3)違和感
霧が立ち込める。
まだ朝日が地平から半分しか顔を出していない。
佐久間三佐は前進する12名の候補生を見渡しながら、静かに息を整えた。
行動訓練も終盤――本来なら、ここからは見慣れたはずの林道に入るはずだった。
しかし、足を踏み入れた瞬間、肌がざらつくような違和感が走った。
「……おかしいな」
彼は無意識に呟いた。
林――つまり、人の手が入った空間。
樹木の間隔がほぼ一定で、足元には下草が少ない。
風の流れが通り抜け、陽の光もまだらに落ちてくる。
だが今、彼らが進んでいるのは“森”だった。
枝が絡み合い、光が射さない。
湿気が濃く、土はやけに柔らかい。
林の“秩序”が消え、森の“生”が蠢いていた。
「止まれ」
佐久間の一言で、隊列が凍りつく。
耳を澄ます。
風が、妙に遠い。
代わりに聞こえるのは、葉の擦れる乾いた音と、どこかで水が滴る音だけ。
地形が違う――そんな単純な話ではない。
ここには、訓練前の下見では存在しなかった湿地帯の匂いがある。
人の足が長く入っていない匂い。
「第三班、周囲警戒。第二班、方位確認。羅針盤と地図を突き合わせろ」
佐久間の声は低く、しかし確実に届く。
候補生たちの動きが、機械のように連動する。
彼の目は鋭く、視線は常に全体を把握していた。
疲労で足が鈍る者を、さりげなく位置を入れ替えて守る。
地形の変化、風の流れ、鳥の鳴き止む瞬間――全てを聴き分けながら。
「三佐、地図と方位がずれてます!」
副班長の声が上がる。
「何度確認しても合わねえ……地図上の“林”は、ここじゃない」
佐久間の眉がわずかに動く。
冷たい汗が背中を伝った。
地図が誤っているのか、あるいは――地形そのものが変わったのか。
「……全員、間隔を詰めろ。声を出すな。森の“音”を聞け」
その声に、候補生たちが息を潜める。
一歩、また一歩と、慎重に進む足音だけが森に吸い込まれていく。
佐久間は、胸の奥にかすかな予感を抱いていた。
“この森は、何かを隠している”――そう思わずにはいられなかった。
彼は短く息を吐き、背中の通信機に手をやる。
「こちら教導官、ルートE-7にて地形異常を確認。以降、現場判断に切り替える」
その声は静かだったが、内心は研ぎ澄まされていた。
森の奥――その見えない何かが、彼の職業的直感を刺激していた。
それは恐れではなかった。
ただ、確信だった。
**この先に、何かがある。**




