生克五霊獣 92話
黄龍が立ち去った後で、新月は直ぐ様旬介の部屋へと飛び込んだ。
「旬介! 何事だ」
「何事とは?」
「今、黄龍と会ったのだ」
「ああ、何事でもないよ。最近、特に腹の赤子が元気だと教えてくれたのだ」
新月はズカズカと旬介に近付くと、肩を掴んだ。
「もう、いい加減にしてくれ! 皆で隠し事ばかりして、私だけ蚊帳の外ではないか。お前に何が起きてる。何が起こっているというのだ! 頼む教えてくれ」
新月の悲痛の声が部屋にこだました。よく響く屋敷に気付いて、改めて静かな場所であったと実感した。
「この屋敷は静かだな。昔から、こんなに静かだったっけ?」
「何を言い出す?」
「いやな、もし今でもお前と二人きりであったらどうだったんだろうかと考えて」
「本当に、急に何を言い出すのだ。お前は……」
旬介は、淡々と続けた。そこに、意図はなかった。
「俺はガキの頃から、お前を嫁にすることしか考えてなかったから、その後のことは何にも考えてなかった。子供が出来ぬと嘆くお前の気持ちも分かってやれなかった。だって、お前さえいてくれたら良かったんだ」
新月の頬を撫でる旬介の手は温かかった。
「だから、この生命燃え尽きる時まで、お前に寄り添って欲しいと思っているけど、それ以上にお前が不幸になる事が嫌なんだ。俺の嫉妬深さもお前への執着も知っているだろ」
「ああ、知ってるよ! うざいくらい知ってるつもりだ。だから、教えてくれ。私には、覚悟がいるんだ。お前がどうなろうが、覚悟する時間をくれないと私は壊れてしまう」
「そこまで気付いておったのか」
「相変わらず馬鹿だな。何十年一緒におると思っておるのだ」
旬介は思った、潮時だと。
「俺はズルいから、兄上から言わせようと思ってたんだ。俺は……もう長くないと思う」
咄嗟に、新月が旬介を抱きしめた。強く強く抱きしめた。
「ごめんな。泰親に植え付けられた鬼の子が俺の中で育っている。日に日に大きくなって、血肉を求めるんだ。いつまで抑えていられるかもわからんし、自信もない。俺が喰われてしまえば、もう俺は俺じゃなくなるし、止められるとしたら兄上しかおらん。だから、兄上を呼んだ」
旬介の手が新月の頭を撫でた。
「だからさ」
旬介は新月を抱きしめた。
「最期のその日まで、何も知らんと笑っててくれ」
※※※※※※※※
とんでもない責任を押し付けられる予定だった蜃が麒麟領に到着したのは、それから間もなくの事だった。
到着して直ぐ湯浴みに通され、食事でもてなされたものの、一向に話は始まらない。そのうえ、お通夜なのか何かの祝いなのかと言いたげな訳の分からない空気だけが漂っていた。
「お前ら一体何なのだ」
食事を終えた頃に、我慢できずに蜃は言った。
「なんなのだとは、麒麟領の愉快な仲間達だが」
旬介がすっとぼけて返した。
「そうじゃないだろ。俺をここに呼んだ理由は何だ? この様子だと、悪い想像しか出来んのだがな」
そうでなければと思いながらも、蜃はわざと語尾を強めた。
それに反応するかのように、黄龍が立ち去り、麒麟がそれを追った。
「蜃様、悪い話と決めつけては、なんでも悪い話になってしまいますから。さ、お酒をもっと飲んで」
新月が蜃にお酌した。必死に抑えていた手の震えが伝わって、酒が零れた。
「ごめんなさい、今拭きますね」
徳利を置いた新月の手を、蜃が握った。
「兄上、お触りは禁止です。やめて貰っていいですか」
旬介の冗談も今は笑えない。
「さっさと要件を話せ。さもなくば帰るぞ」
「今からですか」
「ああ、今すぐ帰る」
イラついた蜃が子供のように言うので、旬介は一口だけ酒を飲んでから話し始めた。
「良い話ではないかな。なので、俺にも気持ちの整理がいるんですよ。いざ顔を見たら、また言い出しづらくなってしまって」
蜃は溜め息を吐いた。そして、酒をグイッと飲み干した。
「もう、何を言われても驚かんし怒らぬし、黙って聞くことにする。だから、旬介と二人にしてくれ」
旬介が新月に目配せした。そして、改めて蜃に向き合う。
「そんな、疑いの目で見るな」
「どんな目だよ」
「その目だ」
完全に人払いが出来たのを見計らい、旬介は蜃に告げた。
「単刀直入に、結果から言う。その方が、俺が気楽だ」
「ああ」
「俺は間もなく死ぬだろう。もう長くないのだ」
「は?」
蜃が持っていたお猪口を、ゴロンと落とした。
「す、すまんな」
慌てて拾い上げたのを見ながら、旬介は続けた。
「泰親と富子に植え付けられた、鬼の子が俺の中で育っているのだよ。いつまで抑え切れるかわからん。だから近いうちに抑えきれなくなったら、俺を殺して欲しくて兄上を呼んだのだ。鬼を抑えられるとしたら、兄上しか思い付かなかった」
「母上には……言えるはずないか。それで、いつ気付いた?」
蜃の無機質な問い掛けに、旬介も淡々と答えた。
「最近だよ。始めは激しい飢えと渇きから始まった。それが生克五霊獣の法を使ったせいだと母上が言い、血を貰ってから酷くなった。あまり言いたくはないが、それで血の味を覚えたらしい。最近は酷く、人を食べたくてしょうがないんだ」
自分で言いながらもゾッとした。吐きそうな嫌悪感さえ覚えた。
「本当なら、今この時でさえ、兄上に殺して欲しいくらいだ」
蜃は、口元を抑えた。覚悟していたつもりではあったが、予想以上の悪い話に吐き気を覚えた。
「兄上、顔が真っ青です。部屋で休んでください」
蜃は、それに従うしかなかった。
「ああ、少し時間が欲しい。続きは後程聞こう。もう少し話もしたいが……ごめん、無理だ。今は、これ以上は無理だ」
旬介が新月を呼んで、蜃を部屋に送らせた。
その後も、鬼のせいで味の分からなくなった今では酔いすらもしない酒を、一人飲み続けた。
「なあ、新月。お前は旬介から聞いたのか?」
部屋に案内された後、その場を立ち去ろうとする新月を引き止めて、蜃は堪らず聞いた。
「頑固でしたよ。私だけには言おうとしないんです。だから、言ってやりましたよ。私には、お前の不幸を受け入れる覚悟と時間が必要だと」
「そうか」
「少女だった私を覚えておいででしょうか? あの頃は大人で優しかった蜃様は、私の憧れでした。けど、蜃様にはお蝶姉様がいて、私は適わなかった。酷い話ですよね、こんな私を出逢ってからずっとずっと愛してくれている」
新月の目から、はらはらと涙が零れ落ちた。
「子供なんていなくても、私さえいれば良かったって。なんで、最初からずっと旬介だけを見ていなかったんだろう。今更後悔しても遅いのは分かってるんです。でも、こんなに早く時が来るなんて。私はどう詫びたら、どう応えて、どう返したらいいの?」
新月の気持ちが溢れ出した。蜃は黙って聞き続けた。蜃の目だけが、言いたい事は全部言ってしまえと新月に告げた。
「どうしよう。旬介がいなくなる」
わあっと泣き出した新月の頭を、蜃の手がそっと撫でた。
「俺がなんとかする」
滅んでもまだ己らの欲だけに人を不幸にするのか。
「俺の爺様が招いた災悪だ。母上はもう十分背負ったのだし、俺が何とかするしかあるまいな。それが、義弟達に里を任せた俺の責任さね」
新月の濡れた顔が、こくりと動いた。




