Recollection1 過ちの行方:06
古いヨーロッパ調の家具が並んだダイニングバー。ダークブラウンを基調として、差し色で赤い色のインテリアが置かれている。
テーブルの上に置かれたキャンドルも赤。小さな炎がゆらゆらと揺れていた。
端の席で向かい合って座る、梨恵と澤村麻紀子。ユキオの養母だという彼女が、梨恵をここへ連れてきてくれたのだ。
「ベリーニを。あなたは?」
「じゃあ、アップルジュースで」
店員に注文をすませ、メニューを片付ける。店員が去ってしまったテーブルには沈黙という居心地の悪い雰囲気が漂う。
何か言わなければいけない、梨恵はそう思うのに、どう話を切り出したらいいのか分からない。
「あなたはどこまで知っているの」
口火を切ったのは麻紀子のほうだった。梨恵はテーブルの上をさまよっていた目線をあげ、麻紀子を見る。
理知的な切れ長の瞳が梨恵を冷たく射抜く。
「総志朗が多重人格者であること……優喜と光喜が総志朗を消そうとしていることは、知っています」
わからない問題を答えろと言われた時のような自信のない返事を梨恵は返してしまう。たったそれだけのことしか知らない。総志朗のことを何も知らないのだと、改めて感じる。
「ええと、失礼。お名前は?」
「浅尾梨恵です」
「そう。浅尾さん、あなたは部外者なのはわかっているのかしら? 私もユキオのことをべらべらと他人に話す気は無いのよ」
部外者。他人。かちんとくる言い方だ。梨恵は言い返したくなる気持ちを押さえようとするが、口から刺々しい言葉がこぼれる。
「じゃあ、どうして『夜まで待てるか』なんて言ってきたんですか? 私の話を聞くためですよね」
「そうね、初めて会った日に光喜の名を口にしていたから。あなた、総志朗や光喜とどういう関係なのかしら」
麻紀子から総志朗のことを聞きだすつもりだったのに、立場が逆になってしまった。学登や篤利のように自分を責める言葉を言われるだろうと思うと、答えに窮する。
「……あなたが話さないのなら、私もあなたには何も話すことは無いわ」
ばっと顔をあげ、麻紀子を見つめる。ちょうどその時、店員が注文したベリーニとジュースを持って来てくれた。
麻紀子はベリーニをキャンドルの光で透かすように傾けた後、一口飲み込んだ。梨恵もそれに倣うように目の前に置かれたアップルジュースを一口飲む。
酸味の残る甘さが、梨恵の緊張をほんの少しほぐしてくれた。
「光喜は……恋人でした」
やっと出た言葉。だが、その間違いにすぐ気付く。恋人だったのだろうか。キスをして、セックスをしたからといって恋人と言えるのだろうか。
光喜の自分への愛情が偽物だったのだから、それは恋人とは言えない気がした。
「恋人……ではないです。私は彼のことが好きになっていたけど、彼は違ったから」
「そう」
麻紀子はうなずくだけ。ピンク色のカクテルに何度も口をつけ、梨恵の話に耳を傾ける。
「私……」
誰かに聞いてほしかったこと。誰に話していいかもわからないでいたこと。麻紀子のそっけない態度、責める言葉を吐かない態度に、溜め込んでいた不安が吐け口を求めてこみ上げる。
「……妊娠したんです。子どもがいるんです……。なのに、光喜は私を利用しただけって。私、知りたい。総志朗を取り戻す方法と、光喜がなぜこんなことをするのか。どうしても、知りたいんです」
麻紀子の喉がゆっくりと動いた。いつの間にか飲み終えたグラスを脇に寄せ、麻紀子は梨恵を優しい目で見つめた。先ほどまであった敵意がゆるんだことに、梨恵は気付いた。
「そう……。つらかったでしょう」
誰にもかけてもらえなかったねぎらいの言葉。梨恵の目があっという間に潤んでゆく。
「ごめんなさい。あなたはどうやら部外者では無いようね。私の知っていることなら、話せる範囲で話すわ」
思わず梨恵は麻紀子を見つめてしまった。キャンドルの光が反射するその瞳には、厳しさと優しさが同居する。小学生の頃、大好きだった教師と同じ目だと、梨恵は思った。
「まずひとつ。おそらく、勘違いしていると思うから言っておくわ。いい? 加倉総志朗という人間は社会的にはどこにも存在していないのよ」
「え?」
「基本人格……産まれてきて最初に持つ人格、本来の人格のことね。オリジナル人格とも言うんだけど。あなたは総志朗が基本人格だと思っているようだけど、基本人格はユキオ。総志朗は交代人格の中の一人に過ぎないのよ」
総志朗の笑顔が一瞬脳裏をよぎる。思いもよらなかった事実が、喉をすっと通っていった。
あの時。
彼はなんて言っていた?
優喜が言ったあの言葉。
――身代わりがどんなにいきがったところで、本物になんかなれやしないんだよ。
そう、言っていた。
ああ、だからだったんだね。
今頃気付いたよ。
だから、あなたはどこか儚げだったんだね。
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