表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/176

Recollection1 過ちの行方:01

「梨恵ちゃん!」


 病院に駆けつけた梨恵を出迎えたのは学登だった。血相を変えた学登の顔を見て、梨恵は唇が震えるのを感じた。


「そ、総志朗は?」

「わからない。今、集中治療室に……」


 学登の説明が終わらないうちに、集中治療室からメガネをかけた若い医師が出てきた。一息つき、梨恵と学登を見やる。


「彼の親御さんは?」

「俺が親代わりをしてるんです。彼に両親はいません」

「ああ、そうですか。彼の状態なんですが、とりあえずは命に別条はありませんから安心して下さい」


 力が抜けたのか、学登は近くにあったソファにどさりと座り込み、大きく息を吐き出した。

 総志朗は道路をふらふら歩いていたところを車に轢かれたらしい。加害者は事情聴取で警察に連れて行かれてしまった。


「彼が目を覚ましたら、警察から事情聴取に来ると思います。まあとにかく今は彼のそばにいてあげてください」


 メガネの奥の目に優しさを灯した医師の言葉に従い、梨恵と学登は病室に運ばれた総志朗の元へ向かう。

 病室に入ると、点滴の準備をしていた看護師が二人に会釈し、小さく微笑んだ。


「左手と肋骨を骨折してますけど、それ以外に大きな怪我はありませんよ。その内、目も覚まします」


 そう言って、総志朗にかけられた布団を直し、病室を出て行く。学登は看護師に一礼し、総志朗の傍に寄った。

 頭にも傷を負ったのか包帯が巻かれ、小さな傷が生々しく残っている。頭の他にも至るところに包帯が巻かれていた。

 あまりに痛々しい姿に、梨恵は瞳を潤す。

 学登は梨恵に椅子を渡すと、窓際に寄りかかった。


「ちゃんと息してる?」


 自分で確かめればいいのに、梨恵は怖くて確認できない。学登は「大丈夫だよ」と笑い、総志朗の顔に耳を寄せた。静かな吐息が「すーはー」とゆっくりとだが確かに聞こえた。


「呼吸は安定してる。医者だって別条はないって言ってたんだから」


 だから安心しな、と学登は優しく笑ったが、梨恵は顔面を蒼白にし、総志朗のそばに寄ろうとしない。


「梨恵ちゃん?」

「学ちゃん、どうしよう……」


 ガタガタと梨恵が震えていることが、遠目でもわかった。学登は嫌な予感を覚えながら、梨恵の言葉を待つ。

 梨恵は唇を噛み、涙を一筋こぼし、手を強く握りしめ、学登を見据えた。


「私、総志朗にひどいことを言ったの……! だから、こんなことに……」


 学登はごくりと唾を飲み込んだ。

 窓から差し込む光が、朝を告げている。雀ののん気な鳴き声が、今はただ耳障りだった。


「何を、言った?」

「……光喜に会いたいって、光喜と一緒にいたいって、言ってしまった……。でも、だって、しょうがないじゃない! 光喜の子供がいるの! 光喜が好きなんだもの!」


 息が止まる思いだった。なんてことだ、学登はつぶやき、頭を抱えた。

 奈緒の葬儀の日、梨恵を連れて帰った光喜の、あの笑み。梨恵の腰を抱いたあの手。あの時、何が起こっていたのか気付くべきだった。


「どういうことだ……? いつからそんなことになってた? それが総にとってどういう意味を持つのか、わかってるのか? わかってるのか?!」


 感情が高ぶるのを感じる。言葉を抑えようと思うのに、声を荒げてしまう。

 梨恵はおびえた目を一瞬したが、すぐに学登を鋭く睨んだ。


「そんなこと、わかってる! でも、好きな人と一緒にいたいと思うことが悪いことなの?! 私は、光喜が好きなのよ!」

「自分のしたことを正当化させようとするのはやめろ!」


 息を飲み込み、梨恵は目線を床に落とした。

 光が部屋をだんだんと明るくしていく。


「……誰を好きになろうと、それは梨恵ちゃんの勝手だ。悪いことなんかじゃない。だが……」


 学登は日の光を浴びた総志朗の顔を見つめる。乾ききっていない血が赤く光って見えた。


「それが何かを犠牲にするなら、その犠牲になる者のことを考えるべきなんだ。梨恵ちゃん」


 学登の目は哀れみに満ちていた。梨恵は学登の目も総志朗のことも見ることが出来ず、ただじっと床だけを見つめ続ける。


「君は、総志朗の存在を否定したんだ」


 梨恵には、白い床が真っ黒に見えた。


「光喜が必要だということは、結果、総志朗を排斥することになる。君が口にした言葉は、決して言ってはいけない言葉だったんだ」


 総志朗を巡る五人の人格。総志朗、明、統吾、光喜、ユキオ。五人はとても細い糸の上で微妙なバランスを取っている。

 ひとつの人格は、ひとつの人格を消そうと策を練る。

 ひとつの人格は、消されまいと、自分はここにいるのだと、存在し続けようとした。だが、それは脆いガラスのような、壊れやすいものだった。


『私が必要なのは、あなたじゃない。私が必要なのは、別のあなた』


 ガラスは簡単に砕け散る。

 決して口にしてはいけない、タブーの言葉。



「私……」


 梨恵はようやく顔をあげる。体中、傷だらけの彼。『彼』は目覚めるのだろうか。『誰』が目覚めるのだろうか。

 それは、学登にも梨恵にも、わからない。








 せめぎあう人格たち。

 私には、どうすることも出来ない、彼の目的。

 彼らがその道を選んだのは。その道を選ぶために犠牲を出したのは。

 彼らを突き動かす、たった一つの心。

 揺るぎない彼の心。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ