4話 切ないバースデー
夢は、リヒト・フローレスと出会ってから初めての冬に移っていた。
二月九日、朝。
ポラリスは三年生の兄シリウスと並んで登校していた。登校時間は兄妹が安全にお喋りができる貴重な時間だ。家で話しているのを母に見られると、ポラリスが叩かれてしまうから。
兄妹が幼い頃は使用人たちが目をかけてくれていたが、家事の一切をAI技術に任せるようになって使用人は全員いなくなっていた。
同じ家の子どもなのに、シリウスのほうはレトルトやインスタントながらちゃんと温かい食事を与えられ、柔らかいベッドで眠ることができている。
なぜ兄と妹とでこう扱いの差が生まれたのかはわからない。わかったところでポラリスの扱いが良くなるわけでもない。
「……ん、今日はリヒトの誕生日だったか」
シリウスは焦げ茶の短い髪にブルーグレーの瞳、シルバーフレームの眼鏡をかけた理知的な印象の少年だった。
「そうなの、おにいさま?」
いろんなことがありすぎるクライノート家だが、意外にもポラリスとシリウスの仲は良好だった。似たような状況下におかれて兄が妹を嫌っていじめるケースもあるだろうが、聡いシリウスはそうしなかった。
こっそりとポラリスに食べ物を分けてくれたり、勉強を見てくれたりもした。
子どもなりに、両親がポラリスにしていることが間違いだともうっすら気づいてもいるようだった。
そんなシリウスの存在は、確かにポラリスの救いとなっていた。
「ああ、二月九日、今日だ」
シリウスとは共通の友人でもあるリヒトの話題は、兄妹の間でもよくあがった。
「……だから、今日は一日リヒトのことそっとしてやらないとな。クラスの連中にも言っておかないと」
「あら? おいわいしないの?」
誕生日というものはお祝いをするものだ。みんなで大きなバースデーケーキを食べて、誕生日を迎えた人にはプレゼントを送る日だとポラリスは記憶している。
もっともポラリスはそんなことをしてもらえた覚えはない。おそらくはシリウスも。
「あいつ……リヒトにとって、自分の誕生日は悲しい日なんだ」
「そんな…………そんなことがあるの? どうして?」
こわごわと訊く妹に、シリウスは少し思案してから答える。
「それは……直接リヒトに訊いたほうがいいと思う。とても、おれが勝手に話していいことではないから」
放課後。
ポラリスはいつも通り、リヒトとの待ち合わせ場所である図書室へと向かった。本が好きなポラリスにとって通り慣れた本棚と本棚の隙間道を探すと、柱に背中と翼を預けてリヒトが泣いていた。
次から次へと涙のせせらぎが青い双眸から流れ落ちていく。うっうっとこらえきれない嗚咽が漏れる。
本棚に詰まった児童書たちだけが、彼を物言わぬまま見守っていた。
「――ッ」
ポラリスは困惑した。年上の男の子が泣いていたからだ。
今日は話しかけないほうがいいかもしれない。ポラリスが踵を返そうとすると、リヒトがこちらに気づいた。
「あ、ポラリス」
ごしごしと手の甲で顔をぬぐって、リヒトはいつもの微笑を作り上げた。
少し迷ってから、ポラリスはリヒトに向き合う。
「リヒトさん、どうしたの?」
「ちょっとね……。今日はぼくにとってとても悲しいことがあった日だったんだ」
シリウスの言ったことは本当のことだった。
「かなしいことが、あったのね」
「そう、悲しいこと。だれにだってうれしいこともむかつくことも、悲しいこともあるんだよ」
ポラリスは空気を読むのがとても上手い女の子だった。
だからこれ以上このことについて訊いてはいけないと瞬時に判断していた。
リヒトにかつて何があったかは気になる。でもポラリスだって他者のことを何でもかんでも知りたがるのはよくないことだというくらいは、幼いながらわかっていた。
「わたしもね……自分のおたんじょうびがたのしくないの」
「きみにも……なにか悲しいことがあったの?」
「ええ。おかあさまに『どうしてうまれてきた、じゃまだ』っておこられるから、いやなの」
「……うそだろう。お母さんがそう言ったのかい?」
今度はリヒトが息を呑んだ。
リヒトからは、一般的な感覚を持つ子どもたちからしてみればポラリスの母が言った言葉は信じられないことだったらしい。
「ええ。わたしはまちがえてうまれてきたそんざいだからって」
ポラリスは、自分の母親の異常性がまだ理解できていない。だから助けを求める選択肢すらなかった。
「ポラリス。それはちょっと……いや、だいぶおかしいと思う」
「そうかしら」
「そうだよ」
でも。この年上の男の子を通じて自分の家の狂気にようやく気づき始めていた。
それがいいことかどうかはわからない。気づいたところですぐに逃げ出せるわけではないからだ。
だが気づかせてくれた男の子との出会いは、ポラリスにとって確実に良薬となったはずだ。
「…………ポラリスは……そういうこと言われて『いやだ』とは言えない?」
「わたしのおとうさまはえらいひとなの。だから、だれもさからえない」
ポラリスの父は名だたる大企業の幹部だ。人を操る能力に長けるという厄介な属性があった。
たまにポラリスを心配した学校の先生が家に来てくれたりした。
でも見た目は豪華で立派な邸宅と、威圧とのらりくらりを兼ねあわせた父母の態度に誰もが引き下がるしかなかった。
誰も、誰も幼いポラリスを助けられない。
やはり、両親の異常性に気づかないほうがまだ幸せだったのかもしれない。そうすれば『他の子のおうちもこうなのだろう』と思い込むことができたから。
「あのね、リヒトさん。たのしいおはなししてもいいかしら?」
「……そうだね、そうしようか」
ポラリスから話題を変えた。
「おたんじょうびおめでとうございます。リヒトさんがうまれてくれて、わたしうれしい!」
突然の祝福にリヒトが虚をつかれた顔をした。
「だれがなんといおうと、わたしはあなたがうまれてよかったとおもうわ。ほんとうに、ありがとう」
やがてじわじわと、涙の跡が残る顔に深い笑みが広がっていった。
「ありがとう、ポラリス」
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