商会へ
ミラベルが街へ出たのには理由があった。
乗り合い馬車の停留所でヒュラス家の馬車から降りたミラベルは、領都の街中を走る大通りを南に向かって歩いている。ヒュラスの領都は治安も良く、昼間であれば貴族女性の一人歩きであっても危険に晒されることはほとんどない。
とはいえ警戒するに越したことはないので周りへと気を配りながら目的地へと歩き続けた。
ミラベルが向かっているのは大通りに店を構えるとある商会だ。ヒュラス領最大を誇るアルバート商会。
たとえ店の場所を知らなくとも迷うことはない。なぜなら他の店と比べても明らかに大きく煌びやかな装いの店だからだ。
大通りに面しているのはピカピカに磨き上げられたはめ殺しの窓。透明度の高いガラスの向こうには多くの華やかな商品が見える。女性の興味を引くドレスや小物類は通りから見える位置に、店内に入れば奥に男性向けの落ち着いた佇まいの空間もしっかりと用意されている。
両開きのドアの両側には洒落た制服を着た二人のドアマンが立っていた。警備員としての役割があるからか軍服をベースにしたその制服は、しかし襟や袖ぐりに緻密な刺繍が施されている。
貴族女性であれば基本的に店の前の馬車停めへ馬車を停めて店内へとエスコートされるのが普通だ。ミラベルのように徒歩でやってくる女性などほぼいないだろう。
ましてやこの店舗は貴族向けの店。アルバート商会が他に展開している平民向けの店とは一線を画していた。
とはいえ徒歩だからといって入店を拒まれるわけではない。領内最大の商会だけあって、どこに商機が転がっているかわからないとの考えから門前払いはしない主義を掲げている。
「いらっしゃいませ」
ドアマンたちの丁寧なお辞儀に見送られ、ミラベルは店内へと足を踏み入れた。
店に入ってすぐ右側に小降りのカウンターが置かれ、コンシェルジュである壮年の男性が姿勢良く立っている。
「いらっしゃいませ。本日は何をお探しでしょうか?」
ミラベルはアルバート商会へ来るのは初めてだった。なぜならヒュラス家には古くからつき合いのある別の商会があったからだ。
それにアルバート商会はここ五年ほどで急激に業績を伸ばしてきた新興の商会である。それぞれの家には昔からのつき合いのある商会があるものだから、多くの家は二つの商会を使い分けているのだろう。
そんな今まではまったく縁のなかった商会ではあるが、ミラベルにははっきりとした目的があった。
「商会長にお会いしたいのだけど」
ミラベルのその言葉に、男性がほんの少し驚いた表情をした。本来彼のような立場の人間は感情を顔に出すことをまずしない。徹底して気をつけているはずだし、訓練も怠り無くしているはずだからだ。
そんな彼でさえも驚いてしまうのは、これだけアルバート商会が大きくなったにもかかわらずその商会を束ねている会長についての情報がほとんど出回っていないからだった。
そんな謎に包まれた商会長に一介の貴族婦人が会いたいと言う。
「失礼ですが、お名前をお伺いしても?」
(驚きの後は不審感かしらね)
そう思いながらもミラベルは問いに答える。
「ミラベル・リュミエと申しますわ。私の名前を伝えていただければお会いいただけると思いますので」
ミラベルの言葉には確信がこもっている。
最初の驚きを綺麗に消して、コンシェルジュの男性は一礼するとミラベルを階上に設えられた個室へと先導し始めた。
案内されるままゆっくりと移動している間に個室である応接室には温かい紅茶と焼き菓子がサーブされている。男性から特に指示が出されていなかったにもかかわらず用意ができているということは、この店の従業員は店内にきちんと気配りしているのだろう。
「会長がいらっしゃるまでこちらでお寛ぎください」
そう言って男性が部屋を出ていく。
その背中を見送ってミラベルは一つため息をついた。
ミラベルはアルバート商会の会長が誰なのかを知っている。知っているどころか、友人と言える相手だ。
(会うのはいったいどれくらい振りかしらね)
相手にとっては突然の訪問。驚くだろうけれど、ミラベルはどうしてもここへ来なければならない理由があった。
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