パメラの憂い
あらかじめ用意していたフルーツケーキを食べた後、女性同士で積もる話もあるだろうと言ってアルバートが離席した。
「気を遣ったのかしらね」
アルバートの背を見送ったパメラがそう言う。
久しぶりの再会に対する興奮も治まり、ミラベルとパメラはゆっくりとした時間を過ごしていた。
「ミラベルがリカルド卿と結婚すると言った時、本当は反対したかったのよ」
不意に思い出したかのようにパメラがそう呟く。初めて聞く彼女の本音にミラベルは驚きに目を見開いた。
「知らなかったわ」
「言わなかったからね」
パメラが過去に思いを馳せるように一瞬遠い目をした。
その瞳に映る過去はいったいどんなものなのだろう。そう思いながらミラベルはパメラを見つめた。
「リカルド卿がミラベルを幸せにしてくれるとは思えなかったの。ミラベルの幼馴染に対して悪くは言いたくないけれど、どう見ても彼はそういう意味でミラベルのことを好きだとは思えなかったわ」
カチャリッとパメラにしては珍しく手元でカップとソーサのぶつかる音がする。
「リカルド卿の視線はいつも別の人に向いていた。ミラベルも知ってたでしょう?」
「ええ、そうね。わかってはいたのよ。それでも、あの時の私はリカルドを信じたかった」
かつての胸苦しい思いが蘇るようで、ミラベルは無意識に自身の胸元に手を置いた。
「結局こうなってしまったことを考えると、あの時の判断は間違っていたということね」
「でもあなたが選べる道は少なかったわ。アルバートも私も、キリアンだってあなたの力になりたかったけれど、私たちにはまだ何の力もなかったから」
当時の気持ちを思い出したのかパメラの顔に憂いが浮かぶ。
しかしミラベルはパメラがそう思っていてくれただけで嬉しかった。当時の寄る辺ない気持ちは今も心の中に残っているけれど、先の見えない状況にいたあの時であっても友人たちは自分のことを思っていてくれたことがわかったから。
「もう過ぎたことよ。私はこれからの人生を楽しみにしているの」
だからミラベルはあえて微笑んでそう言う。パメラにこれ以上過去のことを気にして欲しくないという気持ちを込めて。
「そうね。過去のことは変えられないのだから、これからを楽しむべきね」
ミラベルの気持ちを汲み取ったのかパメラが答えた。
そしてふと思い出したかのように別の話題を振る。
「それにしても、結婚生活に悩みを抱えている女性は本当に多いわ。幸いにして私は恵まれた状況だから何だか申し訳ないくらいよ」
パメラの結婚相手は公爵家の嫡男だ。二人の仲も政略結婚の多い貴族の中では良好の方だという。跡取りとなる息子も生まれ、はたから見れば幸せいっぱいに映るだろう。もちろんそこに何の悩みもないとは思わないけれど。
「そんなに悩みを持つ女性が多いの?」
「そうよ。浮気なんて可愛い方で経済的に追い詰められている女性も少なくないわ。でもこの国で離婚は難しいでしょう? みんなどうすることもできない現状を我慢し続けているのよ」
エスペランサ王国において家門の資産を動かせるのは当主のみだ。家に属する女性に対しては当主が認めた予算しか与えられない。つまり当主がその気になれば経済的に縛って女性に言うことを聞かせるのも簡単ということだった。
「離婚しても資産がなければ生きていくことすらできないわ。仕方なく実家に戻ったとしてもまたどこかへ嫁がされるか修道院へ入るしかないでしょう? かといって実家に戻らなければ働く必要があるけれど貴族婦人の就ける仕事はほとんどないもの。……結局我慢して夫に従い続けるしか道がないのよね」
そう言うとパメラは大きなため息をついた。
「パメラの周りにもそういった状況のご婦人が多いのかしら?」
「お茶会を開けばよく出る話題よ。せめてそこで少しでも話さなければやっていけないくらいには多いのでしょうね」
公爵夫人の開くお茶会ともなれば貴族社会での立ち位置を考えてどの夫人も話題に気を遣うはずだ。自身の家の愚痴など言えるような場ではないはずだが、それだけ話題に上るということは本当に追い詰められている女性が多いのかもしれない。
「最近も伯爵夫人から相談を受けたわ」
そう言ってパメラが口にした名前は学園時代にそれなりにつき合いのあった女性の名だった。
「彼女の夫は堂々と浮気をしているそうよ。その上家の仕事は彼女に任せきり。そのくせ資産に関しては伯爵夫人として過ごせるギリギリの予算しか与えないなんて、本当にどうかしているわ」
「そうなのね……」
(それを思えばあっさりと離婚をした上で仕事も得られた私は幸せなんだわ)
リカルドは一応支援金に当たる慰謝料も払う気があるようだったし、実家に戻ることはできないけれどパメラから聞く女性たちに比べればよほど恵まれているように思えた。
(慰謝料を受け取りたくないと思う私は彼女たちからしてみれば傲慢なのでしょうね)
たとえそれが自分の心を守るための行動だったとしても。
(それにしてもすべての原因は女性の地位が低すぎるからではないかしら?)
そんなことをぼんやりと思ったところで応接室の扉がノックされた。
「ミラベル、昨日提出してもらった書類でわからないところがあるらしい。歓談中に申し訳ないが少し説明してきてもらってもいいだろうか?」
許可の声を受けて部屋に入ってきたアルバートがそう言う。昨日提出した書類といえば繊維事業に関わるものだろう。
「わかったわ。パメラ、少ししたら戻って来れると思うのだけどまだ時間は大丈夫かしら?」
「もちろんよ。アルバートと話ながら待っているわね」
パメラの返事を聞いてミラベルは部屋を出た。応接室は商会の三階にある。一階が店舗、二階が事務員たちのいる事務所だ。
いくら良いと言われたとはいえパメラをあまり待たせるのは悪い。そう思ってミラベルは急ぎ足で階下に向かったのだった。
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