生克五霊獣 94話
麒麟神社(蜃が勝手に呼んでいる)の祠の近くに腰掛けると、懐に捩じ込んだ文を取り出した。押し付けたり、押し付けられたりしているうちに、シワシワになってしまっていた。
文を開く。
「相変わらず、字だけは上手いな」
くすくす笑う。なんとなく、今まで当たり前だったことが妙にしんみり感じる。
意を決して読み始めた。
そこには今までの詫びだったり恨み言だったりがツラツラと書き連ねてあったので、時々読むのをやめようかとすら思ってしまった。それでも読んでいると、段々感謝の言葉に変わっていき、最後にこう締めくくられていた。
『最期だと思うので色々と言いたい事を書き連ねましたが、俺が願うのは一つだけです。
どうか、新月と麒麟領をよろしくお願いいたします。』
「新月の何をお願いするというのだ、バカタレ。あれだけ俺に意地張ったんだ、最期まで貫き通せ」
ポタリ、と文に水滴が落ちて字が滲んだ。
処分を頼まれた文であったが、出来るはずもなく、再び丁寧に畳むと懐にしまった。
どうやら、空までもが泣き始めたようだ。
※※※※※※※
それから数日は、特に何も起こらなかった。
黄龍の容態も良く、いつ産まれてもおかしくないことには変わりない。
そろそろ葛葉を呼ぼうかと言う話にもなり、一旦蜃が葛葉を迎えるため帰ることとなった。
屋敷の前で
「くれぐれも無茶はするな。何かあれば直ぐに鷹を寄越せ」
と再三言って旅立っていった。
「無茶とは何をすると言うんだ」
旬介は呆れたように見送った。
「ははは。蜃様も心配なんだよ」
散々無茶をしてきたのだ、当たり前では無いか。と、本当は言いたい気持ちを抑えて新月は旬介の背中を押し、屋敷の中へと戻そうとした。
「たまには散歩でもしようかな」
「大丈夫なのか? もうずっと篭もりっきだったではないか」
体力も随分落ちてしまったのを、新月は知っている。
「何を言うか。そこまで、爺では無いぞ。そう心配せんでも、少しだけだよ」
「ならば、私も行こう」
旬介は笑った。
「よし、なら久しぶりに茶屋にでも寄ろう」
何を食べても、何を飲んでも、味などしない。葛葉のお陰で血の味を知って以来、飢えと乾きの代わりに、血肉が欲しい欲求が酷く高ぶって仕方ない。その欲求は、時折自分の自我さえ奪おうとする。
誤魔化すように、自分が好きだったものを色々食べてみてはいる。それら全てが味気なく、満足しない。それでも、新月と一緒なら気が紛れるのは事実だ。
やはり落ちた体力は尋常ではなく、身体がすこぶる重い。息が切れる。しかし、これは本当に体力のせいだけなのかと、何度も疑った。
「やはり、帰ろうか」
新月が声を掛けるが、旬介は首を縦には振らなかった。
「もう少し歩こう。里を見てまわりたいんだ」
「そうか」
新月も、旬介に合わせてゆっくり進んだ。
「そういえば、すっかり忘れていたな」
新月が呟く。
「何をだ?」
「お前も忘れたのか。この田んぼを見てみろ」
「ああ」
旬介が足を止めた。周りには、黄金色の田んぼが広がっていた。
本来、田んぼや漁業等は青龍領が主軸ではあるが、それだけでは足りないのでこうしてどの領でも当たり前のように維持している。
「そうか、収穫祭があるんだ」
「お前が一番好きなお祭りだ」
今年はなんとか楽しめそうだと思ったら、急に身体が軽くなった気がした。
ずんずんと歩きながら新月を追い越すと、旬介は振り向きながら手を差し伸べた。
「お団子が待ってる」
※※※※※※※
ピーヒャラピーヒャラ、笛の音が里中にこだました。
それは麒麟領だけにあらず、どの里でも同じだ。
引退した元領主達も、それはそれで忙しい。今年は、各領から麒麟領に向けて鷹が飛ばされた。
「新月、悪いが皆に鷹を飛ばしてくれ。霊力は無くなっても俺は元気だと。あと、孫も産まれそうだと」
「わかった。母上達もそろそろ着くだろう」
すっかり忘れていたせいもあるが、気を使った麒麟達が言わなかったのもある。
あれから三日も待たずに収穫祭が始まった。
「麒麟、麒麟はおるか?」
旬介が呼んだ。代わりに黄龍が答えた。
「父様、麒麟は民のところですよ。先日からずっと引っ張り回されてます」
「臨月の嫁を置いてか」
「ふふふ。だから、皆に祝われてるのですよ。麒麟が行かねばここに民が集まってしまうでしょう。それは父様が望まないからって」
旬介は、苦い顔で頭をポリポリと掻いた。
「それより、どうされたんですか」
「いや、俺も折角だから見て回りたいので留守番を頼もうかと」
「ならば私がおりますから、母様と行ってらっしゃって」
「大丈夫か?」
「父様より大丈夫ですよ」
「すぐ帰る」
「折角なんです、ゆっくりしてきて」
黄龍は急かすように、旬介の背中を押した。
「新月、出かけるぞ」
奥で何やらやっていた新月が慌てて飛び出してきた。
「どこへいくのだ? まだ片付けが途中だ。ちょっと待てんか?」
黄龍が声を上げた。
「あとは私がやっておきますから、母様も早く行ってらっしゃい。そろそろ芋汁が配られる時間ですから」
毎年楽しみにしていた。芋汁が好きと言うより、思い出が多いのだ。思い出を噛み締めている気がして、幸せな気分になれる。今度こそ、この満たされない飢えから解放される気がした。
気がしたが、結局その芋汁さえ、味気なく感じてしまった。
最悪の事態が起きたのは、この晩の事だった。
今夜は夜通し、祭拍子が鳴り響く。そんな日だった。
赤子が泣いても、この日は気にしなくてもいい。赤子泣け泣け、等と歌い語り継がれるような日だ。
『赤子泣け泣け、赤子泣け
今宵は楽しいお祭りだ
泣く子も笑う、お祭りだ
赤子泣け泣け、赤子泣け
泣けば泣くほど稲穂が取れる
泣く子も笑うお祭りだ』
誰が作ったかは分からない。それでも、子供の頃から馴染みのある歌だった。
今夜は、いつも以上に鬼が呻く。血肉が啜りたいと、何度も何度も泣き叫ぶ。何度も何度も意識が持っていかれそうになるので、いよいよダメかもしれないと思い、身体を焼いたついでに自分で自分をなんとか縛り付けた。
まるで拉致でもされたかのように、縛られて床に転がった。
独り孤独で耐えていたら、時折泣けても来る。けれど、あまりにも耐えられなくなって、必死に堪えていたはずが、一瞬呻き声を上げてしまった。
決して夜は近付かないでくれと、新月に強く言い聞かせていた。
無論、新月は気に入らず反論するので、もし声でも上げるような事があれば入ってもいいと言う約束を交わしていたから、旬介的には致命的であった。
その声を勿論新月は聞き逃さない。部屋へと瞬時に飛び込んできた。そして、呆然と呟いた。
「なんだ、これは」