゃんと遊ばないかい?」
「……つまんない冗談に付き合える心理状態じゃないんだよね」
ベンチに腰掛けた梨恵の背後から、のっそり現れたのは総志朗だった。
そのままベンチの背もたれを足でまたいで、総志朗は梨恵の横に座る。
「どうした?」
優しい笑みを浮かべる総志朗。
月の光に照らされて、緑がかった茶の瞳が輝いた。
「あんたは、なんでここにいるの?」
「探したんだよ。依頼、忘れたの?」
自分で言い出したことだろ、と総志朗はぼやく。
探した、か。
その言葉がなんだか梨恵は嬉しかった。
消え入りそうな気持ちの時、誰かが自分を探してくれていたならそれだけで安心してしまう、そんな嬉しさ。
探してくれたのは依頼だから、それはわかっている。
それが擬似的なものでも、それでも梨恵は嬉しかった。
「バカみたい。会ったばっかの男に安心感を感じるなんて」
「え?」
「私、寂しかったのかも……」
気付かない奥底の感情。
イライラしてばかりの日常が嫌でたまらなかった。
だからこそ、どこかに何かを求めていた。
安心したかったんだ。私、大丈夫だって思いたかったんだ。
「梨恵さん?」
「ねえ、人は死んだら、どこに行くと思う?」
総志朗は不思議そうに首をかしげる。
「私、輪廻転生っていうのを信じたいな」
「輪廻転生?」
「うん。人はね、死んだらまた生まれ変わるの。それを繰り返すの。何度も、何度も……。大切な人のところに生まれ変わりながら」
「へー……オレは……」
ふと黙り込む総志朗。
木々の合間に瞬く星を見上げる。
「オレは、無になるだけだと思うな。体も心も、存在も、無に還るんだ」
総志朗の目はどこか寂しげだ。
梨恵は、悲しい気持ちがこみ上げてくるのを感じた。
「それって、寂しくない? ……消えちゃうってことだよ?」
「別に。だって、オレは……」
「オレは?」
「いや、なんでもない」
総志朗は穏やかに微笑む。
その笑顔が、あまりに寂しそうで、梨恵は涙がこぼれそうになった。
見上げると月が真っ白に輝く。
「オレの勝ち」
「え?」
今までの寂しそうな雰囲気は消えうせ、総志朗はしてやったりと笑う。
くいくいと親指で指された公園の時計は、12時になっていた。
「あ」
依頼のことを梨恵は思い出す。
「負けちゃった……。」
負けはわかっていたゲームだ。
むしろ負けるしかないゲームだった。
仕方ないな、と梨恵は笑った。
「私、死ぬ気なんて全然なかった。ごめんね、変なゲームにつき合わせて」
「つーか、死ぬ気なんてないの最初からわかってたし。ほんとに死にたがってるやつは誰にも言わないで、勝手に死ぬって。生きたいやつは死ぬって言ったって、なかなか死なないもんだ」
えらそうに腕を組んで講釈をたれる総志朗の姿が面白くて、梨恵はブッと吹きだした。
「それなりに楽しかったし?」
「そうだね。ありがとう」
いつの間にか、頬を涙が伝っていた。
悲しい気持ちと、嬉しい気持ち。
それは涙となって、とめどなく流れた。
「やだ、なんで泣いてるんだろ」
「泣いちゃえ泣いちゃえ。我慢は体によくないぜ」
からかった口調の総志朗だが、表情はとても優しい。
梨恵はクスクスと笑いながら、涙を拭う。
「おじいちゃん、死んじゃった……。私のこと、わかっててくれた人、いなくなっちゃった……」
そっか、とだけつぶやいて、総志朗はただ梨恵の横にいてくれた。
それがよけいに嬉しかった。
私、大丈夫だ。泣ける。笑える。
どんな不安があっても、安心できるものがあれば、人間って大丈夫なんだ。
梨恵は総志朗の横で、そんな気持ちをかみしめていた。
「あーけーろ!!」
祖父の家の前で、梨恵は怒鳴り散らす。
家の中からは、どかっとかどこっとか、変な音がした。
「ちょっとー! 総志朗! いるんでしょお?! あーーーけーーろーーー!!」
「……梨恵さん」
ぼっさぼっさの頭をかきながら、総志朗がトランクス一丁で姿を現す。
「おはよ」
「おはようございます」
朝ってさわやかよね! そんな言葉が出てきそうなくらい、梨恵の笑顔は爽やかだ。
だが、夏のくそ暑さの中においては、うざい笑顔だ。
「おやすみなさい」
とっさにドアをしめようとしたが、梨恵の足が一歩早くドアの隙間に入り込む。
「もう朝よ。起きなさい」
「すっごい怖い。なしえっち、怖い!!」
梨恵の横にはどうやって持ってきたのか、たんまりと荷物が積まれている。
「まさか」
「そのまさか」
にっこり、極上笑顔の梨恵。
その笑顔に、総志朗は背筋が凍った。
「ちょっ、待、だって、契約では」
「ん? 住まわせてあげるとは言ったけど、私が住まないとは言ってないわよ?」
有無を言わさぬ爽やか笑顔からは、真っ黒オーラが放たれている気がした。
「まじかよーーー!!」
照りつける太陽の下、総志朗の雄たけびが響く。
私達の奇妙な共同生活は、こうして始まった。
The case is completed. Next case……病人