南雲大明神
誕生日というのは、どんな無理難題も要求していい日と西向くは習っているので。三題噺、ご用意しました。誰かのためにご用意したとなれば。それは小説ではなく。「片説」というものであるかも知れませんが。ご容赦ください。3200文字は程度でしょう。多分。
#2025南雲皋爆誕三題噺
『不意打ち』 『あめ』 『笑う』
文字数:2~3,000字程度の短編
〆切:2025/06/03(火) 23:59
「雨が降らぬので、どうにかして欲しいのです」
とのこと。
不意打ちのように、麓の村人の嘆願が届いたのは皐月の中旬だった。
それを聞かされた猫耳神社の御神体は、手元の暦本(江戸時代のカレンダー)を眺める。
「梅雨入りはまだ先だろう?」
こたえるのはネコマタのサクヤ。
境内の管理者から奉じられた小袖を纏う姿は、年頃の娘に見える。
サクヤは疑問と興味がわいたのか。
髪を押し上げるように見える猫耳がちょこちょこ動く。
サクヤがネコマタであることの証だ。
彼女の疑問は当然のこと。
例年であればそれは水無月にする心配である。梅雨なのに雨が降らぬとなれば、一大事。サクヤは過去に相談を受けたことがあるが。
皐月の時期となれば記憶にない。
「そうはおっしゃいますが。サクヤ様。ここ最近の日照りをご存じないのですか?」
慇懃な言葉遣いで話すのは、年端もいかぬ少年である。
元服もまだのようで。伸ばすままに伸ばした童髪は生糸のよう。神前ということもあってか。体を清めてきたのか。
サクヤは思わず触れて、食べたくなるのを我慢する。
「知らん――」
サクヤは引きこもりである。
できるだけ外にでたくない。
日を浴びるのも厭うし、夜気に触れるのも好かぬ。
いつも寝心地の良い場所を求めて、境内をうろついているようなどうしようもない奴である。
「――そもそも、使いにお前のような童を寄越すとは。大人たちは何を考えておるんだ」
非難がましい口調で、少年を見やる。
うん。愛らしく、食べてしまいたい。その緩む口元を必死に締める。
「サクヤ様のご趣意に添える男として選ばれました――」
村の大人たちは、サクヤの好みを熟知している。
幼気な少年少女をひどく好む。
過ぎた飢饉の話だ。
麓の村人たちは、口減らしのために、子どもをサクヤに預けた。そしたら、まるまると太った子どもが帰って来るのだ。
村人たちには、それはそれはありがたがられた。
かえって、それが信仰となるのだからよく出来たもので。何か困りごとがあれば相談にくるのが、村人の習慣となった。
「――雨が降らぬとまた飢えます。サクヤ様はご存知ないかもですが。この時期は田んぼに水を張る時期ですが。待てど暮らせど、雨がきません。多少は降るものですが。それもありません」
少年の説明は理屈が経っている。畑を整えるにはもうそろそろ、一雨来て欲しいといったものらしい。
雨がこぬなら、サクヤ様にご相談を。見目麗しい少年に任せたら、二つ返事であろうというのが村人の企みだった。
その真意を少年が知っているか。
サクヤには、はかれない。はかれないが、むげにもできない。
ここで少年からさらに一押し。目には零れそうな涙が溜まっている。
「サクヤ様。今度、僕には弟か妹が産まれます。母の腹は日に日に大きくなっています。ひもじぃ思いをさせとうないのです」
泣かれると困る。サクヤもお人好しである。
「……むう。雨を降らせたら良いんだろ?」
諦めたように、サクヤが確認をする。
「……本当にできるんですか!?」
「失礼な。仮にも神であるよ。頼むだけ頼んでみよう」
サクヤはそういうと、少年を境内に残して、山の奥にいる知人を訪ねた。
※※※
おおよそ神というと、多少なりとも偏屈なものが多いのだが。
基本的には真面目である。
他の山との兼ね合いや折衝もこなさないといけないのだから。
粘り強さも求められるところ。
サクヤが境内を構えるは月影山。
かの山のヌシ神も基本的には真面目である。
基本的にはだ。
「雨が降らぬと村のものが不安になっているぞ」
山の中腹にある。湧き水がこぼれる水源地でふてくされてる大蛇がいた。
それは老いたヘビのヌシ神だ。
長い体を動かしもせずに、一瞥をくれたサクヤの知人。
「おお。サクヤか。何の用だ?」
水の龍神としての昇神を願い、あれこれとこなしてきたが。寄る年波には勝てぬのか。
すっかりと意気消沈していた。
「ちゃんと、仕事をしているのか? 雨が降らぬと村が困っているようだ。どうにかしてやってくれ」
サクヤが、村からあがった嘆願をそのまま伝える。根は真面目なやつだ。頼めばこなす。
サクヤの役割といえば、人界と神界をつなぐ程度だ。猫がたまたまネコマタになった程度の存在にできることは限られている。
口減らしの子どもたちをどうにかしたのも、サクヤが必死こいて山の幸を集めたからだ。
大したことはできない。そんなサクヤであるが。知人がふてくされていることはわかった。
「なにか気がのらないようだね。どうした? 月影山のヘビ主様といえば、海を超えての富士のヌシまで届く名声があるではないか」
猫であるのに猫なで声。
まるで、何かの冗談であるように見えるが。これで、いままでどうにかなったのだ。
サクヤはヌシ神をとにかくおだてた。
なにか、物憂げな知人は大体おだてたらどうにかなるし。どうにかしてきた。
「むーん。ふぅん――」
しかし、今回はどうにかならないようだ。急かしてはならない。彼が話すのを待つのだ。彼は山界で起きたこと全てを熟知している。村人たちの悩みの内容など知っているはずなのだ。悩みがある素振りを見せたなら、それはヌシ神が話したがっている証拠なのだ。
とても心配している。という姿を示して、ヌシ神の言葉を待った。
それは成功した。
「――知りとうあるか?」
うざい。とてもうざいが。顔には出さない。サクヤは優しいのだ。
「知りたいなぁ! サクヤが力になるよ!」
「わしもお前みたいに頼られたいんじゃ――」
ぽつぽつと語りだしたヌシ神の悩みは簡単だった。
人々の信仰を集めるものとして、名を上げたいと。
「――一生懸命、実りのためにあれこれしてるのに。誰にも感謝されないとなるとやる気もなくすわ。お前は神社まで建ててもらってるし。わしはどうだ? 水源地でお昼寝じゃ」
「お昼寝いいじゃん」
「年取るとやたらと眠くなるんじゃい……ときに訊くが。正直に答えてくれよ」
「もちろん……」
答えられることだけ答えたい。しかし、ここが山場だ。
「サクヤ。お前、わしの名知ってる?」
知らん。とは即答できない。しかし、ヌシ神は名を捨てる習慣がある。
誰かが呼び習わしたものが名となる。
「……人々の間でもまちまち。色々呼ばれてはいるよね――」
まるで、定着はしなかったようだが。
「――水に関するからね。龍神信仰があったよな」
古い昔の話だが。今あるかどうかはサクヤも知らん。
「それじゃよ。だったら、わしに相談にくるのが筋じゃろ」
良くないものを踏んだようだ。
これが、ヌシ神のご機嫌を損ねている要因だった。
すねた知人を前に、サクヤはぽんっと。膝を打つ。
「あい、わかった。どうにかしよう。とにかく、明日、明後日にでも降らせておくれよ。ヌシ神様のご趣意にそうてみようじゃないか」
サクヤがこうと言えば、ものはうまくいくもので。
境内で不安そうに過ごしていた少年を引き連れて、麓の村へと降り立った。
少年を迎えるは痩身の母。
身ごもってなどおらぬことはサクヤからも、一目でわかる。
サクヤが思わず、嘘をついた少年に睨みをきかせたら。笑みを返された。
少年は役者だったようだ。
「明日、明後日には雨が降る手筈だ。その雨に感謝する踊りや祭りを開くように」
「それはどの神様ですか?」
「南から雲がくる。水を扱うヘビ神だ。頼んだら、すぐに引き受けてくれたから。しかし、気難しい神である。よくよく讃えるように。名を――」
サクヤは宙を見つめ、数秒。名を指すこと。誘導をすること。出雲の者どもになんと言われるか。分からぬが。多少のことは目をつむってくれる。お目溢しをねがって。名を発した。
「南雲大明神と言う。明日は、踊れ歌えの大わらわを頼むぞ。来年以降も忘れぬように。あと、笑みを忘れるな。祭りだ。楽しく騒げ」
こうして、月影山の麓の村では、皐月中旬には、南雲大明神を讃える祭りが開かれる様になったという。
米が増えたら、赤子が増える。赤子が増えたら思いも増えた。ヘビ神はやがて、名実ともに「龍神」としての昇神を果たすのはまた別の話。
その中にも、一人のネコマタが関与していることを知っているのは少ない。