Recollection2 深淵:03
胎児内胎児。
母親の腹の中にいた双子の兄弟の片割れが、何らかの原因により片割れの体内に入り込んでしまう現象。それは頭だけであったり、手や足だけであったり、片割れの体の一部分のみの場合が多い。ユキオもまた、双子の体の一部分を体内に宿していた。
それに気付いた香塚孝之は、胎児内胎児を取り出し、その細胞の一部分を受精卵に埋め込んだ。埋め込まれたのは、相馬百合子。
光喜と優喜の母。
相馬百合子は体外受精の治療を受けたあと、その頃住んでいた家から近い病院に戻っていった。長山総合病院。澤村麻紀子が勤めていた病院だった。
麻紀子は香塚孝之から相馬百合子へ行った治療を聞くことになる。孝之はまるで自慢するかのように語る。
「お前はどう思う? ユキオの双子はまた生まれてくると思うか?」
孝之の問いに、麻紀子は何も答えられない。噴き出すように鳥肌が立っていくことしか感じられなかった。
相馬百合子の子は双子だった。何かの因果のような偶然。ユキオの双子の兄弟は、双子としてこの世に生を受ける。
ユキオの双子の兄弟は、一卵性双生児として誕生した。ユキオが四歳の時だった。
百合子の子、光喜と優喜。彼らの体にはユキオの細胞が入り混じる。だが、彼らにはユキオのような残忍さは最初見受けられなかった。いたって普通の子どもとして、親の愛を一身に受け、笑ったり泣いたりしながら成長していった。
それは、悪夢の前の静けさ。
少しずつ侵食していくユキオの片割れ。じわりじわりと彼らは飲まれてゆく。シロアリに食われた家のように。気付かぬうちに、そっとそっと。
光喜は『光喜』ではなくなっていく。先に食われたのは光喜だった。そして、光喜に遅れて優喜もまたユキオの片割れに飲まれる。
香塚病院に軟禁状態となったユキオを待っていたのは、度重なる人体実験だった。新薬の投薬テストであったり、新しい手術の実験体であったり、生体反応の確認であったり。それは様々で、だからこそユキオを苦しめた。
ユキオは『人』として扱われていない。ただの『実験対象』。モルモットと一緒だった。薄暗い病室に閉じ込められ、暴れないようにと、時には足枷や手枷をつけられた。それでも暴れるユキオを、香塚孝之はにやにやと下卑た笑いを浮かべて眺めていた。
「お前は母親に捨てられた。産みの母にも、育ての母にも。誰もお前なんか必要としていない。俺はそんなお前を有効利用してやってるんだ。喜べ」
ぎりりと噛み締める奥歯が痛かった。
「殺してやる! てめえを絶対殺してやる!」
呪いのように吐き散らす言葉。そしてそれこそが、彼の生きる糧だった。
ユキオが九歳になる頃、ユキオは解離性同一性障害、いわゆる多重人格障害を発症していた。ユキオの中に一番最初に出来た人格は明という九歳の少年で、大人しく冷ややかな大人びた人格の少年。ユキオの代わりに実験を受けていた。
実験の苦しみから逃れるために、明は生まれたのだ。
その頃、相馬百合子の元に生まれた双子――光喜と優喜――は五歳になっていた。光喜はすでにユキオの片割れに飲み込まれ、ユキオの中にいた頃の記憶を有していた。
五歳の体の中に、九歳のユキオの片割れがいる――そんなかんじだ。
彼には、聞こえていた。ユキオの苦しむ声が。母親に憎まれたユキオ。養母に捨てられたユキオ。養父の虐待。そして今、ユキオは養父の病院でさらなる苦しみを浴びていた。
彼にはそれがわかっていた。
暴力的で残虐な言葉を繰り返すユキオが、心の底で「助けて、助けて」と泣いていることを、彼は知っていた。
ユキオを助ける方法。彼はそれをひたすらに模索していた。
苦しみから解放される手段。死ぬよりもつらい人体実験から彼を救う方法。
ユキオの体の中にいた、あの頃の記憶がうずく。
彼は叫んでいたではないか。
「殺してくれれば。殺してくれれば、こんなに苦しむことはなかったのに!」
光喜は一人、香塚病院に来ていた。相馬光喜だと名乗ると、すんなりと香塚孝之と対面することが出来た。
病院の応接室に案内された光喜。すぐに孝之は現れた。
つやつやと光るオールバックの黒髪を整え、孝之は光喜を面白そうに眺める。一重まぶたの冷たい眼光は、フラッシュバックのように過去の幻影を思い起こさせた。
「ユキオの中にいた子だね?」
孝之の問いに、光喜はただうなずいた。それだけなのに、孝之は歓喜に満ち溢れた顔をした。
「やっぱりな! 世の中というのは何が起こるかわからないものだな。こんなことが実際に起きてしまうとは!」
鼻の下に蓄えた髭を何度もなで、何度も何度もうなずく孝之を、光喜は殺してやりたいと思う。
目の前にいる男は、哀れな双子を苦しめ、それを楽しんでいる。憎い。殺意は燃えさかる炎のようにちりちりと目の前をよぎってゆく。
「君は相馬光喜に成り代わったというわけだ。確か双子で生まれたはずだ。もう片方はどうした?」
「……ユキオに会わせろ」
怒りを無理やり飲み込んで、つぶれた声を押し出す。孝之は一瞬驚いた表情をしたが、「まあ、いいだろう」と承諾してくれた。
程なくして、孝之に連れられ、ユキオがやって来た。
うつろな目をしたユキオ。ブリキの人形のような不自然な動きで、ユキオを光喜を見た。
電流が流れたような感覚。
失った片割れが、そこにいた。
「お前なら、オレを助けてくれると、思ってた」
ユキオの目に光が宿る。目で会話を交わすかのように、彼らはうなずきあった。
「ユキオ、楽にしてやるから」
光喜の手にはカッターが握られていた。チキチキ、と刃が出てくる音はゆっくりと室内を木霊する。目の前で起ころうとする出来事を前に、孝之は唖然として身動きが取れない。
光喜は小さく息を飲み込み、ぐっとカッターを強く握った。
ユキオを殺す。
それが、彼を助ける唯一の方法だと、光喜は信じていた。
彼は願っていた。死を。死をひたすらに望んでいた。
ならば、殺してやるしかない。
彼の願いを叶えてやりたい。
哀れな双子の兄弟を、苦しみから解放してやりたい。
その方法は、これしかない、彼はそう思っていた。
赤い閃光がユキオの目の前を横切る。
ノックするような音が床に響いた。ユキオの左目から血が滴り落ち、床を叩きつける。
「ユキオ……ッ!」
凶器は、光喜の手から滑り落ちる。
「俺たちに生きてる意味なんて、あるのかよ……!」
あなたが現れる時、左目は鮮やかな緑へと変わる。
エメラルドグリーンの海を思わせる、輝くような緑。
あなたに抱かれるたびに、食い入るようにその目を見ていた。
あまりにきれいすぎて。
涙が出てきてしまったのは、なぜだったのだろう。
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