A current scene10 追想
題名に「A current scene」とつくものは、現在(梨恵26歳)のストーリーです。
A current scene9までのストーリー
総志朗の行方を追うことを決めた梨恵は、総志朗と暮らした祖父の家へと向かう。
そこで会ったのは……
一方、便利屋でバイト中の篤利は、学登から総志朗を探してほしいという依頼を受ける。
早速、総志朗の行方を追って、横浜へと向かう。
「ああ、この男なら見たことあるよ」
横浜から電車で少し行ったところにある、とある街。商店街の一角で、篤利は聞き込みをしていた。
総志朗の行方を追う篤利は、倉沢麻紀子の元へ訪れた。
麻紀子は、この街で総志朗を見かけたという噂があったことを、篤利に教えてくれた。
せまい道に所狭しと並んだ店。ただでさえせまいのに、バスがスピードを出して通り過ぎてゆく。
ハワイアンの音楽が流れるのんびりとした雰囲気の美容院で、ドレッド頭の美容師の男が篤利が見せた写真に反応を示してくれた。
片手に持ったままのはさみを腰につけたバッグにしまい、美容師の男は写真を改めてまじまじと見る。
そして、納得がいったように何度もうなずき、篤利に写真を返した。
「やっぱりそうだよ。うちの常連だった唯子ちゃんの彼氏だよ。色素が薄くてハーフっぽいかんじのかっこいい男だったから覚えてる」
「その唯子って女はどこに住んでんの?」
「お客様の個人情報は教えられないよ。それに、もうここには住んでいないよ」
「え?」
ドレッド頭を手でいじりながら、男はレジに戻っていく。
篤利は男の後を追い、レジ前に立った。整理整頓が行き届いていないのか、ファイルが乱雑に棚に収まっているのが見えた。
「ええと、いつだったかな。けっこう最近だったはず。東京に行くって言ってたよ」
「東京に行ったんなら、この街でどこに住んでたかくらい、教えたって平気だろ」
「んー……そうなのかなあ。じゃあ、詳しくは教えないけど。ほら、あそこの大通りあるだろ? あそこを右に曲がってちょっと歩いたとこらへんのアパートに住んでたはずだよ」
「ありがとう!」
開くのが遅い自動ドアに体当たりしそうになりながら、篤利は美容院を出た。
男に言われたとおりに、大通りを右に曲がり、少し歩く。
「って、どれ?!」
右も左も前もアパートだらけ。
だからあの美容師の男は場所を教えてくれたのか、と篤利は舌打ちした。
そこへちょうど、腰の曲がった老婆がぼろいアパートのそばの家から出てきた。篤利は即座に老婆に走り寄る。
薄い髪は真っ白で、しわくちゃの細い目がしょぼしょぼと動く。老婆は篤利がそばに立っているのに全く気付かない様子でよたよたと歩いている。
「ちょ、おばあちゃん!」
つい大きな声を出すと、老婆は「んあ?」と猫のあくびのような声を出した。
「あのさ、ばあちゃん、この人知らない?!」
総志朗の写真を差し出すと、老婆をそれを目を細めながら見つめ、よく見えないのか顔を上下に鶏のように動かした。
「知らん」
「じゃあ、唯子って女は?!」
「唯子ちゃん?」
「そう、唯子ちゃん!」
首をひねりながら、老婆は篤利にちらりと視線をやる。
老婆が黙ってしまったので、篤利はあきらめようかと、もう行こうとした時だった。
「唯子ちゃんは、いい子だよ」
「知ってるの?!」
「ご近所さんだから」
老婆の顔から笑みがこぼれる。孫の話をするかのような微笑ましい笑顔だ。
「あの子、孤児なの。それなのに、全然寂しそうにしなくて、明るくてかわいい子」
「この写真の人、その唯子の彼氏らしいんだけど! 知らないの?!」
「ああ、あの無愛想な子か」
やっと思い出したのか、篤利の手に戻っていた写真をもう一度繁々と見つめる。
「うん。この子、無愛想だったけど、悪い子じゃなかったよ。東京でやることがあるって言って、出て行っちゃった。ほら、そこのアパートの一階にさっちゃん住んでるでしょ。さっちゃん、唯子ちゃんと仲良かったから行ってみれば?」
「住んでるでしょ、って。さっちゃんって、本名は?」
「知らん」
老婆は口をもぐもぐと動かしながら歩き出してしまった。
篤利はなんだかどっと疲れて、ブロック塀に寄りかかりながら座り込んでしまった。
冷たい風がヒュウとうなりながら、二人の間を過ぎ去っていった。
冬の白い陽光を受けて、白いレースのカーテンがいっそう白く染まる。
梨恵は正面に立つ男を唇を震わせながら眺めていた。
目深にかぶったカーキ色のニット帽。黒いハーフコート。色のあせたジーパン。ニット帽からはみ出した髪はキャラメル色で、パーマをかけたように少しうねっている。
変わらないその風貌。
彼を見た瞬間、梨恵は彼だと思った。けれど、彼は、彼ではない。
彼からはあの優しい陽だまりのような雰囲気は感じられなかった。
「総志朗じゃないわよね? 誰……なの?」
梨恵の問いかけに、男はニット帽をするりとはずした。ふわふわのくせっけが揺れる。
「久しぶり、梨恵」
よく見えなかった男の目。左目は淡くグリーンに輝く。彼の証。光喜の目だ。
「どうして」
「なに?」
声が震え、うまく言葉が紡げない。梨恵は両手で口を覆い、胸の奥から溢れ出る思いを寸前で推敲する。
「どうして、ここに、いるの?」
途切れ途切れに出てくる言葉は、自分の言葉ではないような違和感を覚える。眉間に力が入っている。
「ここに住めば、あんたに会えると思ったんだ」
「……今更っ! 今更会いたいとか、そういうことを言うの?!」
「あんたは俺に会いたいと思ったから、ここに来たんだろ?」
「思い上がらないで!」
あの頃と変わらない余裕を湛えた光喜の顔。歪んだ笑みを張り付かせ、けして弱みを見せない彼の顔が、憎たらしい。
「あなたに会いに来たんじゃない! 総志朗に会いに来たのよ! 私は……!」
ずっと長い間心に溜め込んできた思いは、ここぞとばかりに出口を求める。
会っていなかった分だけ、大人になった彼。あの頃と変わらないけれど、やはり違う。その違いが、会えずにいた年月を思い巡らせ、ずしりと肩にのしかかる。
「私は……! あなたが私を利用したことも、騙していたことも、許してないし……これから先も許すことなんてない!」
換気のために開けた窓から、体を刺すような冷たい風が吹き込んでくる。それは会わずにいた間に二人が培った空気のようだった。
「そうだろうね。俺は許されようなんて思ってない」
光喜はそう言い放ち、テーブルにニット帽を投げ置いた。
重苦しさが周囲を囲む。
「……総志朗は?」
「わかってるだろ?」
「わからないから、聞いているのよ。浩人を動物園に連れて行ったのは、誰なの」
梨恵と一定の距離を取りながら、円を描くように光喜はゆっくりとした歩調で歩く。
そして、彼は笑む。
楽しそうに、苦しそうに。
あれはそう。
とても空が高くて気持ちがいい日だった。
広がる空が、なぜか哀しかった。
僕の中で生まれる感情が僕を飲み込み、やがてそれは僕を突き動かす力となった。
それが……とても哀しかった。
僕はなぜ生きているのだろう。
なぜこんな思いを抱え生き続けるのだろう。
いっそ消えてしまえばいいのに。
そう、願い続ける。
逃れられない運命は、僕を混沌とした世界に追いやる。
ならばもうその混沌とした世界で、僕は王になろう。
誰も寄せ付けない力を手に入れ、すべてを屠り、この思いを闇へと捧げよう。
そうすれば、僕と彼の苦しみは、光の世界へ浄化されるかもしれない。
片割れは孤独の中、憎しみの炎にまかれ、今もなお、その業火に焦がされる。
僕たちは、その業火をいさめるんだ。
それが彼を救う唯一の方法。
そう信じているのに。
心の奥底で叫ぶ、本当の僕の声が聞こえる……。
消えない過去を抱えて、僕たちは願う。
この思いがいつか消えていくようにと。
叶わない願い。
消えゆく思い。
そして僕たちは繰り返す。
終わりのないメビウスの輪を。
僕たちは永遠になぞり続けるんだ。