表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どうしてこうなったー尾張三代記ー  作者: gen


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/135

2)レンジャー行動訓練【改】

尾根を越える手前で、佐久間はふと歩みを緩めた。

眼前の霧がわずかに揺れた瞬間、胸の奥に古い光景がよみがえる。

あれは、自分がまだ候補生だった頃――。


宿舎の壁一面に貼られた、赤い文字のスローガン。

「愚痴と悲鳴を上げるな」

「根性無き者は去れ」

夜更けに蛍光灯の下でそれを見上げたときの、あの息の詰まるような圧迫感を、今でも思い出す。


そして、入口横の掲示板に掲げられた五行の文字。


**“レンジャー五訓”**

一、飯は食う物と思うな。

一、道は歩く物と思うな。

一、夜は寝る物と思うな。

一、休みはある物と思うな。

一、教官・教授は神様と思え。


どれも理不尽に聞こえた。

しかし理不尽に抗う力がない者は、次々と姿を消していった。


あの頃の教官、一等陸尉は、いつもスローガンの前で言った。


「お前ら、覚悟だけは嘘がつけん。

 声に出さずとも、態度に出る。

 愚痴を飲み込む顔は、すぐに分かるぞ」


ある夜の集合教育でのことだ。

鬼島は、訓練生を玄関前に整列させ、指を一本ずつ折り曲げながら言った。


「五訓は“覚えるため”にあるんじゃねぇ。

 **守れなくなった瞬間、自分が何者か分かるため**にある」


その言葉に若い佐久間は反発しかけた。

飯も食えず、道なき道を歩き、寝る時間もなく、休みなど夢のまた夢。

さらに教官を“神様”と思え――あまりにも極端だった。


だが鬼島は続けた。


「本当に追い詰められたとき、人間は“当たり前”を求める。

 飯を食いたい、寝たい、楽になりたい――そう思った瞬間に折れる。

 お前らが頼れるのは、五訓だけだ。

 五訓は“当たり前を捨てる覚悟”を確認するためのもんだ!」


その夜、佐久間の隣で同期が一人、静かに列を抜けた。

言葉も涙もなかった。

ただ、自分の中で何かが折れたのだろう。


残った佐久間は、自分の膝が震えていることに気づいた。

鬼島が言った。


「震えてもいい。腹が減っても、眠くてもいい。

 だが、**前に進む覚悟だけは捨てるな**」


――なぜか、その言葉だけは胸に刺さった。

それが理不尽な環境を生き抜く唯一の“足場”になった。


回想が霧の向こうに消えると同時に、現実の山道が戻ってくる。

12名が必死に歩き続けている背中。

その姿に、かつての自分の影が重なった。


佐久間は静かに息を吐き、口を開いた。


「……俺もな。あの壁の前で何度も立ち止まった。

 愚痴を飲み込んで、歯を食いしばって……それでも立ったから、今ここにいる」


心の中で、昔の教官に答える。


一尉尉、俺はまだ折れていませんよ。


そして佐久間は、再び怒号を山に響かせた。


「止まるな! この先に立つ資格は、前へ出る奴にしかない!」


12名は振り返らない。

だが、その背中がわずかに強くなるのを、佐久間は確かに見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ