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Recollection3 君を思う:04

 それは、十三歳の時のこと。

 まだ彼は『ユキオの双子』に喰われていなかった。彼は彼として生きていた。たまに自分の中に得体の知れないものを感じたけれど、彼は彼だった。


「優喜。お前も早く『俺』になれ。俺たちの本当の双子を守るために。俺は行く。ユキオのところに。あいつを目覚めさせる」


 双子の兄、光喜の自殺する間際の言葉にざわついたのは、彼の中に眠る『彼』だったのか。彼――優喜はその時初めて自覚する。

 もう一人、確かに存在する誰かを。

 声が、聞こえたから。


――ユキオを助けなければ。


 同調する、心。インクが広がっていくようにまっさらな心は黒く黒く染まってゆく。彼は彼ではなくなっていく。『彼』になっていく。

 本物の優喜とユキオの双子の彼との間で心は戸惑い、患う。

 何かを捜し求めて街をさまよう。

 そんな彼に、彼の母は言う。


「私を一人にしないで! 光喜が死んでしまったのに、あなたまでいなくなったりしたら、私は生きていけない!」





「優喜! そんなところにいてはだめ!」


 母の怒鳴り声で、優喜ははっと我に返った。庭先でぼーと佇んでいた優喜に、買い物から帰ってきた母、相馬百合子が駈け寄ってくる。


「警察が来たらどうするの! 早く家に入って!」


 血のついた制服を燃やして処分したところを目撃してしまった百合子に問われ、優喜は奈緒の殺害を認めた。

 それ以来、百合子は優喜を家の中に押し込め、誰にも見られないようにしてしまった。時折抜け出すことは出来ても、それがばれると百合子は血相を変えて優喜を探し続ける。学校ももうずっと行っていない。


「この前からずっとうちの周りをうろうろしている人がいるの。きっと警察だわ。あなたを警察なんかにはやらない。あなたのことは私が守る。ね、光喜」

「俺は、光喜じゃ――」


――光喜じゃない。そう言おうとして、言葉を飲み込む。何を言っても無駄なことを優喜は知っていた。母は、光喜が死んだあの時から少しずつ少しずつ精神を病んでいっていたから。

 失った光喜を、母は求めている。優喜に光喜の面影を見ている。


 俺もあいつと同じなんだ、彼は自嘲する。しょせん、影でしかない。身代わりでしかない。あの男――総志朗と同じように。


「誰にもやらないわ。もう誰にも。もし、もしあなたを警察に引き渡すようなことになるなら、あなたを殺して私も死ぬわ。離れない。絶対に離れない! またあなたを失うくらいなら、死んだ方がましなのよ!」


 こらえきれず、声を出して笑う。何もかもがどうでもいい。彼は腹を抱えて笑い転げる。


「だったら、だったら死のうよ! 総志朗と一緒だ! 俺だって……生きてる意味なんて無いんだよ!」


 この仄暗い家の中で、温かい笑い声が響いたことがあっただろうか。光喜がいた時は? 本物の優喜は? 何を手に入れるために生きているのだろう。この家にあるのは、侘しい、執着心のみだ。

 笑いすぎて、目の端から涙がこぼれる。彼はそれを手で拭うと、百合子を見据えた。

 黒い髪を振り乱し、必死に追いすがる母は、年齢以上の歳を感じさせた。やつれた頬と狂気じみた瞳。そこに映る己は、母以上に壊れた顔をしている。


「光喜なんて、光喜なんてもういない! 優喜だって、もういないんだ! とっくの昔に『俺』に喰われて、消えちまった! どうして気付かない?! 俺はあんたの息子じゃない! あんたは、四年前のあの日からずっと、もうずっと独りだったんだよ!」


 光喜が死んだあの日。すべてが、変わったのに。母は現実から逃げ出した。





「ゴールデンウィークはさあ、ばあちゃんち行くんだー。あっくんは?」

「オレはまだ決まってないけど、どっかに家族旅行に行くかも」


 学校帰り、篤利は片方の肩にだけかけたランドセルを揺らし、友人と歩いていた。校門をくぐり、ゆるやかな坂道を下っている時だった。

 電柱に寄りかかり、文庫本を読む高校生の男が目に入った。

 篤利は心の中で「まじかよ」とうろたえながら、なるべく男を見ないようにと帽子を深くかぶりなおす。

 その様子をいぶかしんだ友人が、「どうした? あっくん?」とでかい声で叫んだ。


「おま、声、でかっ」


 慌てて友人の口を手で塞ぐが、時すでに遅し。男は本から目を離し、じっと篤利の方に視線を向けていた。

 冷や汗をかきながら、篤利は友人から手を離す。


「こんにちは」


 薄い唇を歪ませて、男は不気味な笑みを浮かべる。


「ど、どうも」

「あっくん、知り合い?」


 なんとも言えない重い空気に気付かずに、篤利の友人はのん気な声をあげ、物珍しそうに男をじろじろと見た。篤利は彼を足で思いっきり蹴飛ばして、「先帰っててよ」と笑って見せた。


「いってえな〜。あっくんのばかやろー。じゃあ、またなぁ〜」


 蹴られたのに怒った様子なく、友人はスキップを踏んで去っていってしまった。篤利は彼の能天気っぷりに多少緊張感がほぐれたのを感謝しながら、もう一度目の前にいる男を睨んだ。

 紺色の制服が風ではためく。

 文庫本がぱたりと閉じられた音がやけに耳に響いた。


「まさかオレに会いに来たとか?」

「そうだよ」


 男――相馬優喜は、事も無げにそう答えて楽しそうに笑った。目に入りそうな長さに伸びた黒髪が煩わしそうだ。


「最後の伝言に」

「最後?」


 篤利と優喜の横をサッカーボールを抱えた少年たちが通り過ぎてゆく。わいわいとはしゃぐ少年たちの声は、坂道をどんどん駆け下りていった。


「俺の役目は終わった」


 他人事のような冷めた声色で、優喜はぽつりとそう言った。


「ユキオが目覚めれば、後は光喜がやる。俺の役目はもう終わり」

「なんだよ、それ」


 一切の光を宿さない暗い目だと思っていた優喜の目に、篤利は何か違うものを垣間見る。それが何なのか、篤利にはわからない。


「俺たちは、ユキオの味方だ。ユキオの憎しみを共有し、ユキオの思いを晴らしてやる。そのためだけに、生きてる」

「意味が、わからない」

「ユキオの望みを叶える。その邪魔になったのが、総志朗だっただけで、俺たちは別に総志朗を敵視してるわけじゃない」


 生い茂った木々の合間から太陽の光がこぼれる。白と黒のシルエットがアスファルトの地面に模様を描き出していた。ゆらゆらと揺れるその模様を目で追いながら、優喜はくつくつと喉を鳴らす。


「総志朗を目覚めさせたい?」

「そんなの、当たり前だろ!」


 仰ぐ空はまぶしくて、優喜は鋭い目をすっと細めた。篤利もつられて、空を見る。放射状に広がる太陽の光がいつにも増して輝いている気がした。


「ユキオは総志朗を恐れてる。強さは弱さだ。弱さは、強さにもなりえる」

「はあ?」


 優喜はいつもと同じ不敵な笑みを湛え、篤利に背を向け、歩き出した。


「俺は、敵じゃない」








 それは表裏一体の感情。

 何かを失えば、人を弱くなり、そして、強くなる。

 それを人は『成長』と言うのだろう。

 あなたが持つ弱さも、いずれ、強さに変わる。

 そう信じていて、いいでしょ?

 私、信じてる。

 信じて、待ってる。

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