生克五霊獣 91話
「蜃様がお一人で?」
暖かい陽の差し込む自室で、今や黄龍となった麒麟の正妻が、大きなお腹を抱えながら不思議そうに首を傾げた。
「なら、葛葉様もお呼びしたら良かったのに。いつ産まれてもおかしくないのですよ」
麒麟は大きなお腹に目配せした。
「別に後から呼べばいいさ。何だか父上のあの様子ではな、一緒に呼ぼうとも言えなくて」
「蜃様だけ呼ぶのもそうですけど、先程から貴方の様子がおかしいのが気がかりです」
見透かしたように黄龍が言うので、麒麟の顔が変に反応した。
「ほら」
「なにを」
「貴方は、昔からわかりやすいですから」
黄龍は、くすくすと笑う。
「今は言えんがな、またいずれ話せるようになった時にでも」
「母様にも言えないのですか」
「ああ、まあ……麒麟としての? 内密な話? とでも言おうか?」
「まあ、はっきりしないこと」
「さて、お主の様子も見たし。仕事に戻ろうかな」
「今日は真面目なのですね。親子揃ってサボり癖があると、母様が嘆いておられましたよ」
麒麟は溜め息を吐いた。
「そうは言ってもおられんくなりそうなのだ」
言うと、彼は部屋を出た。
丁度、お茶の用意を持った新月と鉢合わせた。
「旬介との話は終わったのか?」
「ああ」
「それで、なんの用だった?」
麒麟はふと視線を逸らした。
「蜃様と久しぶりに酒でも飲みたいので呼んでくれと」
「相変わらず、嘘が下手だな。母を舐めるな」
「うっ」
ぐうの音もでないとは、この事である。それでも父のことを言えば、父の許可が無い限り、なにがあっても母には話せない。さっさとこの場から離れる言い訳を考えた。
「ああ、新月がもう産まれそうだからと不安がっていましたよ。それ、新月と食べるのでしょう。ごゆっくり」
麒麟は、慌ててドタバタとその場を立ち去った。
「ったく、今の新月は私だと言うに」
新月は、不満だった。子供の頃に支えてきた自分には、なんの相談も無いことが。自分では何の支えにもならないのだろうか、子も産めず支えにもなれなければ自分の存在はなんだったのか。それがここ最近ずっと引っかかっていた。
「母様、そう心配しないで」
ひょっこりと顔を出すように声を掛けてきた黄龍に、新月は驚きお盆を落としそうなった。それを慌てて二人で支えた。
「出会った頃は、親もなかった私ですら子供だと思うくらいに子供でしたけどね。今は違いますよ。それに、男には男の世界があるのでしょう。今は見守りましょう。どうしようもなくなれば、何か言ってくるでしょうに」
黄龍の言うことも、最もだと思った。
「しかしな、何かあってからでは遅いのだ」
「私だって不安はありますよ。でも、どうしようもないですもの」
「黄龍は、大人になったな」
「野生児だった頃とは大きく変わったでしょう」
二人して、ふふっと笑った。
「ああ、年を取ると心配性になるもんだなあ」
新月は持ってきたお盆を黄龍の部屋へと運んだ。
(……多分、その予想は当たっているんですけど私からも言えませんわ)
黄龍は、かつて泰親達に育てられたせいでやたらと勘が良い。そして、育てられた環境のせいでやたらと耳と鼻が良かった。それは野生児だった頃から多少は衰えたものの、今でもたいして変わらない。特に子供を宿したせいで、野生の本能と言うべきか。その能力はまた強くなっていた。
麒麟が旬介に呼ばれた時、どうしても気になってしまい、日向ぼっこの振りをして廊下に出ていた。何か嫌な予感がしたからだった。
そして、その耳で聞いてしまった。旬介と黄龍の性格を思えば、そのまま伝える事など勿論出来はしない。じゃあどうしようか。今は勘づかれても困る。けれど、助けてくれた二人のためになりたいのも事実である。ずっと恩返しがしたかったから。
そして、ふと思い出したことがある。ずっと泰親達に言われて当時の麒麟と旬介を付け狙っていた時に、二人が度々口にしていた話だった。
『私達の子供にケダモノの身体を与えましょう。餌にすれば、私達の願った幸せが手に入りますよ。この里で……』
(あれは、この事だったんだ)
今更気付いたが……。
「母様、少し父様と話をしたいと思います」
「なんの話しを?」
「母様を不安がらせないでって、お説教してやりますよ」
新月が笑った。
「麒麟領は、良い娘で良い嫁を貰ったものだな」
黄龍は新月に告げた通り、新月が夕餉の準備をしている間に旬介の部屋を訪ねた。
「父様、よろしいですか」
「ああ」
っと声がしたので、新月は大きなお腹を抱えながら襖を開けた。
「珍しいな。どうした?」
黄龍は、笑って見せた。
「今日は調子がよろしいようですから、この大きなお腹を見て頂こうかと」
「最近はずっと調子が良いぞ」
黄龍は部屋に入ると、失礼しますと入口に腰を下ろした。旬介は構わず、隅に置いていった座布団を引き寄せた。
「そこは冷える。ここに座われ」
黄龍は旬介の出した座布団の上に座り直した。
「最近は、何度もお腹を蹴るんですよ。もうそろそろ産まれそうです。名前は、お二人に決めて頂こうかと」
旬介は笑った。
「そうか、男か女か。楽しみだな」
それから、少しだけ二人の間に無言が流れた。
最初に口火を切ったのは、黄龍であった。
「ねえ、父様。イタチ娘は、聞いてしまったのですよ。私に何か出来ることはありませんか?」
旬介は特に表情も変えずに返した。
「そうか、お主は相変わらず耳が良いな。けど、稚児を産んでくれたらそれで充分だ。それと、新月を頼まれてくれたら更に有難い」
「……私は、知っていたかもしれません。もっと早くに。けど、それがそれだと気付いたのは今更です。泰親と富子に取り憑いていた鬼の子です、それは」
「そうか」
旬介の胸で、全てが腑に落ちた。
「教えてくれて、ありがとうなあ。鬼であろうとは思っておったし、そんな話も母上から聞いてはいたが、確信はなかったのだ。これで、兄上に説明しやすくなった」
「父様!」
「なんじゃ?」
黄龍の目が潤んだ。
「どうするおつもりですか?」
「どうもしないよ。兄上に報告するだけじゃ」
「それでは、報告してからどうするおつもりで」
黄龍は、今にも飛びかかりそうな勢いで叫んだ。
「黄龍、新月に聞かれてしまう。俺にはわからん、その先は兄上の判断だ」
黄龍は悔しかった。自分が一番近くで、一番聞いて見てきた筈なのに、何も出来なかったし、今尚何も出来ない。子供だったからという言い訳には乗せたくなかった。
「わかりました。では、この先は蜃様に」
しょんぼりと立ち上がった黄龍の袖を、旬介が引き止めた。
「そう心配するな」
「父様、とても説得力がありませんよ」
「そうかもしれんな」
お互い苦笑いして、話は終わった。
廊下で、案の定新月が待っていた。
「なあ、黄龍。教えてくれんか?」
今にも泣きそうな声で、新月は黄龍に請うた。
新月が外にいるのを、黄龍は知っていた。匂いがしたから。だから、話を切り上げてきた。
「母様、ごめん。ごめんなさい」
黄龍は泣きそうになるのを堪えて、その場を立ち去るしか無かった。
黄龍が飛び込んだのは、麒麟の部屋である。仕事をするといいつつも、ぼんやり考え事をしていた麒麟はその様子に驚いた。同時に察した。
「お腹の子に触る。今は余計なことは考えるな」
「余計な事ってなんだよ!」
黄龍の剣幕に再びおどろいた。
「お前は、大人になってからそうだ。昔みたいに言わないし、怒らない、無理も言わない。僕がもっと早く気付いて、葛葉様に教えていたら。きっと、こんなに悪くならなかったと思う」
わあっと泣き出した黄龍を、麒麟は慰めるように抱きしめるしか無かった。
そして、落ち着いた頃に一言だけ告げた。
「俺と蜃様でなんとかするから。絶対、なんとかするからさ」