表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
115/176

Recollection2 深淵:01

 僕は叫んでる。

 暗くて深い穴の底で。

 何度も。何度も。


 誰も気付いてくれない僕の叫び。

 君だけは気付いてくれた。

 君だけは見つけてくれた。


 君に贈れるものなんて

 何ひとつ無いけれど。

 君に贈る、ただひとつの思い。

 君に贈る、ただひとつの言葉。


 君が。

 君だけが。

 僕を救ってくれる。




***




 雪が降りそうなほど、凍りついた大気が張り巡らされた冬のある日。

 寒空の下、一人の赤ん坊が長山総合病院の裏口に捨てられていた。

 クマのキャラクターがプリントされた毛布に包まったその赤ん坊を見つけたのは、その病院で働く産婦人科医、澤村麻紀子だった。

 赤ん坊はかすれた声で泣き叫び、瀕死の状態ながらもなんとかその命を繋ぎとめていた。

 大急ぎで治療にあたった澤村麻紀子と看護師たちの献身的な看護のおかげで、その赤ん坊は一命を取り留めた。

 生後すぐに捨てられた赤ん坊の母親は、二週間後に警察に捕まえられる。

 母親は高校生。同級生との間に出来た子どものことを誰にも言うことができず、家にもほとんど帰っていなかった彼女は、腹があまり膨らまなかったこともあって、秘密裏に出産し、育てることは出来ないと病院の前に捨てたのだという。

 数年後に彼女は自殺する。「ごめんなさい」という遺書を遺して。




 澤村麻紀子は、赤ん坊の母親になろうと決意していた。子どもが出来にくい体質だった麻紀子にとって、病院の前に捨てられた赤ん坊は、まさにコウノトリが運んでくれたようなものだった。


「幸せに生きる、幸生ユキオ


 幸生と名づけたその子。

 ユキオはすくすく成長し、一歳になった。だが、ユキオは言葉を発しない。普通の子どもが最初に「ママ」というのに、ユキオは言葉をしゃべれるようになっても「ママ」とは一度も言わなかった。

 麻紀子は背中をなぞってゆくような気味の悪さを感じていた。ユキオの子どもとは思えない冷め切った目を見ていると、言い知れぬ不安が沸き起こった。

 ――この子はまともには育たないんじゃないか。

 そんな不安が、心中を覆いつくしていた。


 ユキオは独り言を繰り返す。自分の中にもう一人誰かがいて、その誰かに語りかけるように。


「ゆるさない」

「ぼくをころそうとしたあのおんなをゆるさない」


 ユキオの中に芽生えた復讐心。母親の胎内にいて母親から教わったのは、憎しみという感情のみ。だからこそ、ユキオの心は凶悪な刃物のようだった。

 羊水にいた頃の記憶は、彼の心に残像となって残り、消えることはない。

 憎しみ。怒り。憎悪のみで形成された心。そこに沁みゆく愛情はどこにも無く。

 ユキオは黒い深淵のような心のみをひたすら形成してゆく。



 ユキオが三歳になる頃には、言葉も達者になり、麻紀子に実の母について語ることも多くなった。


「死ね。死ね。死ね。産まれてくるな。死んでしまえ。あいつ、いつも言ってた」

「ユキオ、でも……」

「殺してくれればよかった。産まれたくなかった」


 たった三歳の子どもの言葉とは思えない、ユキオの言葉。麻紀子はどう接すればいいのか全くわからないでいた。

 愛情をひけらかしても、通じない。父親の香塚孝之は憎たらしいことしか言わないユキオに対し、暴力という形で答えた。

 いっそうに深まる、亀裂。


「ユキオ、あなたの本当のお母さんはあなたが生きることを望まなかったかもしれない。でも、だからといってあなた自身が死を望むなんておかしいわ」


 上滑りする言葉。それでも麻紀子は繰り返した。


「いつか必ず、あなたを必要としてくれる子は現れるわ。自分の存在をそんな簡単に否定しないで」


 届かない言葉。





「澤村さん、聞いた? 小学校のウサギ小屋のウサギが、全部殺されてたんだって」

「ほら、お向かいの西岡さん、飼ってた黒猫が殺されてたんだって」

「ナイフで切り裂かれたんですって」

「内臓までえぐりだされて」

「気味悪いわねえ」


 動物虐待の噂が広まる。どす黒い血のようなものがついた服を捨てるユキオの姿を、麻紀子は何度も目撃していた。


「ユキオ! あなたなんでしょう?! 動物を殺して、何が楽しいの!」


 悲鳴のような叫びをあげる麻紀子を、ユキオは冷めた目で見つめる。口元に湛える歪んだ笑みは、まるで悪魔のようだった。


「楽しいよ。なにが悪いの?」

「命を弄ぶなんて、絶対にやってはいけないことだわ。ユキオ、犬だって猫だって兎だって、もちろん人間だって、生きているのよ。それを奪う権利は誰にも無いのよ」


 闇を内包するその瞳は、何ものにも侵されない。麻紀子の真剣な言葉も闇に飲み込まれてゆくだけ。


「ぼくに説教するな。あんた、ぼくのことなんか見てない。ぼくはあいつと同じことをしてるだけ。自分より弱いやつをいたぶってるだけ」


 彼の目が追う、父親の姿。香塚孝之の後姿。








 本当は気付いていたんでしょう?

 あなたを愛する人の存在を。

 あなたは怖がっていただけ。

 光を直視することを恐れていただけ。

 優しい光があることを、あなたは知っていたはずだから。 


 


もしかしたら明日も更新するかもです。

しなかった場合は、17日以降の更新となります。21日までに一度は必ず更新します。

更新日は未定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ