生克五霊獣 最終話
地下牢から誰も戻ってこない。もし、半刻して戻らなければ、様子を見に来いと蜃から麒麟に伝えられていた。
もし、俺に何かあったらその時はこれを読んで欲しいと文も受け取っていた。
約束の半刻が過ぎようとしていたが、蜃は戻ってこなかった。
「蜃は何処に行ってしまったのだ」
何も知らない葛葉が、呆れたように言った。
麒麟が慌てて答えた。
「外で父上と話し込んでるのですよ」
嘘が下手なので、葛葉は不審に思った。
「お前、何か隠しておるだろう」
麒麟が困っていると、黄龍が助け舟を出した。
「本当ですよ。先日お一人で来た時も、今晩の様に外で話しておられましたから。月見酒が美味しいのでしょう。さあ、いつ戻ってきてもよいように、軽い食事など作っておきましょうか」
新月に促され、葛葉は「あ、ああ」と共に席を立った。
部屋を出る時、麒麟は黄龍にありがとうという意味のサインを送って見せた。
二人が台所に入ったのを見届けると、麒麟は地下牢へと走った。
松明を持って、地下を降り進んでいく。
カビ臭く、どんよりとした嫌な空気が流れる。ここを通る度、黄龍がまだ新月と言う名前を貰う前の出来事を思い出す。今思い出しても、恥ずかしくて嫌な思い出だ。それもあって、ここは嫌いだ。
先程まで旬介の呻き声が不気味に響いて居たというのに、今は誰もいないかのように静まり返っていた。
そして、目的の牢の前まで来て愕然とした。
旬介を繋いでいた筈の独房の前には、蜃が着ていた衣服だけが残されていた。
まるで肉体だけ神隠しにあったような状態で、ストンと落ちていた。
それから、ゆっくりと独房の中へと松明を向けた。中にはキラリと光る手鏡の様なものが一枚落ちていた。
見覚えがあった。富子と泰親が封じられていた時のそれと、よく似ていた。
流石に、子供では無い。事の成り行きも知っている。嫌でも察した。
「……生克五霊獣の法を……使ったんだ」
一瞬にして目眩がした。思わず背中から壁にぶつかって、地面にへたり込んでしまった。吐き気さえ覚えたので、麒麟は一旦そのままにして地下牢から飛び出した。
荒い呼吸の中、全身がガクガクしているのが分かる。
それでも、この先を生きていかなければならないし、なんとかするのは自分しかいない。それはわかっている、わかっているけど、どうすれば。
ふと文を思い出し、慌てて懐から取り出した。
暗がりの中、震える手で開いて読んだ。
そこには、二度目の生克五霊獣の法を使う決心をしたこと 。文によると鏡は旬介だということ。二人が消えた経緯を葛葉に話すのなら、なるべく穏便にと書かれてあった。
「話さないなんて無理だし、穏便になんて無茶振りだろ」
文を握り潰して、思いっきり地面を叩いた。
「くそ!」
思わず叫んだ。
その場でもう少しだけ佇んでから、再び地下牢へと降りた。
蜃の衣服や旬介の鏡を回収するためだった。
それらを、そのまま葛葉に手渡すしか伝える方法が思いつかなかった。兎に角、頭が回らない。
蜃の衣装を回収している時に、旬介の書いた文を見つけた。
最初はそれとは知らず、ただヤケクソのように松明の光の中でそれを読んだ。
そこには旬介の字で書かれた悲痛な想いだけが詰まっていた。
「父上は勝手だ! 母上がどれだけ苦しんでたかも知らないで!!」
麒麟はその文もくしゃりと握りつぶすと、蜃の衣服と旬介の封じられた鏡を抱えて地下牢を出た。
「蜃と旬介の様子はどうだった?」
何も知らない葛葉が、戻ってきた麒麟にそう声を掛けながら迎えに出て、足をピタリと止めた。
「その着物は? 蜃が着ていた物では無いか? どうした?」
麒麟は黙って俯いたまま、それを葛葉に差し出した。
「二人して湯浴みか? 洗濯して、寝間着を寄越せと」
「違う!」
誤魔化すように、そうであればいいと願うように話す葛葉を、麒麟が重々しく遮った。
葛葉は、差し出された衣服の中、キラリと光る鏡を見つけた。
「うっ」
と、見覚えのあるそれに声が出た。
葛葉の代わりに黄龍がそれを受け取った。
空いた手で、麒麟は二つの手紙を葛葉に差し出した。
「俺からは説明できない。それを読んで納得されたら、母上に会ってください」
麒麟から押し付けられるように渡された文を手に取ると、葛葉は力無くその場にぺたりと座り込んだ。
顔も上げず極力見せないようにして、麒麟はその場を足早に離れた。
黄龍は着物を持ったまま、黙って葛葉の傍にいた。
震える手で葛葉は、二つの文を読んだ。読んで、ただひたすらに泣き崩れた。
※※※※※※※
埋葬は、麒麟邸だけで静かに行った。
晴明の墓を挟むようにして、二つの墓を作った。
葛葉と麒麟と黄龍の三人だけで話し合い決めたこと。
晴明の隣の墓には、新月と旬介の鏡を共に埋葬して一つの墓とした。
それから、蜃の衣服とお蝶の紅を共に埋めて一つの墓とした。
お蝶の紅は、蜃から受け継がれずっと新月が持っていたものだ。二人とも身体が残らなかったので、仕方がなかった。
皆には、旬介は病で新月もそれが移った物だと伝えた。
温泉での事もあり、病だとするには都合がよかったが、それでも苦しい言い訳であった。
蜃に関しては、暫くは旅に出たと伝えた。同時に生命を落としたことにするには、不自然すぎるとなったからだ。それでも誰もが触れないだけで、皆何かしら気付いていたかもしれない。
勿論、葬儀や墓参りの話もしつこい程に出たが、葛葉がタチの悪い流行病のせいだからとなんとか止めた。
蜃の死が公に出来るようになってから、許可しようと思った。
「晴明殿、そっちで皆と出会ってよろしく楽しくやってるのかな? 私だけこっちだ。早く皆と会いたいのだがなあ」
葛葉は墓石に、それぞれ酒を掛けた。
「今年の酒も美味く出来たと、里は喜んでおるよ」
それぞれの墓の前には、綺麗な花と菓子も置かれている。
「まだ子供達はこちらにいるからな。私はもう少し、こっちで頑張るよ。だから晴明殿、そっちで子供達をよろしく頼むよ」
ふわっと、風が吹いた。
柔らかく、暖かい風だった。
いつもと変わらない、里の風だった。
【完】