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Recollection2 深淵:06

「総志朗、大丈夫か?」


 頭を抱えながら、だるそうに起き上がる総志朗の背中を学登が支えてやる。

 新薬の実験を受けた総志朗は体の不調を訴えた。体が異常に重く、起き上がることさえままならない。


「今、食事と水を持ってくるから、待ってろ」


 病室のドアの横に置かれたワゴンに総志朗の食事が置いてある。学登は動けない総志朗を気遣って、それを取りに病室を出た。

 総志朗のいるこの病室は、他の病室と切り離され、一部屋だけぽつんとあるような状態だ。隣の部屋は物置で、その先は実験を行う研究室が続く。隠すように隔離されたこの病棟を訪れる者は香塚を含め数名しかいない。

 非道な実験はごく一部の人間が知り、極秘裏に行われているのだ。

 長い灰色の廊下。静けさに包まれた廊下の奥にある給湯室に、学登は向かう。

 水道の蛇口をひねろうと手を伸ばした時、廊下の向こうで、ゴトリ、と音がした。なんとなく、学登は給湯室から顔を出し、物音がした方を見た。

 香塚病院に勤める医師、宮間が総志朗の食事がのったワゴンの前に立っていた。

 汗が背中にじわりと滲む。

 瞬間的に、学登は走り出していた。宮間の顔は遠目で見ても真っ青で、思いつめた顔をしていた。彼が何かしようとしていることを学登は本能で察知したのだ。


「宮間さん!」


 慌てて逃げようとする宮間の腕をつかみ、離さないようにと手に力をこめる。


「何をしてたんですか?!」

「ち、違う! ユキオがいけないんだ!」

「何が?!」


 宮間が手に持った親指大のビンが学登の目に留まった。すかさずそのビンを奪い取り、目を細めて中身を伺う。

 ビンが右へ左へ揺れるたび、中の白い粉がさらさらと動いた。


「これは?」

「お前は怖くないのか?! ユキオが!」


 学登の問いには答えず、宮間は唾を飛ばしながら怒鳴る。


「ユキオは目覚める! いずれ必ず! 俺は怖いんだ! 俺はあいつに何度も殺されかけた! あいつを殺さなければ、安心できない!」

「まさか、これ、何かの劇薬ですか?」

「返せ! それを返せ!」


 ビンを奪おうと暴れ始めた宮間を、学登は思わず殴っていた。みぞおちに決まってしまったのか、宮間は腹を抑えてうずくまる。

 確かにユキオは危険な人間かもしれない。憎悪がうずまくあの表情は、被害にあっていない学登でさえ、ぞっとしたことが何度もあった。

 だが、総志朗は違う。普通に生きることを望む普通の少年だ。こんな身勝手な理由で殺されていいわけがない。

 手に持ったビンが、カラリと落ち、床を転がる。「うう」と宮間がうなったのがわかった。

 学登は自分でさえもわからぬ内に、宮間を蹴っていた。動かなくなった宮間がまだちゃんと生きていることを確認し、総志朗の病室に戻る。

 額から汗がほとばしる。体中にびっしりと汗をかいていた。


「総志朗、俺とここを出よう」

「は?」

「お前、ずっとここから出たがっていただろう?」

「何、急に」

「外の世界を見せてやる。ここから出るんだ」


 突然の学登の言葉を理解できていないのか、総志朗は呆然とした表情のまま固まっている。


「俺の親戚で、暴力団の人がいる。かくまうのは得意だよ。大丈夫。なんとかなる」

「何を言ってるか……よくわかんねえよ」

「逃げよう。逃げるんだ」


 総志朗の目が大きく見開かれる。息を吸い込み、震える吐息を漏らした。


「ここから、逃げる?」

「そうだ。逃げるんだよ!」


 総志朗はゆっくりと、前を見据えてうなずいた。







 学登の親戚は、暴力団の幹部で加倉勇かぐらいさむといった。彼は突然やって来た学登と総志朗を受け入れ、しばらくやっかいになることを了承してくれた。

 総志朗は彼の苗字を借りて「加倉総志朗」と名乗るようになり、勇の下で半年ほど暮らした。

 学登は金を稼ぐために勇の仕事を手伝い、銃の密売を始める。


 香塚は総志朗を使ってやりたい実験があると言っていた。もしかしたら香塚は総志朗を追ってくるかもしれない。その不安から、学登と総志朗は一箇所に留まって生活せず、東京近辺を点々とした。そのため学校に通うことも出来ず、総志朗は孤独感をいっそう強める。

 病室の独りの空間では気付かなかった。

 太陽の下で笑いあう人々。走り回る子ども。抱き合う恋人たち。自分が味わったことのない幸福な風景は、独りであることをまざまざと実感させられる。

 特に学校の前を通るとその気持ちが強くなる。同年代の少年少女の輝きに満ちた笑顔が胸に痛い。

 普通の子どもだったなら。彼らと共に笑っていられたかもしれない。一緒に笑って泣いて喜んでいたのかもしれない。

 現実に存在するのは「澤村ユキオ」。自分はただの人格の一人に過ぎない。その事実はずっしりと双肩にのしかかり、永遠に消えない。




 まるで遊牧民のような生活。学登にとってもそれは負担だった。そのことに感付いていた総志朗は、ある日、学登に提案する。


「これからは別々に生活しよう。連絡は常に取れればそれでいいし。いつまでも一緒に行動していたら、そっちの方が香塚に見つかるかもしれない」







 私は知っている。

 あなたという人間が、この世にいることを。

 たとえ、あなたが「人格」のひとつであり、「人」ではないという人がいても。

 私は、あなたがあなたであるということを知ってる。

 あなたが「ひとりの人間」だって、私が知ってるよ。

 

 



 


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