5話 また会おうね
リヒトにとってなぜ誕生日が悲しい日なのかは、今もポラリスは知らない。
夢で現れる場面は次々に移り変わる。
「いつかポラリスに、お腹いっぱい『さとうがし』を食べさせてあげるね」
実はお菓子作りが趣味というリヒトと、そんな甘い約束を交わしたり。
「……ね、ポラリスちゃんはフローレスせんぱいのこと、すきなの?」
「ないしょ」
「えー、けち」
「けちでいいですー」
親友のローザベルと恋バナをして、はじめてリヒトのことを男性として意識するようになったり。
「ポラリス、この本……いる?」
「いいの? ありがとう!」
リヒトがかつて二人で読んだお菓子のレシピ集をこっそりくれたりした。
やがて出会いは、いったんの別れへとたどり着く。
宙にふわふわ浮かぶシャボン玉を掴もうとして、小学校四年生になった少女ポラリスは手を伸ばす。
うっすら虹色をまとった無数のシャボン玉は、小さな手をからかうようにふわり、ふわりとすり抜けていった。
ようやく触れたと思った瞬間に。シャボン玉は音もなしに消えてしまった。
「シャボンだま、またきえてしまったわ」
ポラリスの砂糖菓子のように甘く繊細な声に、傍らにいた小学六年生のリヒトが振り向いた。
彼の手にはストローが握られ、彼がこのシャボン玉の群れを作り出したことを示している。
「シャボン玉はきえるものだよ」
リヒトが控えめに苦笑する。
ここはシレンシオの街を一望できる丘の上。
極東の島国から友好の証として贈られたという桜の木々が、見事な薄紅の花をぶわりと満開に咲かせていた。三月中旬から四月中旬まで長く花を咲かせている品種だという。
「だけど、」
「きえたら、また作ればいいんだよ」
そう言ってリヒトがふーっとストローを吹けば、また沢山のシャボン玉が宙を飛ぶ。だがポラリスは不服そうに頬を膨らませた。
「さっききえたものとあたらしくつくったものはちがうわ。さっきこわれたほうのシャボンだまがいいの」
割れたシャボン玉も散りゆく桜の花弁も、二度と取り戻せないものだ。
「それはちょっと……むりだと思うよ。魔法がつかえればべつかもしれないけれど」
「まほう、つかえないの?」
「……この国ではむりなんだよね。ほら、エテルノにはマナがないからさ」
この魔法世界アタラクシアは、名のとおり魔法で形作られた世界。
世界各地にそびえる『世界樹』から絶えなく発せられるエネルギー『マナ』を用いて人々は生活している。
だが。神々の悪戯かなんなのか、世界にはマナの恩恵が受けられない場所もあった。それが『最果て』と呼ばれるこの島国エテルノ王国だ。
世界地図では西の端に位置し、少ない人口ながらアタラクシアではトップクラスの発展力と治安の良さを誇る『平和を愛する先進国』である。
「でもこのくにには、えーてるがあるわ」
「エーテルは聖女か神殿騎士じゃないと使えないんだよ。ていうかポラリスこそ、聖女こうほなんだろう? しょうらい魔法が使えるかもしれないよ」
エーテルを操り魔法を使う聖女になる人物には、決まった特徴がある。
一、来たるべきが来た時に大水晶を通じて名を呼ばれる。
二、生まれつき銀色の髪と赤い瞳をしている。
三、何かと困難な人生を送ってきている。
四、エテルノ王国内での出身である。
そして少女ポラリス・クライノートは、絹のように滑らかな銀糸の髪と、ルビーをはめ込んだかのように煌めく赤い瞳を有していた。
ゆえに聖女候補として、実は行政のリストに登録されてもいた。
「そんなこと、どうでもいいのっ」
あまり人に注目されたくないポラリスには面白くないことだ。
そもそもポラリスにとっては、人生自体が面白くないことだった。
「そんなことより、わたしはおかあさまとおとうさまにやさしくされたいっ」
彼女が親と上手くいってないことをよく知る少年は、ばつが悪そうに眉を下げた。
「ごめん……ポラリス」
「…………」
唯一の希望は、この美しい男の子の存在のみだった。
「でもぼくは、ぼくだけはぜったいきみの味方でいる」
ぽんぽんと、ストローを持ってないほうの手でポラリスの背中をさする。
「ほんとうにみかたでいてくれるの?」
「あたり前だよ」
リヒトは断言した。
「ならちゅうがっこうに行っても、わたしのそばにいてくれる?」
「それは……」
二人はこれまで同じ小学校に通っていた。少年が最高学年たる六年生、少女ポラリスが二つ下の四年生。
これまで一緒に過ごしてきた日々は、学年や性別を越えて二人にとって宝物になっている。
そして今日は、リヒトたちの学年の卒業式だった。
君の味方だと言いながら、彼は来月にはポラリスとは違う場所へ行ってしまうのだ。
毎日のように放課後一緒に遊んでくれた男の子が、遠くへ行ってしまう。
今まで小学生同士だったのが小学生と中学生になってしまう。
――わたしはそのことがとても、とてもかなしい。
中学に行けば部活動もあるし、定期テストもある。高校受験だって考えねばならない。
対人関係も広がる。自分がその広がった関係の片隅にしかいられないことを、ポラリスはなんとなしに理解していた。
リヒトと友人だったシリウスとは、数ヶ月前に喧嘩したきり話してもいないという。
これからは、もうリヒトは誰からも『お姫様』とは呼ばれないかもしれない。
美しく成長してきたリヒトだが、これから肉体は男性らしさを増していき、声変わりもするだろう。
ポラリスも同じように女性らしい体つきになっていく。生理も始まるのだ。色々なことが今まで通りとはいかない。
すべて、すべてが変わっていく。
「生きてればすぐあえるよ」
「生きるの……?」
「生きててつらい?」
「つらいわ。おかあさまはわたしに『おまえなんかうまなきゃよかった、きえろ』となんどもなんどもいうんだもの」
ポラリスはよりによって母親に命を軽視され、軽蔑されていた。本来なら一番に愛情を注がれるべき人に。
「わかるよ」
あっさりとリヒトは同調した。彼は彼で大変な身であることを、ポラリスは四年間の付き合いで思い知っていた。だからこそ、自分のことも分かってくれると。
「ぼくも家族のことですごくしんどいことがあったから、よくわかるよ。でもぼくはきみには、生きていてほしい。それならぼくも、生きられる」
「ぼくはさ、ポラリスが生きてくれればいっしょに生きるし、きみが死んだらきっとぼくも死んじゃうんだ」
「だからポラリス、死にたいままでいいんだ。死にたいままで、生きて欲しいんだ」
あまりにも、あまりにも重々しいことを、至って普通にまだ一二歳の少年は言って退ける。
その青い瞳はどこまでも真剣だったから、真っ直ぐで嘘の欠片も見つけられなかったから。
「わかったわリヒトさん。わたしは生きる」
たどたどしくも答えれば、少年リヒトは涙を流さずに泣き笑いをした。
作っていない、心の底から本当の、笑みだった。
「ありがとう。これ、ぼくからのお願いだから」
「……では、わたしもリヒトさんにおねがいしてもいい?」
「いいよ」
「また……わたしと会ってくれる?」
「もちろんだよ。それとねポラリス。また会えたら、きみに伝えたいことがあるんだ」
「またあえたときに?」
「そうだよポラリス。ぼく、自力でとべるようになったら、すぐにきみにその言葉をつたえるためにもむかえに行くから。だからそれまでは生きていてほしいんだ」
リヒトを呼ぶ声がした。リヒトの母方の祖父だ。
大人たちが近づいてくる。
二人の時間にも終わりが近づいてきた。
「ごめんね、……さっき言ったとおり必ずきみをむかえにいくから」
「やだ……リヒトさんと、まだいっしょにいたい」
ついにポラリスの唇から本音がこぼれ落ちた。
「また、必ず会いに行くからさ」
「ほんとうに? ほんとうに、会いにきてくれる?」
これ以上リヒトを困らせるわけにはいかない。彼には彼の生活というものがある。
少し離れたところで見守る大人たちのためにも、先へ進まねばならない。
だから殺した。
ずっとリヒトと一緒にいたい、自分を殺した。
寂しがり屋な自分を殺した。
もしかしたら恋をしているかもしれない自分を殺した。
黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ、黙れ。
ぐさり、ぐさりと見えない銀色の針で心を刺し殺して、リヒトとの別れを受け入れる自分のみ生存を許した。
目には見えない自傷に胸を引き裂かれそうな痛みが襲ったが、ポラリスは笑った。
最後に二人は、こう言い合った。
「しあわせになってくれ、ポラリス。また会おうね」
「ええ、リヒトさんも。また会いましょう」
しあわせになってくれ
あなたがいてくれるからわたしは幸せなのだとは、ポラリスは間違っても言わなかった。
からすがなくから、かえりましょ
お読みいただきありがとうございます!
次回からまた17歳ポラリスのお話になります。
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明日からは毎日1話ずつ夕方18時ごろの更新となります〜。




