―軽々しい逃亡―1/3
被っていたタオルケットをどかすと、まだ全裸だった。
コピーは終わったのだろうか。
だとしたら、自分はもう自分ではないことになる。
だけど意識は俺だ。一体自分は自分なのか他人なのか、他人が自分なのか。
まあそんなややこしい事は考えないようにしよう。
「…。」
むくりと上半身だけを起こす。
宇宙船のとき同様、あたりを見回す。
白いカーテンに四角く狭く囲まれている。
まるで病院か保健室の個室のようだ。
だけどそれらとは反対に、雑音がひどい。
…ここは地球?
いや、パッと見た限りではそうだが、多分、違う星だろう。
地球人と瓜二つの生物が住むのだから、同じような光景があってもとくに不思議じゃない。
枕の横に一枚の書置きが置いてあるのを発見。
『おはよ 起きたんなら、私の部屋まで来てね☆ byメルド』
…なんだこれ。
他に、地図も説明もない。
というか、なんで文字が読めているんだろう。
これは、日本語どころか地球上の文字じゃない。地球語をすべて知っているわけではないが、そんな気がする。
ひょっとしてこれはあの男が言っていた「全てを丸写しするわけではない。」と言っていたことの一部なのだろうか。
呼吸も出来るし、手足の動かしやすさも地球上と特に変わりはない。
まあとにかく、メルドの部屋とやらに行ってみよう。
カーテンを開くと、2mほどの通路を開けたところにカーテンの個室が並んでいた。
その道を、地球の看護師に近い服装をした多くの女性が、服を持って走り回っている。
一人の看護師がちょうど俺の目の前にある個室のカーテンを開いた。
そこには俺と同じように、ベッドの上で上半身だけを起こしている女性がいた。
目が合って、すぐに顔をそらす。
当たり前だ。相手もまた全裸だったのだから。
すると、俺の個室にも、服を持った看護師が入ってきた。その看護師で隠れて女性は見えなくなってしまった。
「話はスーツに聞いてあるでしょ?早くこれ着て、目印の通りに歩いていってね。」
そう言って服を渡すと、早々に個室を出ていった。
もう一度目の前の個室を見ると、女性はもう服を着ていた。
少し残念に思う気持ちがあったが、また目が合うと気まずいので、さっさと服を着ることにした。
この服、地球のものと大して変わらない。
というよりうちの高校の夏服じゃないかこれ。
よく見ればむこうの女性の服も、OLが着る制服のようだ。
じっと見ていると、また目が合ってしまった。
今度は少しじっくり見る。
20歳前半の社会人といった様子だ。
どうも。といった感じで会釈してきたので、こちらからも返す。
立ち上がって、廊下へ出る。
足元を見ると矢印が書いてあり、それがいくつも、ある方向へと続いている。
「これに沿って歩けばいいのかな?」
と、さっきの女性がいつのまにか俺の横に立っていてそう言った。
「たぶんそうっすね。えーっと…。」
「あ、私、堀田麗花っていうの。そっちは?」
「後冬春登です。」
「よろしくね。」
「はい。あ、それはそうと、堀田さんのところにもこんな手紙ありました?枕元に置いてあったんすけど。」
そう言ってメルドからの手紙を手渡す。
「え~。こんなのなかったなあ。」
と、堀田が顎に手を当て言った。
「そうっすか…。この矢印辿っていけば、メルドっていうやつの部屋に行けるんでしょうかね。」
「それは違うんじゃない?だって春登くんの個室には特別に手紙が置いてあったみたいだし。
矢印のある方向に進んでいって部屋につくのなら手紙を置く必要はないじゃん?」
「じゃあ、ちょっとそこらの看護師に聞いてきます。」
「はいはい。」
堀田麗花をあとにして、近くにいた看護師へと駆け寄る。
「すいません。」
「あ、地球人の方?矢印の方向へ進んでいってくださいね。」
「いや、そうじゃなくて。メルドっていう人の部屋はどこにあるんですか?」
「メルド様の部屋?どうして知ってるの?」
「こんな手紙が枕元に。」
と言って手紙を見せる。
「…。なるほどそういうことね。それならこの道を真っ直ぐ行ってそれから…。」
「そういうわけで、俺はこっちの方に行くことになりました。」
看護師から詳しい説明を聞いたあと、それを堀田さんに報告した。
「あ、そう?気を付けてね。」
堀田は少し寂しそうに俺を見てきた。
「えっと、さっきはすいませんでした。」
「いいよそんなの。サービス、サービス。なんならもっと見せてあげようか?ほら…。」
と言って、胸元のボタンを外して強調してくる。
「い、いいです!失礼します!」
「あははは、じゃ~ね~。」
堀田麗花は痴女だった。
この広間の天井は、自分の身の丈の10倍以上はあろうかと言うほど高く、
広さで言えば、このカーテンの個室が1000あっても不思議ではないほどだ。
そんな大広間も、進むに連れて人が多くなり狭くなってくる。
白人、黒人、色んな人種がごちゃ混ぜで、今までに見たことがない光景だ。
今、矢印を逆走している自分にとってはかなり邪魔である。
人ごみをかき分けどうにか大広間を抜けると、広く長い廊下が続いていた。
赤い絨毯、淡い黄色の壁と天井と照明が、いかにも『豪邸』というイメージを生み出していた。
一本道の廊下を進んでいくと、普通のロビーのような場所に出た。
観葉植物や何かの宣伝ポスターが、いかにも地球との相似を匂わせた。
そこには二本のエレベーターがあり、看護師の言うことにはこれに乗って最上階へいかなければならないらしい。
早速上りボタンを押すと、運良くこの階にあったのか、すぐに扉が開いた。
B2~10Fのボタンがあり、10Fの上にもう一つ「メルドルーム」というボタンがあった。
最上階ということは、このボタンを押さなければならないのだろう。名前のまんまだし。
動き出して10秒ほどで、エレベーターは止まった。
扉が開く。それと同時にキラキラが目に差し込んでくる。
まさに豪華絢爛な部屋。
お姫様ベッド、高級そうな時計や机。カーテンの開いた大きな窓の外には、大空と大海原が広がっていた。
一歩踏み出す。
ふかふかな絨毯だ。
こんなところに住んでいるのか…。メルド様と言われていたし、良い御身分なのだろう。
しかし、当の本人の姿は見当たらない。
顔はわからないのだが、自分以外に誰もいないのだからそれは確かだろう。
とりあえず、部屋の真ん中にあるテーブルを囲むソファに座る。
くつろぐには最高の座り心地だ。
すると、後ろからエレベーターの扉が開く音が聞こえた。
振り返ると、そこには青い髪をした、青い目の、青いワンピースの少女が立っていた。
背は165cm程度。外見からして16~18歳だろう。
「あ、来てたんだ。言うこと聞いてくれてありがとねー。」
そいつはそう言って、近寄ってきた。
「えーっと。」
「わかるでしょ?私がメルドよ。メルド様って呼んでね。」
「メルド…様…?」
「あはははは、冗談冗談。メルドでいいよー!メルドちゃんでもいいけどね!」
ハイテンションだ。元気なのは良いことである。
この人がメルドか。
「メ、メルド…でいいんですよね。なんで俺呼ばれたんすかね。」
「タメ語で来いよー。ってか敬語使うの禁止。」
「あぁ、うん。で、なんなの?」
うぜぇ、と思いながらも初対面でそんなことを口にできるわけもない。
「はーい。じゃあ改めて自己紹介ね。
名前:メルド
歳:18歳
仕事:お姫様
これぐらいでいいかな?」
「あ、うん。」
こういうキャラは苦手だなー…ってわけでもないな。
いつも似たようなノリなやつが横にいたからなあ。
まあでもここまでは流石になかったかも。
ってか、お姫様だったのか。
俺の中でのプリンセスのイメージが崩れさったなあ。
「あれ?もしかしてバストとかも気になっちゃう感じ?やだなー。どうしよー。」
「…。」
いきなり何を言い出すんだ。こいつも痴女か。
この星の住民はそんな奴らばっかりなのだろうか。いや堀田さんは中身は地球人だったな。
「そういうのいいからさ、なんで俺ここに来なくちゃいけなかったわけ?」
と、本題に切り替える。
「えぇー、もうそれ行っちゃう?つまんないよ?それでも聞く?」
「聞くよそりゃあ。」
「じゃあ言うよ。ゴホン。ずばり君は、密入国者なんだよ!」
「…は?」
「名前、春登くんだっけ?君には罪は無いんだけど、そのスーツに問題があってさ。
本当は地球に行くスーツ達は、自ら志願した人達と、足りない分を囚人から補ってたんだけどね、
君のスーツだけ、そのどちらでもないんだよ。
つまり勝手に行っちゃったわけ。
まあちゃんと手続きしてないだけで、志願はしてるんだろうけど。
でもそれがさ、非認定なんちゃらっていう違法行為なんだよね。
で、今スーツは君の姿だから犯人わかんないからさ、あなたがスーツの名前を知らないかなーって。」
「へぇー…。すいません、聞いてないっす。」
「だよねー。バレたらやばいのに自分の名前なんて言うわけないもん。」
あいつが名前を言わなかったのは、そういう理由だったのか。
あの時は名前なんてどうでもよかったから聞こうとしなかったけれど。
「それじゃあ俺はこれからどうなるの?」
「んー。コピーって一度やったらもう解けないらしいし、今のところ様子見かな。」
「じゃあ志願したのって一種の自殺願望みたいなものなんだ。」
「そうなるよね。自殺する、死刑にするぐらいなら、リサイクルしようってことなんだよ。」
「命軽いなー。」
「なんで?死なないだけマシじゃん。」
「死んだのと一緒じゃないかな…うーん、まあいいや。で、これから俺はどうすればいいんでしょうか。」
「あー、さっきの矢印の通りに進んでいってね。」
「はいはい。」
なんだか地球人よりも打ち解けやすい気がする。こいつに限った話かもしれないが。
ふと窓の外を見ると、さっきよりも窓側に近づいたために、死角となっていた部分が見えるようになっていた。
城壁に囲まれた大きな庭があって、そこを大勢の人間が歩いている。
なるほど、矢印のまま進むとこの庭に出るわけか。
そして、人々が向かう先には…。
「!!」
門の外で、先頭から順に、一人一人捕まえられては、大きなトラックらしき物に放り込まれている。
なんなんだあれ。
「どうかした?」
メルドがさっきまでと同じ笑顔でそう話しかけてくる。
しかしそれが少し不気味に感じた。
こいつらは、やはり地球人を研究材料としか思っていない。
あのトラックに詰め込まれたが最後、研究施設に連れて行かれて二度とは出てこれないのだろう。
となると、あの矢印に従うわけにはいかない。
「な、なんでもない。それじゃ、行くわ。」
「うん、じゃあね。」
俺は逃げるようにしてもう一度エレベーターにのり、さっきのロビーへ戻った。
廊下は駆け足で抜けて、大広間へ。
さっきよりも明らかに人が減っている。
どうしよう。
とりあえず、堀田麗花を見殺しにするわけにはいかない。殺されるわけじゃないけど。
もう先に行っているのは確実だが、窓から見た渋滞の様子ではまだそこまで進んでいないはずだ。
「堀田さーん!」と名前を叫んで歩いた。
ずんずん進んで行くが、姿はない。
とうとう外に出たがまだ見当たらない。
これ以上行くと波に流されてトラックのところへ行きかねない。
もうこれ以上はいけないと思い、人集りから抜け出した。
「はぁ…はぁ…。」
気温は、日本の6月か9月上旬ほどの暑さだ。
汗水が垂れ流れ、息が切れる。
シャツに汗の跡が残って肌にへばりつく。
…堀田麗花を救えなかった。
正直なところ出会ったばかりなので悲しさや寂しさは小さいが、罪悪感は大きく残った。
呼吸を整えるため、座って大きく足を開いて背中側で地面に手をつく。
空を見ると、白い月が見えた。こんなところまで地球そっくりだ。
しかしその形は丸ではない。少し三角っぽい感じだ。
今のところ地球と違うところなんて、あの月と、お姫様の髪の毛の色ぐらいだ。
「…はぁ。」
ため息を吐いた。
とくに意味もなく。
すると後ろから、「あれ!?春登くんじゃん!」と声が聞こえてきた。
そこには堀田麗花の姿があった。
「堀田さん!なんでいるんですか!?」
「ちょっとトイレ行ったら、すっごい渋滞しててね。時間かかっちゃったの。」
「まじっすか。良かった~。もう連れて行かれたんじゃないかと心配してたんすよ。」
「え?どういうこと?」
「実は…。」
メルドの部屋から見えた光景を話した。
「えぇー!?本当に?あたし危なかったんだね。」
「どうします?このままじゃ見つかって俺らも捕まっちゃいますぜ。」
「うーん、隠れてて、トラックがいなくなるまでやり過ごしちゃう?」
「なるほどそれ良いですね。」
ただの痴女では無いようだ。
「でも、二人だけ逃げちゃっていいのかな…。他の人可哀想じゃない?」
「隠れるなら少人数のほうがいいですよ。他人よりまず自分です。」
「どうせならあと一人ぐらいいいんじゃない?あ、それとも、二人っきりでいたい?もー、最近の高校生って大胆なんだねー。」
「一人ぐらいなら増えてもいいと思います。」
「う…、そうだよね!じゃあ適当に連れてくるよ。」
行ってくる。と言い残して堀田さんは人ごみの中へと行ってしまった。
そのまま流されていってしまわなければいいが…。
とりあえず、堀田さんが帰ってくるまでは少し休んでおこう。